宮司はどこに消えた・三
久しぶりに自分の部屋で自分の布団に寝て、ふと目が覚めると自分の身体が随分軽い事に気付く。
疲れてたんだなあ……知らない間に。そう自分で納得しつつ、着替えて階段を降りて茶の間の方へと向かう。既にお父さんが仕込みをしている頃合いだ。
世間一般ではまだ皆寝ている頃合いだけれど、商店街は違う。どこの店も仕込みのために早朝から起きているし、そこで出て行けば皆に挨拶できる。
お父さんが店の厨房に、お母さんが店の掃除をしに行っているのを見計らって、あたしは台所へと向かった。冷蔵庫の内容を確認してから、あたしは朝ご飯の献立を考える。
昨日は筑前煮だったし、今日は何がいいだろう。野菜入れには舞茸がたくさん入っていたから、それをもらおう。冷蔵庫の近くにはお母さんの趣味の糠漬けが漬かっているから、そこから大根を引き出して刻ませてもらう。
舞茸を醤油とみりん、粉末出汁、砂糖で炒め煮にした後、お母さんが昨夜のうちにセットしておいた炊飯器のご飯に混ぜ込めば、舞茸の混ぜご飯が完成。それを固めに握って、大根の漬け物を添えたらタッパに入れ、急いで裏口から出て行った。
「おはようさん。今日のご飯は?」
あたしが走って鳥居へと向かおうとしているところで、ひらりと黒い影が見えてきた。それにあたしはペコンと頭を下げる。本当に外で寝ていたらしい烏丸さんが飛んできたのだ。
「おはようございます。舞茸の混ぜご飯と漬け物ですよ」
「ほう……こりゃ美味そうだ」
「そうですねえ」
神域だったら使える調味料も限られていたし、化学調味料以外にも手抜き調味料がごまんと存在する現世ってすごかったんだなと、舞茸の混ぜご飯一つとってもそう思ってしまった。出汁パックの中身の粉末出汁の便利さは、毎日かつお節を削っていた身としては染みてくる。
そう思いながら鳥居を潜り、鈴を鳴らしながらお供えをした後、烏丸さんと一緒におにぎりを食べる。あたしはおにぎりを食べながら、烏丸さんに今日の報告をする事にした。
「あの、あたし今日から学校に通うんですよ」
「ほう……そう言えばりんも本来は学問所の生徒だったなあ」
「まあ、あたしの場合学ぶのは勉強もですが、料理の方ですけどねえ。そこでもいろいろ調べられたらなと思います。一応ネット……ええっと、いろいろ調べられる情報網? です……で検索かけましたけど、地元の小さい神社の情報は拾えなかったんで、氏子についても調べた方がいいと思うんで、学校帰りに調べてみます」
「そうかそうか……あんまり無理だけはするんじゃないぞ」
「分かってますって。御先様がお腹空かせないよう、あたしも頑張りますんで」
烏丸さんはあたしのおにぎりを「ご馳走さん」と手を合わせた後、何か言いたげにあたしに視線を落としてきた。それにきょとんとする。
「ええっと、何かありましたか?」
「いや。別に。ただお前さんはいろいろ無茶する性分みたいだからなあ。本当に真面目な話、無茶だけはしないように」
「えー……大げさな。別に無理な事はしてませんよ。無茶な事はしてるかもですが」
「そこだなあ……」
烏丸さんはあたしの頭をぽふぽふと撫でると「りんは学問所もあるんだから、まずは自分を大事にするんだぞ?」と言って笑った。
そこで昨日の事を思い出すけれど、そろそろ戻らないとお父さんやお母さんも朝ご飯を食べに茶の間に出て来てしまうし、あたしが神社に行っていたとなったら、神隠しされて戻ってきたばっかりだから騒ぎになってしまう。聞くには時間が足りな過ぎて「それじゃ、家に戻りましょう!」と言う事しかできなかった。
烏丸さんは、あたしよりも御先様を優先させるはずなのに。そもそも御先様のためにあたしを誘拐したはずなのに。優先順位がおかしくなってはいませんか。
どのタイミングで聞けばいいのかが、よく分からないや。
****
調理学校は当然ながら、料理ができればいい訳じゃない。まずは調理理論も教室で習うし、食中毒対策に衛生学や、メニューの栄養の偏り対策に栄養学だって勉強する。
今日は調理実習はなく、一日座学の日だったから一生懸命ノートを写してそれを読み返しながら、帰りに図書館に寄る事にした。
地元密着型の図書館は、ただで本が読み放題だから、一日中人が多い上に静かだ。あたしも時々料理のレシピ本を探しに来ていたもんなあ。普段はあんまりよらない端っこの方には、郷土史コーナーがある。そこには地元の歴史関連の本だけでなく、地元の人が自費出版で出した本まで並べてある。そこであたしは八咫烏神社の事を調べられないかなと思ったのだ。
普段は寄らないコーナーに足を運びつつ、しどろもどろで本を一冊引っこ抜いては読み、違うなと思えば返してまた一冊引っこ抜いては読む。
やっぱり小さな神社の事なんて、載ってないなあ……。むぅむぅむぅ……とうなり声を上げていると、ふと端っこに寄せてある一冊の本が目に留まった。
【祭囃子とヤタガラス】
自費出版専門の出版社の本だ。どうも地元の人が図書館に寄贈したらしい。八咫烏の名前に手を伸ばして、裏表紙のあらすじを読む。昭和を舞台にした話で、祭りの夜にあった出来事という、ノスタルジックを謳った小説らしい。
だとしたらあたしの欲しい話ではないんだけれど、ひとまず手に取った以上は読んでみようと、ざっとページをめくり始めた。
「……あれ、これって」
思わず声を出してしまったら、図書館で本を探していた人達が怪訝な顔でこちらを見て来るのに、あたしは慌てて本の方に視線を戻して、内容を読む事に集中する。
主人公は八咫烏を祀っている神社の子供で、一晩その神社を守っている神様と一緒に屋台を回って一緒に遊ぶという話。その神様は髪は真っ黒で目も真っ黒。烏のような黒い羽を生やした男性の姿をしていたという。
それだけだったら、ただのノスタルジー漂う話だっていうのに、そこだけで話は終わらなかった。
その主人公のお父さん、つまり宮司さんは事故で亡くなり、その子一家は引っ越さないといけなくなった。その子は手を振って神様にさよならをするけれど、神様はそれで寂しくなってしまった。
寂しい寂しいと泣いた神様からは、どんどん色が抜け落ちてしまい、とうとう町一つから色が抜け落ちてしまった。事態を重く見た神様のお使いは、彼を神様の世界へと連れ帰ってしまった。
神社は今でも神様が寂しい寂しいと、季節外れの色を見せる事がある。それに耳を貸してはいけない。神様は寂しさを分かってくれる人を見たら連れ帰ってしまうから。
内容はそんな具合で締めくくられている。あたしは黙ってその本を貸出し届けを出し、ついでにその際に司書さんを捕まえた。
「あの、この本……」
「自費出版の本ですね。先日寄贈されたんですよ」
「え、先日って、つい最近なんですか?」
「はい」
あたしは頭を下げた後、急いでその本を持って家に帰る事にした。帰る途中で、商店街のお蕎麦屋さんに寄る事にした。まだ夕飯時よりずれているから、今は人がいない。お蕎麦屋さんの前では、まだ小さな子がおもちゃの車に乗って遊んでいるのが見えた。
戸をガラッと音を立てて開ければ「いらっしゃい」と人のよさそうなおじちゃんが顔を出した。そしてあたしを見た途端、びっくりしたように目を開く。
「おや、久しぶり梨花ちゃん。そうか、戻ってこられたのか……」
「おじちゃん、こんにちは! あったかい蕎麦一つ!」
「あいよ」
おじちゃんが蕎麦を茹でて湯切りをする音を聞きながら、あたしは店内をざっと見る。最近お孫ちゃんが生まれたばかりで、おばちゃんやここの店の姉ちゃんは家の方にかかりっきりで、忙しい時間までは出てこないはずだ。あたしはカウンターに座りながら、借りたばかりの本の表紙を、ずいっとカウンターの向こうのおじちゃんに見えるように出した。
「おじちゃん、前に神隠しされた時の事、教えて」
あたしや兄ちゃんより前に、神隠しされていたおじちゃんの話も、一度は聞いておくべきだ。




