神様との約束・三
庵さんは白玉を食べつつ、言葉を探し始める。あたしはそれをほうじ茶をすすりながら黙って待っていると、庵さんはぽつんぽつんと語り始めた。
「……最初八咫烏神社に行ったのは、さっきも言った通り興味から。そこで烏丸さんに会ってね、本当にお腹を空かせていたのを見兼ねて、私の持っていた商店街で買ったお肉屋さんのコロッケをあげたの。あの人、本当にお腹空いてたみたいで、本当にガツガツ食べちゃったなあ」
「あはは……あたしの時とおんなじだ。あの人、あたしがたまたま持ってたケーキ、ものすごい勢いて食べてたから……」
「ほぉーんと、全部気持ちよく食べちゃってたからねえ。あの人。その時に私はさらわれちゃったのよね。問答無用で」
「あー……」
大体はあたしと一緒だ。ただ違うのは、庵さんは自分が作った料理じゃなくって、あたしは自分が作った料理だっていう違いくらいだ。あたしはほうじ茶に再び口を付けつつ、続きを待ったら、庵さんはおっとりとした口調で話を続ける。
「最初は御先様にご飯を作れって言われても訳が分からなかったし、右も左も分からなかった。ただ神域って、使える調味料も材料も圧倒的に違うし、料理を作る段取りだって現世とは違うから、本当に困った。おまけに御先様は怖いし、話しかければしゃべってくれる付喪神だっているけど、皆、人の姿は取ってないから。最初の数日間は結構楽しかったのよね。だって取材対象がいっぱいある訳だし、私も小説書く趣味があったから、モデルがたくさんいるって感じで、あれもこれもが新鮮で楽しかったの。でもね。人としゃべりたいって思っても人がいないし、一人になりたいって思っても神域にはどこに行っても付喪神がいる。だんだんと私も擦り切れていっちゃったの」
それにあたしは何も答える事ができなかった。
あたしの場合は兄ちゃんがいたし、別にそこまで付喪神の事を怖がってはいなかったし。ただ、世の中には人の姿をしている人とじゃなかったら通じ合えないって思う人はいるらしい。多分だけど、庵さんはそんな人だったんじゃないかな。
あたしの視線で、庵さんは困ったように笑う。その顔、何だか見た事があるなと思って考えてみたら、それは前に見た顔だ。烏丸さんに庵さんの話をちょっとだけした時と同じ。
「……帰りたいって言って精神不安定になってきたのを、見兼ねてあの人が励ましてくれるようになったのよね。替わりが見つかったらいつでも返すから、もう少しだけ頑張って欲しい。あんたの料理は美味いって。今思っても、本当に業務的に励ましてくれただけだと思うし、あの神社になかなか人が来ないっていうのは織り込み済みだったでしょうに。それでもね、弱ってた私にはその言葉はたまらなかった」
やっぱりか。うすうすそうなんじゃないかとは思っていたけれど。庵さんは烏丸さんに片思いしてたんだなあ……。あれ、でもそうなったら、どうしてそこで御先様が怒るんだ?
あたしの疑問には、庵さんがあっさりと答えてくれた。
「私がだんだんと烏丸さんと話をしたい、愚痴を聞いて欲しい、傍にいたいっていう風にしてきたらね、少しずつ。本当に少しずつだけどね。料理に力がなくなってきたんですって」
「……あれ、料理に力?」
「烏丸さんにも聞かされてたと思うけれど。ご飯係が神域で料理を作るのは、神様への供物と一緒だって。つまりは御先様に出す事前提で料理を作らないと駄目だったのに、私の場合はだんだんと烏丸さんと話をする口実に御先様への料理を使うようになった。食べても食べてもお腹は膨れない。最初は御先様も訳が分からなかったでしょうに、私が烏丸さんに告白しているのを目撃してからはねえ……そりゃもう、御先様は怒り心頭だった」
「……何だか、ちょっと分かる気がします」
「ええ……?」
「御先様、子供みたいなところがあるから、癇癪起こしたんだろうなあというのは、すごく想像ついたんで」
「そっか……それでこのままじゃ私が殺されちゃうし、烏丸さんが直談判して、どうにか私をご飯係から降ろしてくれたの。そこから先の事は知らなかったけれど、梨花さんも神隠しされていたんでしょう?」
「……あたしの前のご飯係は男性だったみたいで、結構長い間ご飯係は男性ばかりが続いたみたいです」
推測だけれど、あたしが女でもご飯係に選ばれたのは、ご飯を作るのが好きで、恋愛にうつつを抜かさないからっていうのが烏丸さんにはあったんじゃないかなあ。庵さんの事をどう思っていたのかまでは、庵さんの口からじゃ分からないけれど、あんまり怒り過ぎちゃったら、御先様は荒神になってしまう。それは避けたかったんだろうなあ……。
あたしがそうしみじみと思いながら、再びわらび餅に手を付けていたら、庵さんは「それで」と話を振ってきた。
「御先様の信仰だけれど、どうしたら増やせると思う?」
「……あたしは、本当だったら八咫烏神社でお祭りができたらいいのにって思ってます。実際は氏子も神社総代も見つからなくなって、皆が皆、むやみに神社を怖がるようになってしまってたんですけど」
「信仰って、それ以外の方法でも集められるって知ってる?」
「ええっと……」
庵さんの話の意味が分からず困っていると、庵さんはにっこりと笑う。
「ドラマのモデルになった場所が観光スポットになったりしてるって話、知らない?」
「そう言えば……聖地巡礼って言葉、ありますよね」
人気俳優やアイドルが出たドラマは、ファンがたちまち「聖地」って称して、その舞台に使われた場所をサイトで紹介する事がある。それを「聖地巡礼」って呼ばれ、中にはそれの舞台に使われた市町村が先導して観光PRに使うっていうのは、よくある話だ。最近だったら日本人が知らないだけで外国で紹介された場所が聖地巡礼に使われる例だってある。日本人は「フランダースの犬」を知っていても、現地の人はその話を知らないっていうのと一緒だ。
もしかして、庵さんがずっと神社を舞台に小説書いてたのって、それの一旦だっていうの? あたしが目をぱちぱちとさせていると、庵さんはにこっと笑う。
「自費出版って言うと、道楽だって言われるけどね。たまたま、神社の小説ばかり読んでいる人が、私の小説の書評を書いてくれたの。そのおかげで、少しずつだけれどこの本は売れてる。今だったら、この小説の舞台に使われた神社の事を紹介できると思うんだけど」
それにあたしは思わず、わらび餅のかけらを飲み込んで喉を詰めた。たちまち顔を白黒させ、庵さんを驚かせたけれど、どうにかしてそれを飲み下して、ぜいぜいとほうじ茶に口を付ける。
「それじゃ、あたしが商店街の紹介をして、神社の紹介をしたら。もしかしたら」
「……何もしないよりは、いいと思うの。少しずつでいい。神社に人が集まれば、呪われているからって理由だけで、神社を放置なんてできなくなるから」
****
サイトに載せるための紹介文や写真は庵さんが書いてくれるから、地元民として正しいかを確認して欲しいという約束をして、あたしは庵さんと別れた。お茶代は庵さんが持ってくれた事に申し訳なく思いつつ、あたしは電車に乗って家に帰る。
御先様が、これで神域にずっと篭もっていなくて済むようになったら、それは素敵な事だなあ……。
そこまで考えて、あたしはふと足を止める。
電柱の影が長く伸びているのを眺めつつ、自分の今考えた事を思い直す。どうして、御先様が引き篭もってるってあたしは思っているんだろう。だって、御先様は神域にいるもんだよね。神社に住んでて、その神社の神域にいるのが普通……なんだよね。あれ。おかしい。
まるで御先様が現世にいた事を知っているような自分に気付いて、あたしはぎょっとする。するとバサリ、と音がした。カラスが来たのかと思ったら、どこかに行っていた烏丸さんだ。
「やあ、りん。どこに行ってた?」
「今日は休みだったんで。前に言ってた、前に神隠しされていた人に会ってきました。あの……烏丸さん」
「なんだ?」
あたしは「んーんーんー……」とうなり声を上げてから、ひとつ疑問を投げつけてみた。
「結局、庵さんとの事って、なんだったんですか?」




