むかしばなし・一
蒲団を小屋に置いてから、あたしは御先様と一緒に中庭の見える廊下に座った。
もうそろそろ咲く時間帯だからか、おしろいばながぽんぽんと蕾を膨らませているのが目に入る。
あたしは器に持った酒粕アイスを差し出すと、彼はそれをゆっくりと匙ですくって食べはじめた。
「……美味いな」
「ああ、ありがとうございます! なぁんか、今日一日はいろーんな話を聞いて、驚きましたよ」
「そうか」
「はい」
庵さんの日記が見つかったり、兄ちゃんと氷室姐さんが意外と仲良かったり、海神様が意外な人とお付き合いしてたりって、今日一日でずいぶん人の意外な一面を知ったもんだとしみじみした。
とりあえず御先様にとっては地雷になるだろう部分は全部省いて、あたしは好き勝手しゃべり出す。御先様はあたしが勝手にぺらぺらしゃべるのを、特に相槌を打つこともなくアイスを食べながら聞いていた。聞いているんだなとわかるのは、ときどき本当にわずかに頷く仕草が見て取れるからだ。いい加減この人のこういう性格がわかっていたら、そんなものかとついつい思ってしまう。
ぺらぺらとしゃべっていたら、日も傾いてきた。いい加減ご飯をつくりに行かないとなと立ち上がったところで「そういえば」と御先様が口を開いたのに、あたしは思わず立ち上がろうとしたお尻をもう一度廊下に載せる。
「御先様?」
「烏丸から聞いたか? 我の話は」
「ええっと……どれのことでしょうか?」
「我の話だ」
「うーんと……多分詳しいことは聞いてなかったと思います」
御先様は代替わりして神様になった人だって話は、前にちらりと聞いたけれど、詳細は烏丸さんだって言っていなかったはずだ。
あたしの言葉を聞いたのか、御先様は少しだけ黙ったあと、ぽつんと言葉を漏らした。
「食事前にする話でもないな。食事のあとに広間に残れ」
「へ? あ、はい」
この人が自分から話すなんて、本当に珍しいこともあるもんだなあと頷いてから、あたしはアイスの器を回収して、勝手場へと戻っていった。
今晩のご飯、大丈夫かな。そう思いながら。
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あじの干物の混ぜご飯、いわしの甘露煮、夏野菜の揚げ浸し、崩し豆腐のすまし汁。
膳に載せたそれを、御先様はいつものように綺麗に平らげるのを見守っていたら、御先様はようやく箸を置いた。
「……悪くなかった」
「はい、ありがとうございます」
ぺこん、と頭を下げたあと、兄ちゃんは樽やら銚子やらを片付ける中、あたしは座っているのを怪訝な顔で見ていた。
「おい、食事終わったから行くぞ」
「あ、兄ちゃん先に戻って賄い食べてていいよ。ちょっと御先様とお話があるから」
「はあ? ん、まあいいけど」
兄ちゃんはあたしと御先様を見たあと、首を捻りながら「先に失礼します」と挨拶を済ませて去っていった。
だだっ広い広間にふたりで残されたあと、御先様は「ふむ」と言いながら脇息にもたれかかった。
「昔話だったか」
「あ、はい。教えてくれるっておっしゃってましたけど……」
でも、本当に珍しいなあとあたしは思う。御先様って自分のことを自分で話すことは本当にない。あたしが知っている話も全部烏丸さん経由で聞いた話であって、御先様の口から聞いたことなんて、本当に微々たるものだもの。
あたしが思わず首を傾げていたら、御先様は脇息に持たれながら「ふむ」ともうひと言言う。
「言っておくが、昼間の者たちほど面白い話なんてないぞ」
「あ、別にそういうのは、関係ないです。面白い面白くないじゃなくって、御先様のお話を聞くのが肝心なんで」
「相変わらずそちは妙なことを言うな」
いや、あなたが言いますか。
思わずそう言いそうになったものの、前よりは丸くなったとはいえども、御先様が癇癪を起こしたら大抵はえらい目に合うのは変わってはいないんだから、そこは黙っておく。
御先様は脇息に持たれながら、ぼんやりと天井を見た。
「……別に、人の子だった頃もないがな、昔は神ではなかった」
「はい」
多分これ。今を逃したらもう話してはくれないんじゃないかな。あたしはそう思いながら、背筋をピンと伸ばして話を聞いた。
この人も相当口が重い人だから。
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我が昔は神ではなかったが人でもなかった。ではなにか、か。
烏丸のことはなんだと思っている? あれは烏天狗だな。我も昔はそれだった。
想像がつかない、か。そうだな。
昔は色は付いていたし、名も他にあったが……まあ、昔の名は忘れてしまった。
人の世にも烏天狗の話はいろいろ伝わってはいると思う。災いが起これば、それは烏天狗のしわざと言われて恐れられたこともあったが、神の遣いとして敬われることもあった。別にそんなものではない。
ただ普通に人里離れた場所で暮らしていて、たまたま迷い込んだ人の子が、好き勝手なことを触れ回った、それだけだ。
知らぬ……か。そちは相変わらず料理のこと以外は疎いな。別にけなしてはおらぬ。事実しか言っておらん。
烏天狗は、現世と神域の境に住まう一族だ。あんな場所に住めるのか、か。そうだな。たしかに現世と神域の境に色は存在せぬ。烏丸と飛んでいるときには、上からしか見たことがないだろうが、その境に現世からこぼれたものが住んでおるよ。
……他に住んでいるもの、か。
そちは幽霊というものは見たことがあるか? 座敷童は? 狐の嫁入りは? ……そうか、それは見たことがあるか。
昔は現世と神域の境なんてもっと曖昧だったし、現世の人間が区切った場所以外だったらなにをしてもいいと、もうちょっと好き勝手していたように思う。
だがだんだん現世と神域は深くなり、自由に行き来はできなくなった。
人が忘れたら生きられないのは、なにも神だけではない。付喪神もだし、人でないものもだいたいそうだ。現世では生きていけないが、神域にも入れない。そういったものは、現世と神域の境に住まうようになったんだ。
古いものが忘れられ、新しいものがやってくる。
それはどの時代でも同じだが、それで忘れられるものや消えゆくものもあるという、そういう話だ。
取りこぼされないよう、どこかで必死であがいているというわけだ。
話が逸れたな。
我らが現在住まう神域は、昔は別の神が治めていたが、神は少々年老いた。このまま黄泉の国に行きたいと申し出てなあ。
死ぬことか、か……。
神は死にはせぬよ。黄泉の国に行くというのも、現世の人の子が言う死ぬという意味ではなく、そこで骨を休めるという意味だ。
神にとっての死は、黄泉の国に向かうことではない。消えることだ。
ただそれで困るのは、現世と神域に住まうものたちだ。
氷室のみたいに、あちこちに渡り歩いて住んでいるような者だったら、対価を支払えばどの神域でも厄介になるだろうが、あれだけ力を持っているものなんてそうはおらん。
誰かに社を継がせなければ、この神域は消え失せ、境に住まう者の住む場所がなくなる。
だから誰かが立候補する必要があったというわけだ。
何故我がなった、か……。
覚えてはおらん。烏天狗の中でも候補は幾人かいたかと思うが、次の神を決める最中、先代の神に宣誓を果たしたのは我だったと、それだけの話だ。




