御前試合・四
乳鉢で使う分の生薬をすり潰す。からっからに乾いているもんだから、すり潰せばすぐにさらっさらの粉になってくれる。食べた際に舌触りが気にならないよう、丁寧に丁寧にすり潰す。
あたしがごりごりと生薬を潰していると、竈から火の神が変な声を上げる。
「変なにおいがするんだぞ」
「そう? まあ単品だったらそうなるよねえ」
「たんぴん?」
「スパイスって言うのは、ピンからキリまであるから。単品だったら変なにおいの奴も、混ぜればそうじゃなかったりするんだよ」
「そうなのか?」
「そうなのよ」
椿さんに感謝だなあ。生姜だったら思い付いたかもしれないけれど、他のスパイスは生薬だって言うのがすぐ出て来なかったしなあ。粉々になった奴をあたしは手で押してみる。うん、これ位粉々になってくれたら、舌触りで料理の邪魔をしないかな。
あたしは火の神に「とろ火にして……うーんとかろうじて火がついてる位の熱さ」と頼んでから、鍋を持って来てそれでスパイスを炒め始めた。スパイスは香りを立てる方法はいろいろあるけれど、火をかけるのが一番香りが強くなる。
あたしも本で読んだだけの知識だけれど、香りにはたくさん成分が詰まってて、それを効果的に使っているのがアロマテラピーって奴なんだって。
香りの効果って言うのはあたしの専門じゃないけれど、ご飯を食べた際にいい匂いがするって言うのは、食欲を掻きたてるからあながち間違ってはいないと思う。
あたしは香りの立ったスパイスを見ながら「こんなもんかなあ」と思っていたら。
「おお、随分とすっごい匂いがするもんだなあ」
珍しげな声を上げてきたのに振り返ったのは、柊さんだった。あたしは思わずペコリと頭を下げる。
「すみません、騒がせて。あ、明日の料理の仕込みですか?」
「んだんだ、そんなもんだな。そっちも仕込みかい?」
「はい。正直あたしの腕は、柊さんには全然勝てませんけど、やれるだけの事はやってみようと思います」
「殊勝じゃのぉ……そぉこまで下に出ても、おらに出せるもんはなぁんもねえぞ?」
「そんな事……」
「しっかし、料理に生薬をなあ……」
あたしが火から降ろしたスパイスを見ながら、柊さんはにこやかに笑う。料理人はいつだって探究心が持ち味だ。守りに入ったら停滞してしまうから、常に向上心を持たないといけない。
柊さんはあたしの鍋を見て、口を開いた。
「面白い事考えつくもんだなあ」
「うーんと……現世だったら、今は料理でスパイス使うのって割とポピュラー……定番なんですよね。ですから、そこまで面白い事してるとは思いません。むしろ、今のあたしの料理を神様達の口に合うように修正していく事の方があたしの課題です」
「なるほどなるほど……課題が鮭だから、なおの事生薬の香りってもんは一つの鍵になるかな」
「……え?」
「何でもない。さあ、おらもそろそろ下ごしらえしたら寝るさ」
「あ、見ててもいいですか?」
「いいだよ?」
そう言ってにやりと笑う柊さんに、あたしは付いて行く事にした。
柊さんはさっさと勝手場の台に立つと、鮭を一匹持って来た。あれ、塩で絞めてる鮭じゃなくって、生鮭? 塩鮭じゃななくって、今から身を締めるつもりなのかしらん。
そう思っていたら、さっさと鮭を三枚に下ろし始めた。鮭の身はぎゅっと締まっていて、サーモンピンクって名前がある位に、鮭の特徴的な身の色は鮮やかだ。
そして。身は塩を振って締め始める。……まあここまでは予想通りだけれど。問題は骨と皮、頭を集めて、それを血抜きするようにして塩をつけて洗い始めた。それを酒を加えた水で煮出し始めたのに、あたしはきょとんとする。
「もしかして……出汁、ですか?」
「んだんだ。鮭は頭から皮、身まで何でもかんでも食べられる万能食材だべ。全部使い切ってやらん事にゃ可哀想だかんなあ」
「はあ……」
お湯が煮立った所で、一旦骨や皮、頭を取り出し、新しく水を張った鍋に入れると、再び火にかけ始めた。確かに一旦火にかけてしまわないと、いくら美味しい出汁が出るからと言っても、生臭さが残ってしまう。だから最初に血抜きしてから火を通すって肯定は普通の事だ。
でも……鮭の出汁をわざわざ取るって、一体何を作るつもりなんだろう?
丁寧に丁寧にアクを取りながら、あたしに柊さんは声をかける。
「おらの肯定を見て、分かっただか?」
「……下ごしらえが丁寧だなと、そう思いました」
「んだ。料理っつうのは手をかければ手をかける程美味くなるだ。神様達は美味いもんっつうのに食べ飽きてるだ。でも美食を求めるだよ。何故だか分かるか?」
「うーんと……あたし達よりも寿命が長くって、暇だから……ですか?」
「ちょーっと違うだなあ。神様は意地が悪いのだっているし、神罰だって下すだよ。でも信仰っつうもんがなかったら、神様も力が発揮できねえだ」
「あ……」
そこで御先様がぱっと出てきた。
美食を求めるって、つまりは。
「……思いやり、ですか?」
「んだ」
そう言って、にかりと柊さんは笑う。笑うと尖った八重歯が見えて、ちょっとだけ可愛く見える。
「神様が美食を求めるのは、美味い食材を求めてるんじゃねえ。信仰や感謝、思いやりを食らわないといけないからだ。丁寧に丁寧に料理を作るっちゅうのはそういう事だよ。そして不思議ぃーな事に、何でもかんでも、丹精込めて作ったっちゅうもんは言っても言わなくっても他人にも伝わっちまうだよ。だから丁寧にやっていくしかねえのさ」
「……何となく、分かりました」
出汁は塩分が入らない事には、いくらいい出汁が取れたとしても、旨味がどんなものかは分からない。鮭の出汁をわざわざ取る意図は分からないけれど、柊さんは本当に丁寧な料理人さんだ。きっと意味があるに違いない。
やっぱり、この人に「いい」って思わせたいなあ。勝てるとは思えないけれど、認められたい。
あたしは自分の火をかけたスパイスを調味しつつ、調味液を作ると寝る事にした。後は氷室姐さんに話をつけたら、何とかいけるな。
「それじゃあ、おやすみなさい。明日はよろしくお願いします」
「んだんだ。お互い頑張ろうや」
「はいっ」
あたしはぺこりと頭を下げると、勝手場を後にした。
頑張ろう。そう思いながら。
廊下を出て、人間達の寝床に向かった際。誰かが中庭を見ているのが目に留まった。目に留まったも何も……夜でも真っ白な容姿はひどく映えて見える……御先様だった。
「御先様、こんばんは」
「……そちか」
御先様は相変わらず他の神様達に何か言われたのか、ひどくくたびれてしまっていた。それに、朝は蛇神様のせいで食べられてないんじゃないかなあ。
あたしはおろおろしつつも、今は賄いのご飯なんてないし、どうしようと視線をさまよわせる。
だけれど、御先様はいつも見せるような冷たい眼差しではなく、不思議な程に穏やかに見えた。
……相変わらず笑顔を浮かべている訳ではなく、綺麗過ぎて無機質に見える顔をしているのだけれど。
とりあえずあたしは思わず頭をもう一度下げていた。
「すみません、今ちょっと食べ物がなくって」
「ふん、そちには我がそこまで卑しく見えると言うのか」
「そうじゃなくってですね……あー、朝。朝すっごくあれな事になってて、神様と女神様で揉めてしまいましたから。朝餉、食べられなかったんじゃないかと心配してました」
「何だ、そちは」
まるで意外なものを見るような目をされてしまうと、あたしも途方に暮れてしまう。
御先様は真っ白な眼差しで、じぃーっとあたしを見るのだけれど、そこにどんな感情が込められているのかは、全然読めない。
「我が巫女を手籠めにするとは思わなかったんだな」
「手籠めって……御先様の神域にも、氷室姐さんいますし、ご近所さんには海神様おられますし、女神様いるじゃないですか。より取り見取りなのに、わざわざ出雲に来たからって、巫女さんに手を出すとは思いませんよぉ」
あたしはダラダラと冷や汗をかきながら、そう言う。
……そんな事言いたい訳じゃないのにな。ただ単純に、御先様がセクハラに加担してるなんて、信じたくないだけで、御先様がそんな事しないって断言できないのが、ただただ悔しい。
あたしがあたふたしているのに、御先様は「ふん」と鼻で笑った。……まあ、そうだよね。この人、あたしはあくまで下にしか見てないもの。
「そこにそちが入るとは思わんのだな」
「ああああ……あたし、ですか? あー……あたしなんかセクハラしても、いい事ないですよぉ」
「そうか」
「ええっと、夕餉で足りたんだったら、あたしは何も言いません。明日は御前試合に参加する事となりました。御先様に恥じないよう頑張ります」
「そちは」
「はい?」
いっつもあたし、御先様にそんなに呼び止められた事ないのになあ。今日は随分といっぱいしゃべってくれるんだなあと思って、あたしは振り返った。
真っ白な瞳に、真っ白なまつ毛。本当に御先様って綺麗だけれど、形容しがたい外見をしているなあと思いながら、あたしは首を傾げると、ぼそぼそとした口調で言葉を紡いだ。
「我を下に見ぬのは、何故だ? 力もない。そちを返すと我はすぐにでも荒神になりかねぬと言うのに」
あたしは思わず瞬きしてしまった。
確かに、御先様を「この人面倒くさいな!?」と思った事なんて一度や二度ではないけれど、御先様を嫌いだなんて思った事、一度だってない。
だったら好きなのかと聞かれても、あたしだって答えられないんだけどさ。あたしは喉を「うーんうーん」と鳴らして、ようやく口を開いた。
「御先様がいなかったら、会えなかった人っていっぱいいますから。烏丸さんにはずっとお世話になってますし、行方不明だった兄ちゃんには再開できましたし。海神様や火の神やころん。他にもいっぱい色んな人に会えました。
それに、御先様に出すご飯を考えるの、すっごい楽しいです。あたし、ここに来られてよかったんです」
御先様は再び目を丸く見開いた後、本当にか細い声で「そうか……」と呟いた。
本当に。料理以外だとあたし、ろくでもないなあと自分を振り返ってそう思った。
御先様がご飯を美味しそうに食べる姿が見たくなったからだなんて言ったら、また電撃ビリビリになってしまいそうな気がして言えなかった。あたしは今度こそぺこりと頭を下げた。
「頑張ります」
だから応援して下さいなんて。それはいくら何でも失礼過ぎる気がして言えなくって、そのまま別れた。
不思議と充実した気分になっているけれど、まだ全然何もできていないし、明日が勝負だ。
頑張ろう。氷室姐さんを探し出して話をつけたら、あたしは今度こそ眠りに行く事にした。




