酒粕氷のすすめ・二
着いた場所は、昔親父に連れていかれたことのある、厄払い専門のでかい神社レベルにでかい神社。あれが地元の神社と繋がっているなんて、どうして思うのか。
おまけに、足元をとことこ訳わかんねえもんが歩いているし。
「それじゃあ、行くか」
「行くってどこっすか」
「御先様のところだよ。お前さんの酒を気に入ったみたいだからなあ」
「え、飲んでたのはあんたじゃ……」
「供えられたものは、神様は飲むだろ」
ああ、あの神社の神様は、御先様って名前だったのか。うちの親父もお袋も、あそこの神社の神様の名前なんて知らないしな。
俺がそう納得している間に、連れてこられたのは、大きな襖の前だった。
「御先様、杜氏を連れてまいりました」
「入れ」
襖の向こうにいた、まっ白な神のまっ白な服の人。目までまっ白なその人は、ああ人ではないんだなあと思った。この修験者の人も訳がわからないが、このまっ白な人に比べればまだ人間味があるが、その漂白されまくっている人から感じるものは、人から感じるものというよりは、神社にお参りに行った際とか、滝を見ているときとかに感じる清涼な空気……と言ったほうが近い。
そして、その人が持っているものを見て、俺はぎょっとした。
神社の拝殿の前に置いてきた酒瓶だ。それをお猪口に注いで飲んでいたのだ。
「あの酒をつくったのはそちか」
「……はい」
「……ふむ、悪くはないな」
そう言いながら、またお猪口の酒をあおり、口の中で転がすようにして飲む。驚いた……と思うのは、日本酒なんて、一応原酒よりは水で割っているとはいっても、それでも度数が高い。一気にあおれば目が回るから、ちびりちびりと飲むのが普通なのに、御先様ときたら飲んでも顔色ひとつ変えないのだ。
でも日本の神話にも酒にまつわる話は割とあったように思える。
御先様は酒の匂いを嗅ぎながら、口元を綻ばせる。
「ここに蔵がある。好きに使うがいい」
「ええっと……」
なんだ、この流れ。
要は俺にここで杜氏として働け、と言う気らしい。俺の意思は丸無視だ。思わず抗議として修験者の人を睨んだが、修験者の人はひと言添えてくる。
「なに、悪いようにはしない。料理番がいなかったんだから仕方がない」
なんのこっちゃ。
説明不足な中、迂闊な発言はできない。そうは思ったものの。俺は「んー……」と悩む。
惰性ではじめた杜氏の修行だ。そしてこの酒は、俺だけがつくった訳ではなく、他の杜氏さんと一緒につくったものだ。
それを「悪くない」と言われたが、俺だけでつくったらどうなるんだろう。まだ一年とちょっとしか修行をしていないが、どうなるのかは試してみたいという好奇心が動いた。
「……よろしくお願いします」
人生の天秤を傾ける場所はそこじゃない。きっとここじゃなくて現世であったら、自分にそう突っ込んでいただろうが、ここは残念ながら神域で、神様たちの住む世界だ。
そっちで自分の天秤を傾けても、いいじゃないか。
****
烏丸と名乗った修験者の人に用意された蔵を見て、俺は「うわあ……」と思わず漏らす。
うちもそれなりに古い造り酒屋だとは思っていたけれど、その比じゃないくらいに古い樽があちこちに転がっている。
「米はそこにあるのを好きに使ってくれ」
「あのう、米って食用と酒用は全然ちがうんすけど」
「それは問題ない。鍬神……外で畑仕事をしている奴らだな。そいつらがわけて運んでくれているから、そこに置いてある奴は酒用だよ」
「さようっすか……」
米を見てみたら、たしかに食用のものよりも粒が大きい。蒸し器もあるし、水に漬けて蒸せば作業はできるけれど。
酒をたっぷり吸って変色した樽を眺めていて……気が付いた。
「あの、ここって酒麹ってあるんですか?」
「ここ用のはないなあ」
「って、杜氏を呼ぶだけ呼んでおいて、麹ないとかってダメでしょ!?」
酒を発酵させるには麹が必要だし、だいたいの酒蔵は万が一のために麹だけは別所に保管する程度には貴重なもんだ。
それなしで酒つくれって、どうしろっちゅうんじゃ。
神様だからって、無理難題を言われてもな……俺がそう思っていたところで、ぬちゃ……という音を耳にした。
「あーれー? ひとふえたー?」
ぬちゃ、ぬちゃぬちぬちゃ。
それは樽の下からひょっこり出てきた。って、臭っ、むっちゃ臭っ……!
腐敗臭というのかなんというのかが、その餅を溶かしたようなものからは漂っていた。
「おお、くー。久々に杜氏が来たんだ。手伝ってくれないか?」
「いいよぉー。あなたさまがとうじー?」
そう言いながらこてっとない首を傾げてくる。どこぞのゲームのキャラクターと思えば、まだ可愛いような気がしてきたけど、いやでも臭いだろ。
「これ、なんっすか」
「腐り神のくーだ。物を腐らせて消したり、発酵を進めたりしてくれるんだ」
「はあ……つまりは、酒の発酵も……こいつできるんすか?」
「こいつが杜氏と一緒に酒をつくってるからな」
烏丸さんに説明されて、とりあえず膝をついてくーを見てみる。くーは「ふへっ?」と首を傾げるばかりだ。
「まあ……今日一日は米を漬けるところからはじめるんで。それじゃあ、くー。よろしくな」
「おー」
そう言って笑っているくーを見つつ、「さて」とする。
ひとまず米を水で漬け込み、一日経ってから作業開始だ。それまで俺はやることもないから、ふらふらと散歩をしていた。
手順は身体で覚えているとはいっても、全部ひとりでやるのははじめてだ。どこまでできるんだろうなあ。
鍬神って呼ばれていた小人に、何の気なしについていってみると、森の中に入っていくのに気付く。なんでこんなところに行くんだろう。
俺はそう思いながらついていった矢先。空気がだんだんと冷たくなるのに気が付いた。なんだ、これ。
入った横穴は発光しているし、ここが訳わからんところだとは思っていたが、こうも訳がわからんとはと思って首を捻っていたら「誰だい?」と女の人の声がかけられた。
見ていて思わずぎょっとする。
もう涼しい通り越して寒い場所で、何故かその人は胸の谷間をあらわにしていたのだから。グラビアモデルみたいな胸の谷間を見たことははじめてで、思わずその谷間を凝視していたら、その人は腰に手を当てた。
「なんだい、こんなところに人間がやってきて。料理番……でもなさそうだしねえ」
俺は作業用にとあてがわれた藍色の作務衣に着替えていたから、それを怪訝な顔で見てくる。
「あー……自分は、杜氏っす」
「杜氏!」
途端に彼女の声は弾んだ。さっきまではやけにとげのある口調だったのに、いったい何がそんなに琴線に触れたんだ。
「久しぶりだねえ、この神域じゃあ滅多に酒は飲めないから!」
「あー……あなたは? こんな寒いところにいて」
「おや、氷室なんだから、寒いのは当然だろう? あたしはここの管理任されてるんだしねえ。まあ適当に姐さんとでも呼んでおくれよ」
「あー……じゃあ、姐さん?」
「うん。それであんたは?」
「あー……」
適当に名乗ったこじかが、そのまま神域の名前になってしまっていた。俺はそれを伝えると、氷室姐さんはくすくすと笑い出す。
「大の男がずいぶんと可愛い名前になっちまってねえ」
「しょうがないっすよ」
「でも酒かあ……うん、いつできるんだい?」
「そりゃ、わかんないっすけど……」
酒なんて、原酒絞りだって最低でも半年はかかる。神域はよくわからない力が働いているみたいだけれど、どれくらいでできるのかがわからない。
だって生えてる植物だってぐちゃぐちゃだし、季節感が滅茶苦茶だったら、発酵を普段の方法ではできないだろうし。
俺が口ごもっていると、氷室姐さんはにこにこと笑った。胸が大きな割には、言動が案外子供っぽいな、この人。
「まあ頑張っておくれよ。それじゃあもしできたら、あたしにも飲ませておくれ。あと酒粕が欲しいねえ」
「酒粕っすか……?」
そりゃ酒を絞る際にはどうしても酒粕はできるけど。最近は美容にいいとか言われて食べたりパックする人だっているけれど、それでも余るもんの処分は毎度毎度頭を悩ませているところだ。
俺が頷くと、氷室姐さんはにっこりと笑った。
「うん、楽しみだねえ」




