酒粕氷のすすめ・五
俺は賄いを食べたあと、明日以降の酒造りのために、米を洗って漬け込んでおく。一応麹と酵母はできたものの、仕込み用の米だけは、酒を造るたびに確保しないといけないし、麹と酵母も定期的に様子を見ないといけない。くーが手伝ってくれているから、そこまで悪いものには、ならないとは思うけど。
一応全部済ませたら、くーには姐さんにもあげた酒粕をあげた。
「一応、ありがとうな」
「おー……」
それを「あーん」と食べたら、どこからともなく鍬神たちがやってきて、くーをちりとりに載せて走って行ってしまった。な、なんだ……?
外を見たら、くーを載せたちりとりを神輿のように担いで畑を走り回っている。そのたびにくーからなにかがこぼれている。
……もしかしなくっても、肥料か。あれは。
その謎の儀式を見届けてから、俺は酒を持って姐さんのところに行ってみることにした。姐さんは相変わらずのんびりと氷室に座って鍬神たちに支持を飛ばしているようだった。
俺が歩いてきたのに気付いて、顔を上げる。
「おやまあ、遅い時間だってえのに。ちゃんとあんたの寝床にまで帰れるのかい?」
「いや、鍬神についていったらなんとか帰れるんで。あの、さっきはありがとうございました」
「あたし、なんかしたかねえ」
姐さんはあくまでもマイペースだ。とぼけているのはわざとなのか天然なのかは、こっちだって判別できない。ただ俺はトプン、と酒を差し出した。途端に姐さんは目を輝かせる。
「あれまあ……いいのかい? もう御先様に出したのかい?」
「「悪くない」だそうで」
「あれまあ……それだったらかなりいい線言ってるんじゃないかい? 「不味い」っていうのはよっぽどのことだし、だいたいはなんの反応も示さないからねえ、あの人は」
そう言って姐さんはころころと笑った。その反応に安心して、俺は持ってきた徳利からお猪口に酒を注いで、彼女に差し出した。
姐さんは嬉しそうにそれを受け取って、ちろりと舐める。
「美味いねえ」
ここで頑張ろうと思えたのは、姐さんのおかげだし、なかなか「美味い」と言わない御先様のおかげだし、なんだかんだ言ってあれこれと世話を焼いてくれている烏丸さんのおかげだったりする。もちろん、くーとか火の神とか鍬神とかもだ。
俺ひとりじゃ力が足りないときは、どうにか鍬神に手伝ってもらって酒をつくっている。
もうすっかりと麹の匂いがしみ込んでしまったのも、今はすこしだけ誇らしい。
****
あたしが烏丸さんを待っている間、兄ちゃんは氷室姐さんになにかを差し出した。見てみたら、それはたっぷりの酒粕だ。
兄ちゃんから酒粕はもらって、ときどき粕漬けや魚の漬けダレ、粕汁には使わせてもらっているけれど、まさか氷室姐さんに直接あげるとは思っていなかった……。
氷室姐さんは「ありがとありがと」と言いながら、触れたそれを器ごと冷気で凍らせてしまった。見るからにシャーベット状態になったそれを、嬉しそうに頬張っている。
「んー……やっぱり酒をそのまんま飲むのもいいけど、たまにはこれを食べなくっちゃねえ……」
「兄ちゃん……氷室姐さんに餌付けしてたの?」
思わずそう聞いてみると、兄ちゃんはばっと顔を向けてくる。
「ちっげえし! ただ、氷室姐さんは酒粕なんて神域だと滅多の奉納されないし、杜氏のいる神域じゃないと食べられないから珍味だとかなんだとか……」
「あー……」
酒粕って、いわばお酒を絞ったあとのものだし、それを奉納するっていうのはさすがにしないもんなあ。それに。氷室姐さんは美味しそうにそれを頬張ってはいるものの、あたしからしてみれば、酒の味がきつすぎてとてもじゃないけれど食べられないやつだ。
御先様も烏丸さんもお酒は無茶苦茶飲んでも、いい気分になるだけで倒れたりしないから、人よりもお酒には強いんだろうなあ……。
「うーん、酒粕って粕漬けとかは思いつくけど、直接食べるのか……なんかできないかは考えてみるよ」
「まあ、酒粕なんかあとは甘酒くらいしか思いつかないけど、楽しみにしてるよ」
お菓子つくるんだったら、卵を奉納されている神域まで行ってもらってきて、砂糖を奉納されている神域まで行ってもらってきたら、酒粕ケーキくらいだったらワンチャン、かなあ……。
うーん、と考えていて、氷室姐さんが食べている酒粕がシャリシャリしていることに気付いた。よくよく見たら、氷室姐さんが凍らせた酒粕、シャーベットみたいに滑らかなんだ。水だったら固まったら当然氷になるけれど、空気を含ませないとシャーベットみたいな触感になんかならない。アイスクリームなんかは、アイスクリームの元をときどき冷凍庫から取り出して混ぜないと、固まってただのアイスバーンになってしまうのに。
アルコールも度数によってはあんまり凍らないっていうけれど、もしかして姐さんの食べている酒粕も、完全に凍り切ってないんじゃ……?
そう考えたら、「兄ちゃん、あたしにも酒粕ちょうだい!」と言ってみた。
「え、いいけど。お前そんなに酒飲まないだろ」
「酔っぱらったら仕事になんないもん。ちょっとお菓子つくってみようかなあと思って。あ、氷室姐さんも手伝って」
「そりゃいいけど」
豆腐をつくった際に残った豆乳は、今日の夕餉にでも汁物にしようと思っていたけれど、それを取り出して、酒粕と一緒に練り合わせる。出来立ての酒粕だから、固くなくって混ぜやすい。そこに水飴も加えて、さらに練り合わせたあと、すこしだけそれを取って舐めてみた。
「……味はいいけど、やっぱりアルコール分強いな」
「え、お前なにつくろうとしてるの。甘酒かなんかか?」
「甘酒にするんだったら、あたしだったらもうちょっと火にかけてアルコール分飛ばすよ」
兄ちゃんが不思議そうな顔をしているのを尻目に、氷室姐さんのところに器ごと持って行った。
「姐さん、これを凍らせてくれない?」
「そりゃかまわないけど、これなんだい?」
「ええっと……アイスクリームにならないかなあと思って」
「あれま」
氷室姐さんは見るからにわかってない顔をしつつ、それを凍らせてくれた。
すこしみてみたら、やっぱり。あんまりカチコチに凍ってない。あたしはそれをぐるぐると混ぜて、器に盛り付けて匙と一緒に出してみた。
「はい、姐さんと兄ちゃんにどうぞ。あたしは、まあ……あんまり食べられないから」
ふたりはちょっと驚きつつも、恐る恐る食べてくれた。兄ちゃんは「んっ」と唸る。
「ぷはあ……美味いわ、これ。でも結構きついな」
「だよねえ。あたしもちょっと味見しただけで顔が熱くなったから、「これあんまり食べちゃ駄目なやつだ」と思ったし」
「んなもん人に出すなよ!?」
「で、氷室姐さんはどうですか?」
あたしは匙ですくって食べている氷室姐さんのほうに振ってみた。氷室姐さんときたら、目をきらきらさせて食べている。
「美味しいねえ……神在月くらいでしか、こんなの食べないしねえ」
「あー、喜んでくださりなにより」
バニラアイスだったら卵黄がいるし、本当言ったら牛乳やバニラビーンズだっているし。そんなの揃っている神域も少ない以上は、いろんなものが揃っている神在月のお祭りくらいじゃないと、食べられないだろうなあ。
姐さんが嬉しそうにぽわぽわと笑いながら食べているのを見届けていたら、バサリと音がした。
「呼ばれたと思ったんだが……なにやってるんだ、お前さんたちは?」
「あっ、烏丸さん! 聞いてくださいよ、蒲団が燃えちゃったんですよ!」
「はあ……?」
当然ながら、烏丸さんは困惑した顔をしていた。
あたしが干した蒲団だったものの下では、火の神が縮こまって「ごめんなさい……」と涙を浮かべていた。




