酒粕氷のすすめ・三
次の日から、作業がはじまる。
日が出てないうちから起きて、作業をはじめる。
「……さっぶ」
本当だったら酒造りは冬からはじめるし、作業場には発酵の関係で暖房の類は一切ない。神域だったら昼間はとてもじゃないけれど酒造りに向いているとは思えなかったけれど、それはなんとかなるんだろうか。
俺が蔵まで行ってみたら、樽の下からひょっこりとくーが出てきた。
「もうおさけつくるのー?」
「いや、米を炊かないと駄目だし。さて、どうしたもんか」
蒸し器に米を入れたのまではよかったけれど、昔ながらの竈なんてどうやって使ったもんかわからない。おまけに、薪はあるけれど、火を付けられそうなもんもない。
多分俺の部屋に置いてきた荷物の中にライターはあったと思うけど、火の調整しながらって、全然竈を離れられないだろ……。
俺がうんうんとうなっていたら、くーがくっさい匂いを撒き散らしながら寄って来た。
「ひのかみよばないのー?」
「……ひのかみってなに」
「ひをだすんだよー、たぶんいるのはかってばー」
「かってばって?」
「ごはんつくるところー。くーちゃんくさいからだめって、あんまりいれてもらえないー」
厨房ってことなのかな。勝手場って。俺は「ありがとな」と言ってから、そのひのかみってやつを探しに行ったら、なるほど。竈の下で丸まって火の玉が眠っていた。
「おーい、ちょっと酒つくりたいんだけど、手伝ってくれねえか?」
これって、起こすのどうすればいいんだろう。薪で突っつけばいいのか? 手で起こそうにも火傷しそうでむずむずしていたら、火の玉は寝返りを打った。……そうとしか言いようがないけれど、すごい言葉だなとは自分でも思っている。
火の玉は「むにゃ……」とマッチ棒みたいな手で目をこすると、こっちを見てきた。
「……なんだい、料理番かい?」
「いや、ちがう。俺は杜氏。お前がひのかみか?」
「おー。おれが火の神、なんだぞー」
そもそも料理番は別にいるだろ、というつっこみは一旦置いておく。烏丸さんは新しい料理番を探していたみたいだったし。
あくび混じりで答えてくれる火の神に頷きつつ「手伝ってくれないか?」と言うと、「んー……」と首を捻る。
「ご飯炊かないと駄目なんだぞー」
「……酒も、米を蒸さないとできないだろ」
「うーんと、ちょっと待って」
火の神は近くにあった灰を集めるちりとりをひょい、と取ると、「うーんとーうーんとー」と、ぼこっと分裂した。
片方はそのままのそのそと竈に戻り、片方はひょいとちりとりの上に載った。
「これでいいかー? でも俺、おまえから対価もらわないと駄目なんだぞ?」
「……ええー。そうは言われても、酒がないとなんとも……」
「じゃあ酒ができたら酒粕をおくれよ」
「……なに、お前ら酒粕好きな」
時々酒粕をそのまんま食べる奴もいるけれど、あれって酒の成分残ってるし、味が濃過ぎてよっぽどの飲兵衛じゃない限り、すき好む味じゃねえしなあ。
そうは思ったものの、他に渡せるものもない以上は「じゃあ酒粕ができたら」と言っておいたら、火の神は上機嫌でちりとりの上でぐるんと回った。
蔵に戻って竈の下に薪を入れ、そこに火の神を入れると、すぐにパチンと火がついた。
「上の蒸し器の米を蒸すの。わかるか?」
「よくやってるんだぞー」
なるほど。本当にここで酒つくってたんだなあと今更ながら思う。
蒸し器がかたかたと鳴る。米が蒸し上がらないと俺の仕事もないしなと思いながら、俺は去っていった。
とりあえずは賄いを食べてから、作業開始だな。
****
賄いを食べ終えた頃には、米が蒸し上がっていた。それらをひとまず三つに分ける。麹用、酒母用、仕込み用だ。
大きな布の上に米をスコップでわけるのは、今更ながらひとりでする作業じゃねえなと思う。
仕込み用は一旦置いておいて、俺は「くーくー」と呼んでみた。くーは樽の下からひょっこりと出てくる。
「もうつくるー?」
「おう。頼む。ええっと、酒麹用。わかるか?」
「くーちゃんいっつもおてつだいしてるよー」
そう言ってこっくりと頷くと、のそり。とくーが動き出した。俺が「酒麹用」に指定した米のほうに寄って行くと、それにひょい、と自分をちぎって入れた。
……いや、ちぎるんか。俺のつっこみはさておいて、ちぎってもすぐにぽん、と元に戻った。
一見するとなんの変化もないように見える。でも。……匂いが変わった。俺は慌てて酒麹を捏ねはじめた。
さっきまでは炊き立ての米の匂いしかしなかったっていうのに、あからさまな変化だった。酒麹は米から糖に変わる匂い。……現世だったら、酒麹をつくるのに、麹と一緒に蒸し米を一・二日寝かせておくところを、一瞬でやれるって、どうなってるんだ。どろりとした匂いは、もう麹の匂い以外言いようがなかった。
そしてもうひとつ。酒の肝になる酒母。これは麹と米、水に酵母を加えたものだけれど。俺はできたばかりの麹と酒母用の米を布の上で混ぜ、くーを呼ぶ。
「くー、今度は酵母を頼む」
「いいよー」
また自分をひょいっとちぎって入れると、すぐに発酵が進む。……こんなの、現世だったら二週間はかかるっていうのに、一瞬って。腐り神って呼ばれていたのに、万能にも程があるじゃねえか。
最後に、樽に仕込み用の米を入れ、水を入れる。……正直、水を入れる作業が一番きつかった。水道がないから、井戸から水を汲んでくるしかない。そこに出来上がったばかりの酒母を入れて、ぐるっと混ぜていく。
発酵が進み、濃い匂いがしてくる。……本当だったら、これは酵母を育てていく作業だっていうのに、くーのおかげでそこは省略されている。
最後にこれをろ過すれば原酒に、残ったものは酒粕になるわけだけれど。俺は樽の下に布を敷いて、そこに流し入れながらそれらを見る。
俺は恐る恐る原酒を手に流して舐めてみた。
……美味い。
これは俺がはじめていちから酒をつくったからなのか(そもそもひとりで酒をつくろうなんて酔狂な真似、なかなかしないとは思うが)、神域の米がよかったのか、それともくーのアシストがよかったのかはわからないけれど、とにかく美味かった。
これを水で割って火入れしていく作業だってあるけれど、アルコール度数を神域では気にしなくてもいいような気がする。
最後に、これらを瓶に詰めていくと、酒は出来上がった。
本当だったら、ひとりでここまでできないっていうのに、できてしまったのに、俺は「はあ……」と息を吐いた。するとくーがひょっこりと寄って来た。
「つかれたー?」
「そりゃな。肉体労働だし」
出来上がった麹や酵母は、明日以降も仕込みで使えるからと、それぞれ樽に保管しておくことにした。さて……残った酒粕を、配ればいいのか。
俺はしょっちゅう見ている酒粕を一応入れ物に入れながら首を捻った。
「火の神、ありがとな。一応酒粕」
「おー、大好物だぞー」
俺がひょいっと差し出すと、途端にべろーんと舌を伸ばして食べてしまった。すると、火の神は一瞬赤い炎から青い炎に変わり、火花をバチンバチンと出す。……って、なんだ!?
「うん、うまーい!!」
「お、おお……? そりゃどうも?」
酒粕のほうを褒められるのは、いいことなんだか悪いことなんだか。あとこれを欲しがっていた姐さんに持っていけばいいんだよなあ……。
しかし、まあ……。
出来上がった酒を見つつ、考える。
前の酒は、うちで働いている熟練の杜氏と一緒につくったもんだし、本来だったら杜氏だって、もろみをつくる人間、麹をつくる人間、酒母をつくる人間と、ポジションが分かれている。江戸時代からあるような大きな酒蔵だってそうだし、うちだって同じようなもんだ。
ひとりで全部やったもんが、果たして美味いんだろうか。俺が飲んだ分には美味かったけれど、自分の酒だからって贔屓目があるような気がしないでもない。




