杜氏の事情
料亭もびっくりなお膳にあたしの料理を並べる。日本料理の基本は習ってはいるけれど、あしらいやかいしきの知識は必要最低限の事しか知らない。烏丸さんは大丈夫と言ってくれているけれど、不安になって仕方がない。
「それで……お酒はどこに取りに行けばいいんです?」
「酒は食事の時に運ばれてくるからな、お前さんはそのまま膳を御先様に届ければいい」
「はあ……」
そう言えば。付喪神は台所や畑、廊下にはいたけど、御先様のお世話をする付喪神はいなかったなあと今更になって思う。烏丸さんの先導で通った廊下を再び歩く。
と、御先様の広間のいる通路まで歩いた時に、ふわんと甘い匂いが立ち込めているのに気が付いた。商店街を歩いているといつも嗅いでいる匂いだ。甘い甘い、米を麹で発酵させて混ぜ合わせる匂い。あたしはまだ飲めないけれど、丁寧に丁寧に作られた日本酒は飲むたびに皆がにこにこ笑っていたような気がする。その匂いを漂わせている人を見て……あたしは思わず目が点になった。
「……古巣の兄ちゃん?」
考えてみれば分かる話だ。兄ちゃんも近所のおじちゃんも、そしてあたしも。皆神隠しに合っていたんだ。御先様が原因の神隠しなんだから、そりゃ御先様のお社で働いていると考えるのが筋だ。あたしは料理番としてさらわれたけど、兄ちゃんの場合は杜氏としてさらわれたのかしらん。
思わずジト目で烏丸さんを見ると、烏丸さんは暢気に「あー、知り合いか」とだけ言った。いや、神隠しに合ってる人達って基本的にご近所さんなんだから、そりゃ知り合いだよね!? でもあたしが声をかけた途端、兄ちゃんは一瞬目がさまよった。
藍色の作務衣でたすき掛けなのは、普段から酒の仕込みをしている兄ちゃんの服装と大差がない。そして兄ちゃんはあたしにすたすたと近付いてきたかと思ったら、あたしを見た。
「おい……あんた。俺の名前知ってるのか?」
「え? うん。あたしと兄ちゃん、ご近所さんだし」
なおも兄ちゃんが何かを言いかけたけれど、烏丸さんにぱちんと手を叩かれて中断されてしまった。
「知り合い同士の久々の再会はいいけど、ひとまず先に食事を出してからだな。その後にでも名前を聞けばいい」
「……本当だな。烏丸さん、邪魔しないよな?」
兄ちゃんが警戒心バリバリで烏丸さんを見るのに、あたしは思わず目を白黒とする。それに兄ちゃん、普段からあたしを妹みたいに可愛がってくれるのに、やけによそよそしいのも気になる。もしかしなくっても……名前を取られるってそう言う事? あたしの事も商店街の事も全部忘れちゃったって言うの?
もしそうだとしたら。御先様って、勝手なひとだなあ……。あたしは思わずぐんにゃりとしそうになるのを堪えながら、ひとまず襖を開いた。
「失礼します」
「……入れ」
「はい」
あたしはお膳を、兄ちゃんはお酒を小さな樽に入れて持って来ていた。あたしが御先様の前に出ると膳を出す。そして兄ちゃんは樽から手杓子でお酒を汲むと、銚子に移し入れた。甘い甘い匂いが立ち込める。
御先様はじぃーっとあたしのお膳を見つつ、先にお猪口を取る。それに兄ちゃんが銚子から酒を移した。それを傾けると、薄く薄く御先様は笑った。
「……ふむ、悪くはない」
「ありがとうございます」
うわ、むっちゃ上から目線だ。兄ちゃんのお酒が美味しいのかどうかは、正直お酒を飲めないあたしには分からない。ただ商店街の人達はおいしいおいしいと飲んでいたはず。確かに兄ちゃん家は大きくないけれど、歴史の長い造り酒屋なのにぃ、と思わず歯を鳴らしそうになるのに堪える。肴に手を付けずに酒だけ飲まれるのはすっごく不愉快。でもそこまでされると、あたしの料理駄目だったのかなとだんだん不安になってくる。神様の料理なんて、どうすればいいのか分からないし……。
だんだん不安になってきた所で、ようやく烏丸さんが助け船を出してくれた。
「御先様、そろそろ食事に手を付けねば、冷めてしまいますよ」
「ああ……あったな、そう言えば。随分と地味なのが」
地味……。思わずグサリと来て項垂れないように堪える。
定食であったら、器に工夫さえすれば地味にならない。けど正確な日本食であったら別だ。季節感滅茶苦茶な場所ではあるけれど、春なら花じそや桜草、夏ならつつじやほおづきと、季節感あるあしらいを乗せて、食べるだけでなく見た目も気にするべきなのよね。初めてだからってテンパり過ぎて、そこまでできてるとはお世辞にも言えない。
もし不味いって言われたら死ぬ。いや、死なないけど精神的に死ぬ。と言うより御先様に殺されるんじゃないの? 考えれば考える程ネガティブな事ばかり頭の中を駆け巡るけれど、御先様の箸があたしの小鉢に手をかけた途端に覚悟を決めた。
しゃあない。もし殺されるんだったら、せめて古巣の兄ちゃんに名前を教えてから殺されよう。あたしが神隠しに合った挙句殺されたなんて、どう親に言えばいいんだろう……。思わずぎゅっと目をつぶりそうになったが。
「……ふむ、悪くはないか。地味ではあるが。地味ではあるが」
にっ、二回も言うなぁぁぁぁ!! って、あれ? 御先様は小鉢を一口二口食べた後、今度は岩魚に箸を延ばす。こちらも酒を飲みつつ綺麗に残さず食べてくれた。そしてきのこ汁とご飯。こちらも丁寧に食べてくれたのに、あたしは思わず目を見張っていた。
ご飯一粒残さず食べてくれたのに、心底ほっとした。箸をぱちんと置くと、御先様はゆるりと膝置きに膝を乗せて笑う。
「ふむ、せいぜい励め」
「えっ……その。ありがとうございます……!」
「ただし地味だ。味は悪くはないが、見てくれがそれでは料理が可哀想だ」
「あっ、はい!」
つ、次はもうちょっと見た目に気を付ける。地味なのは分かっていたから。でも料理に使う時間を飾り付けに使うって言うのはやっぱり何か違う気がする……。もうちょっとその辺りは勉強しないと駄目かもなあ……。
****
御先様の食事が終わった後、ものすっごく疲れている事に気が付いた。料理作っている時は全然疲れないけれど、ご飯食べた際に何も言われないのもずっと疲れてしまうんだなあ。
さて、兄ちゃんにちゃんと言わないといけない。兄ちゃんはてっきり酒蔵の方に行くのかと思っていたけれど、台所の方まで着いてきた。
「あれ、兄ちゃんも行くの?」
「そりゃそうだろ。俺だって賄いを食べないと死ぬし」
「あー……」
御先様の食事が済んだら皆のご飯の時間って訳ね。そして兄ちゃんに「おい」と一言。
「何?」
「あんた……そろそろ俺の本名を……」
そうだ。烏丸さんは気付いたらいなくなってたし、今は御先様も付喪神もいない。なら今だったら大丈夫かな。あたしはのんびりと口を開いた。
「兄ちゃんは、古巣雲雀。あたしの近所の造り酒屋の兄ちゃんよ」
一瞬、兄ちゃんは弾かれたように目を大きく見開いたと思ったら、徐々に焦点が定まってきた。
「……ああ、そうだ。俺は雲雀……うん、そうだ。ありがとうな、梨花……!」
「って、兄ちゃんはあたしの名前を言うのかい!?」
あたしは思わず辺りを見回す。い、今はいないね、よかった……。あたしが焦っているのに、兄ちゃんは笑って鼻を引っ掻く。
「ああ、悪い悪い……って事は、お前は名前を伏せてたんだな?」
「ええっと、うん。今はりんって名乗ってるから兄ちゃんもそう呼んでくれると嬉しい」
「ああ、そうかそうか……俺こじか呼ばわりなんだけど……り……りんが兄ちゃん呼びのまんまなら、それでいっか」
「うん。でも兄ちゃんびっくりしたよ? 一年前に急に行方不明になっちゃうしさあ……近所で大騒ぎだったよ」
「えー……俺が駆け落ちしたとか家出したとかって言うのはなしだったんだ」
「兄ちゃん、酒造り以外に興味ないのに、どうして駆け落ちなんて言う発想が出て来るの」
「あはは……違いない」
あたしと兄ちゃんがギャーギャー言いながら台所に入ると、火の神が「りーんりーん」とあたしを呼んで釜戸でぱちぱちと弾けていた。
「りーん、おれがんばったぞ。だから、はやくまかないをおくれよ」
「あ、そうだ。ちょっと待ってね」
残っているきのこ汁をあげたら、火の神はやっぱり火が消えてしまうのかしらん。だとしたら、小鉢? あたしがうーんうーんと考えている間に、兄ちゃんはまじまじとあたしの鍋のきのこ汁を見ていたと思ったら、それをお玉で味見し始めた。
「ん、やっぱお前の味噌汁美味いなあ」
「って、兄ちゃん! 勝手に味見はしないでくれるかなあ!?」
「これに団子でも入れて飲めば美味いんじゃねえかな」
「お団子……あ、ちょっと待って」
あたしは床下を開くと、がさがさと探し始めた。団子だったら白玉粉だったり小麦粉だったりがあったらいいんだろうけど、時間かかるしなあ。なら、麩だったらどうだろう。探してみたら、乾燥麩が何とか見つかった。それをひょいっときのこ汁に入れてみた。じんわりと染みたそれを器に盛って、麩ときのこを分けてあげて火の神に盛ってあげた。
「ええっと、これで大丈夫?」
「おお! ありがとな!」
火の神は舌をカエルみたいにべろーんと伸ばすと、それで麩ときのこを食べ始めた。嬉しそうにぽっぽと火の粉を撒き散らしているから、悪くはないみたい。それにあたしは心底ほっとした。
「あれぇ……りん、もう火の神を手懐けたのか」
「手懐けたって言うか……手伝ってもらってるだけなんだけどな。でも、兄ちゃんもお酒作ってるの?」
「まあな。ここの酒蔵はうちとは比べもんにならねえ位でかいから、最初は途方に暮れたけど、まあ手探りでな」
「ふうーん。あ、そうだ」
とりあえず残り物の麩入り汁に残ったご飯で作った塩にぎりを、あたしと兄ちゃん、あと烏丸さん用に用意しつつ、聞きたい事を口にしてみる。
「ここってさ、調味料とか全然ないけど、今までどうしてたかって知ってる? あのさ、ここって昆布もかつお節もないから、最初は出汁をどうしようってすっごい途方に暮れたんだよね」
「え? そうなのか? 前の料理番は普通に使ってたぞ?」
「……ええ?」
ちょっと待ってよ。さっきまで床下漁ってたけど、そんなの全然見なかったんですけど。あたしが思わず塩にぎりを喉に詰めてげほげほとさせていると、兄ちゃんはのほほんと麩入り汁をすすりつつ、また一言言った。
「ないんだったら、もらえに行けばいいんだろ」