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神様のごちそう  作者: 石田空
番外編
63/79

庵の料理手帖・四

『帰りたい 帰りたい 帰りたい 帰りたい

 帰りたい 帰りたい 帰りたい 帰りたい

 帰りたい 帰りたい 帰りたい 帰りたい』


 御先様と庵の溝は、だんだんと深くなっていって、俺だけではなく傍で見ていた付喪神たちまで「帰したほうがいい」と言い出す始末になっていた。

 だが、彼女を帰らせようにも料理番の替わりはいない。相変わらず御先様の社には誰も訪れないのだから、彼女をこのまま帰すことすらできずにいた。

 勝手場に立つことすら脅えてできなくなった彼女の元に、俺は通っていっては説得を繰り返していた。


「庵、もう起きているか?」


 彼女は相変わらず返事をしない。


「開けてもかまわないか?」


 不思議なことに、いつもいつも、彼女はどんなに怖がって小屋に引きこもってしまっていても、戸に立てかけて閉めるということだけはしなかった。

 また戸をするりと引くと、彼女は蒲団をかぶって縮こまっていた。


「なあ、庵。本当に、すまんな」

「……いえ。私。何度も何度も烏丸さんに励まされましたのに、ちゃんとできなくて……」

「仕方がないさ。相性ってもんは、どうしようもないからなあ……」


 御先様と庵の相性は極端に悪い。替わりも見つからないから、こうしてずるずると彼女を料理番に据えるしかなく、それが余計に御先様を苛立たせ、それで彼女につらく当たる。それで余計に彼女が脅えて、ますます御先様が苛立つ。悪循環だ。

 やり切れんなとわかっていた。わかってはいたが、どうしようもなかった。

 俺は彼女と視線を合わせた。もう泣き疲れてしまったのか、最初の頃に何度も見た濡れた睫毛は見られなくなったものの、目は乾いてしまっているのか充血して赤くなってしまっている。


「野菜を切るだけでもいい。ちょっと腹にたまるだけでいい。頼むから、御先様に料理をつくってはくれんか? ちゃんとした膳でなくてもかまわないから」

「私は……」


 彼女の小さな肩は、かたかたと震えていた。本当に重症だった。

 本当に、彼女をここに連れてこなかったら、彼女はここまで怖がる必要はなかったっていうのに。庵は肩を震わせながら、のろのろと蒲団を脱いで立ち上がった。


「……もうちょっとだけ、頑張ってみます。あの、烏丸さん」

「なんだ?」

「ありがとうございます……」


 震えた声でそう言う庵の言葉からは、だんだんと力がなくなっていったのがわかった。

 次の料理番を見つけないと。彼女は本当に壊れてしまう。俺はきつく唇を噛んだ。


****


 庵の様子がだんだんとおかしくなっていったのと同じように、御先様もだんだんと天井を見ていることが増えていった。

 最初は彼女の料理が気に食わないから、彼女との相性が悪いから、そう思っていたが。どうもちがうとわかったのは、本当に突然、御先様が口を開いたからだ。


「……腹が減った」

「え……御先様、食事はなさったでしょう?」


 現世の報告に行った際、御先様がくったりと脇息にもたれかかりながら言う言葉に、俺は目を見開いた。おかしいとは思っていた。滅多に「不味い」と切り捨てない方が、「不味い」と連呼するのは。

 御先様はぽつりと言う。


「あの女のつくる食事は不味い」

「不味いとは……御先様の口に合わないという意味で?」

「味がしない」

「……それって、どういう意味です?」

「甘い、辛い、苦いはわかるが、それだけだ」


 味覚障害。ときおり患った神には、舌に膜一枚張ったような感覚で味は知識で理解できても、それを「美味い」か「不味い」か判別できなくなることがあるという。

 元々神格が落ちていた御先様は、その傾向が強かったが、この数年は味覚障害のほうは落ち着いていたはずだったが。庵との一件でまたぶり返しているなんて、こちらもちっとも気付かなかった。

 力が弱りながらも、御先様はきゅっと目を細めた。


「……早く新しい料理番を探せ……あの女を殺しかねない」

「……今、探しておりますので」

「早くしろ」


 くたりと脇息にもたれかかったまま目を閉じてしまった御先様を見て、俺は背筋が冷たくなるのを感じた。

 後手後手に回り、どちらのこともどうしようもなくなっている。袋小路。今の状態はまさしくそれだ。

 俺は前以上に神域と現世を行き来するようになった。

 早く次の料理番を探さないと、御先様も庵も、どちらも駄目になってしまう。それでも相変わらず、社に人は訪れない。

 人の耳には、神域の声は届かない。だからと言って俺は社から出ることもできないので、助けを求めることすらできない。ただ鳥居をくぐった者を、問答無用で連れ去る以外に、できることはないのだから。


****


『今日の夕餉


 ご飯

 鮭の天ぷら

 紅葉の天ぷら

 にんじんのごまよごし

 五目汁』


 あれだけ引きこもって泣いていた彼女だったが、ある日を境に、また勝手場に立てるようになった。

 相変わらず御先様には当たられているものの、小さな背で必死で料理をつくって。火の神に料理を手伝ってもらいながら賄いを出す彼女の姿に俺は安心していたものの、御先様の味覚障害の謎が解けてはいなかった。

 その日は紅葉を塩漬けにしたものに衣をつけて揚げ、鮭と一緒に盛り付けていた。見た目も鮮やかで食欲をそそるいい匂いを放ってはいたが、それでも御先様は食べても冷たい顔をするばかりだ。

 賄いを食べつつ、俺はひっそりと火の神に聞いてみる。


「お前さんは、味がわからなくなることはあるかい?」


 御先様の味覚障害が、単純な精神論とは思えなかった。おまけに食べても食べても腹が膨れないと来ていたのだから。

 火の神はむしゃり、と天ぷらを食べつつ「うーんと」と口を開いた。


「もらったものは全部うまいぞ?」

「まあ、そうだなあ……」

「でもなあ、まかないをもらえなかったらぺこぺこになっちゃうんだぞ」

「ん? それは対価ってことで合っているか?」

「そりゃ対価をもらえなかったら、神罰は下るぞ? 庵は危ない橋をわたってるから、心配になるんだぞ」

「おい、それってどういう……」

「庵ー、うまかった!」


 俺の問いかけを打ち切るように、火の神はべろーんと舌を伸ばしてそう言うと、向こうで洗い物をしていた庵はおっとりと笑った。前よりも笑顔に陰りが帯びてしまったが、それでも彼女は、やっと笑うだけの気力はできたようだった。


「よかったです」

「おう!」


 ふたりのやり取りを聞きながら、俺は賄いの天ぷらを食べた。美味い。咀嚼しながら、御先様や火の神とのやり取りを頭の中でぐるぐると回し……あることに気が付いた。

 庵が料理番として連れてこられたのは、御先様に供物を捧げるためだ。彼女がつくった料理の大前提が、御先様のためでなくてはいけない。

 ……その前提が変わってしまったとしたら?

 洗い物が終わってようやく自分のぶんを食べはじめた庵に声をかけてみた。


「庵、食事が終わったあと、すこしいいか?」

「え……烏丸さん、なにかありましたか?」

「すこし話がしたんだが」


 途端に彼女は視線を膝に落としてしまった。……俺はなにか彼女を困らせるようなことを言ったか? もう一度声をかけるべきか迷っている間に、庵は再び口を開いた。


「あの、私でよかったら……」

「そうか。すまんな、せっかくの休憩時間に」

「いいえ」


 そう言って彼女がうっすらと頬を染めて笑うのに、俺はざわりとしたものを感じた。

 食事が終わってから、ふたりで花園を歩く。季節感滅茶苦茶なここでは、今日もつつじの傍ですみれが咲き、くちなしの香りと一緒に梅の芳香が香っていた。

 紅梅の流れる枝の横を歩きながら、俺はぽつりと聞いてみた。


「お前さん、食事を出して御先様の様子はどうだった?」

「……最近、食事を残されることが増えました。残したものは付喪神にあげましたが、これでは……」

「そうか……御先様は最近、味が全然わからないと言っていたが」

「そ、そうだったんですか? 最近は、「不味い」のひと言もなかったので……」

「なあ、庵」


 俺は庵のほうに足を止めた。庵はおろおろと目尻を下げていた。今にも泣き出しそうだったし、また彼女の睫毛が濡れるのは、できれば見たくはなかったが。

 ……すまんな、仕事なんだ。聞き出すのも。できるだけ彼女が傷つかないように言葉は選んだとしても、聞き出すことには変わりはない。


「お前さんは、最近。なにを思って料理をしている?」


 そう聞いてみて、庵は目を瞬かせたあと、視線をあっちこっちへとさまよわせてから、ようやくこちらのほうを見た。


「……私は、今でも御先様のことが、怖いです。でも。私は帰れません。替わりの人が見つからなかったら、私はここを出ることもできないんでしょう?」


 その口調は攻めているような色ではなかった。その事実で縮こまりそうになり自分を必死で叱咤しているような色を帯びていた。そうしなかったら座り込んで、立てなくなってしまいそうな。

 庵はゆっくりと言葉を続けた。


「……でも、本当だったら私は殺されても仕方がなかったのかもしれません。あなたが庇ってくださらなかったら。私は……ここに来られてよかったんだと、そう思います」


 ごめんなさい。

 好きになってごめんなさい。

 これじゃあ、ただの依存ですよね。


 もう見たくはなかったはずなのに、またも彼女は睫毛を濡らしてしまっていた。

 はらはらと梅の花がこぼれた。それと一緒に、彼女の涙もこぼれた。

 ああ、そうか。俺はそれに返事もできずに、ただ彼女が泣き止むまで立ち尽くしていることしかできなかった。

 彼女が料理をつくっていたのは、御先様のためじゃない。俺に言われたからだったんだ。

 その結果、ふたりを傷つけて。

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