御先様の言う通り
烏丸さんについて、あたしは御先様の住まうってされている場所を歩いている。てくてく小さいものが歩いて何かを運んでいるのが見え、あたしが思わずそれを凝視していると、烏丸さんは「あー」と言って解説してくれた。
「あれは付喪神。御先様の世話をするのは人間だけじゃなくって付喪神もいるのさ」
「付喪神って……神様が神様の面倒を見るんです?」
「彼らは人間でも妖怪でもないが、神様よりは神格が低いのさ」
「はあ……」
説明がままならないなあと聞きながらそう思いつつ、頬をホリホリ引っ掻く。赤い火の球みたいなのに手足が生えて、パチンパチンと火の粉を散らしながら歩いて行くのはシュールだし、大福に手が生えている奴が畳んだ服を抱えて歩いているのは妙ちくりんだ。
長い廊下は雑巾がけなんか大変だろうに外の季節感滅茶苦茶な庭が映り込んでいる位ピカピカだし、霞がかった場所の美しさはやっぱり異常だ。しばらく歩いた先に、襖が見えてきた。襖に描かれている絵は、遠足で見たお城のものみたいに金箔が貼ってあったり繊細な松の絵が描かれていたりと、ここは御先様のいる場所なんだろうなと言う事は想像できた。そこで烏丸さんがあたしに「ここまで来たら正座しなさい」と言われ、烏丸さんと一緒に正座した。
烏丸さんが床に手をつきつつ「失礼します。料理番を連れて参りました」と一声かける。たっぷり十秒程沈黙が続いたと思ったら、襖の向こうから「入れ」と声がかかった。
「失礼します」
烏丸さんが音も立てずに襖を開くと、青々しい井草の匂いがむわりと漂った。毛羽立った黄ばんだ枯草みたいな匂いの畳しか知らないあたしからしてみたら、そんな高級感漂う匂いでまずびびっていた。入った部屋は、一体何人泊まれる位の広い部屋なんだろうと言う位に広い畳の間。奥にはこれまた金箔の張られた派手な絵の描かれた屏風の前に、誰かが座っているのが見える。その人から感じるオーラは、まるで真冬に神社やお寺に行った時に感じるような、妙にありがたいと言うか、神秘的と言うか、そんなオーラをありありと感じる事ができた。その人は雲みたいに真っ白でふわふわとした長い髪を垂らし、狩衣って言うんだっけ、真っ白な平安風の服を着て、真っ白な烏帽子を被ってこちらを見ていた。そして背中。烏丸さんみたいに羽根を出しているが、その羽根は烏の濡れ羽みたいな真っ黒とは程遠い真っ白な羽根を出していた。顔は驚くほど人間味がない。すごい美形って言うのは人間に見えない事があるって聞くけれど、これは神様だからこんなに美形なのか、美形だから余計神様っぽく見えるのか、他に神様を見た事がないから分からない。目すら真っ白なのにびっくりしつつ、その真っ白な目を見ながらあたしは頭を下げた。
この人が御先様……なのかな。神様って言っても無茶苦茶綺麗な人なんだろうな位の曖昧なイメージしかなかったけれど、こんなに何だかよく分からないものとは思っていなかったから、どんな顔をすればいいのか分からず、せめてもと表面だけはかしこまった態度を取ってみた。
「烏丸、こやつがか?」
「はいはい、これが新しい料理番ですよ」
「ふむ……おい、そち。名を何と申す?」
「えっ……」
あたしは思わず烏丸さんを見る。烏丸さんは声を出さずに口だけをパクパクと動かした。
『本名を名乗るなよ』
いや、本名を神様に教えるなって言われてるし。でも本名教えずに何て言えばいいんだろう。そもそも神様って人の名前を教えなくっても勝手に知ってるもんじゃないんだな。案外面倒くさいんだな。うん。
適当な事を思いつつ、あたしはしばらく考えてからこう名乗った。
「り、りんと申します」
……嘘だってバレたら、やっぱり怒られるのかな。そう思いながらプルプル震えていたけれど、御先様はこちらの値段踏みをするようにじぃーっと凝視してから、すぐに烏丸さんに視線を変えた。
「まだ子供ではないか。我の料理番が務まるのか?」
「いやいや、料理人としては一流ですよ。俺が保証します」
いやいや烏丸さん。あんた腹減らして倒れてたんじゃないっすか。そんな時に食べたもんは何だって三割増し位美味いと思いますよ、難易度跳ね上げるのやめて下さいませんかね。何て言えたらいいんだけれど、御先様のオーラが半端なくって、ツッコミなんて入れられる訳がない。ただただあたしはダラダラと冷や汗をかくばかりであった。
しばらくあたしを凝視していた御先様は、やがて「そち」とこちらに声をかけてきた。
「ひあっ……な、何でしょうか?」
「厨を用意する。本日の夕食は任せるからせいぜい腕を振るうがいい」
「ほ、本日って……前の料理番さんは、どうしたん、でしょうか……」
そんないきなり全く使った事のない厨房で料理しろなんて言われても、難易度が高いよ。そもそもこんな和風な場所に電気やガスが通ってるなんて全然思えないし、料理できるとは言ってもキャンプでの火起こしやご飯を炊くのなんて、年に一度やったら多い方だもの。
それにあたしの前の料理番さんはどこに行ったんだ。ここに来てからまだ一人も人間を見てないんだけど、まさか不味い料理作った人を石や妖怪に変えてるなんてないわよね? あたしはダラダラ汗をかきつつ烏丸さんの方に振り返ると、烏丸さんは「あー」と一言。
「あの人、孫が生まれるから帰りたいって言ってきてなあ。流石に神の奉公で子孫繁栄を見守れないのは事だろうと帰らせた」
「人の進学については無視するのに、そういう所には気を遣うんすね!?」
「ええい、我を無視するな。りん。それでしないのか? するのか?」
あたしが一瞬でも無視したのを御先様が心底不快げに顔を歪めるのに、あたしは思わず「ひぃーっ」となる。人間離れしている美形が顔を歪めたら恐怖の対象になるなんて言う体験、できれば味わいたくはなかったな。
助けを求めるように烏丸さんを見るけれど、烏丸さんは肩を竦めるばかりだった。
「まあ、何とかなるだろ。御先様は味には細かいが、お前さんなら大丈夫だ」
「あ、たし。そもそも厨房見てもいないんすけど!?」
「大丈夫だろ。ちゃんと「作ります」って言えば問題がない」
「うう……」
基本いい人なんだろうけれど、この人も勝手だな。御先様は御先様でイライラしてるっぽいし、白い肌に青筋が浮き上がっているのが怖くて仕方がない。あー……そう言えばこの人(っと言うか神様を「この人」認定でいいのかしらん?)荒神になりかけてるんだった。あまり怒らせちゃ駄目だよなあ……。あたしは意を決して、とりあえず腕をついた。
「誠心誠意料理させていただきますので、どうぞよろしくお願いします」
ぐちゃぐちゃ考えるのは止めだ。どうせしばらく帰れないんだったら、全然違う環境でもあたしの料理が作れるかどうか、徹底的に学んでやる。まずは、厨を見る所から、なんだけどね。
****
再び長い長い廊下を通り、白い場所へと辿り着く。入ってみれば、火の通っていない釜戸に、大きな羽釜、寸胴鍋が並んでいる。入ってみて包丁を確認してみて、あたしは思わず「うえぇ……」と唸り声を上げる。高過ぎて一流の料理人じゃないと持ってないレベルの包丁は、日頃ステンレス包丁しか使ってないあたしからしてみれば高嶺の花だ。
ステンレスのボウルはないみたいだけど、陶器のすりこぎ器に皮むき器なんかはあるし、菜箸や木べらはあるから道具は問題ないみたい。問題は材料の方だけど。
冷蔵庫は案の定ないけれど、床下には芋や根野菜がどっさり出て来た。魚も新鮮ではないものの、干物はあるみたいだし。外の季節感滅茶苦茶な花畑以外にもいろいろあるみたいだったし、採れるものや使えるものがないか探してこないといけないのかもしれないな。調味料は探してみたものの、塩や味噌までは見つかったけれど、醤油がないのにあたしは思わず「あれ?」となった。醤油なんて日本食の定番なのに。酒やみりんは見つかったけれど、砂糖はない。あたしは思わず烏丸さんを見る。
「醤油はうちの場所ではそう言えば作られてないなあ」
「って、ないんですか!?」
「前の料理番は醤油抜きでも料理はしてたぞ?」
そう言われてしまったらグーの音も出ない。日本食だとさしすせそ(砂糖、塩、酢、醤油、味噌)が基本中の基本なのに、砂糖も醤油もないのは致命的だ。いや、そもそも出汁に使えそうなものだって全然ない。大きな店だったら当たり前にあるかつお節だって昆布だってないんだから、そこの干物を使って出汁を取るしかない。野菜の出汁だってある事にはあるけど、それだと香りが弱過ぎるのよね。まさかこんなに大変だなんて思いもしなかったわ……。
うろうろと探し物をしていると、こちらを伺う視線に気が付いて、あたしは思わず目を瞬かせた。廊下をおいしょおいしょと荷物を引きずって歩いていた、火の玉だった。
「だあれ?」
「何だい、新しい料理番かい?」
「え?」
料理について詳しいんだろうか。あたしは思わず烏丸さんを見る。
「こいつは火の神。小さいが、うちで働いているやつだよ。付喪神の中でも上級の奴だな」
「へっへっへっ。おれがいなきゃここの厨は全然うごかないからな!」
烏丸さんが持ち上げると、当然と言ったように火の玉がふんぞり返ってくる。って、そう言えばここ……。あたしは思わず釜戸を見る。釜戸の脇には大量に薪が詰まれているし、燃えやすいようにと藁も置かれているけれど、肝心の火を付ける道具……ライターとかマッチなんて期待できないけれど、火打石なんかも全く置いてはいない。
「じゃああんたに頼まないといけないんだ? 火の事は」
「対価は払えるのかい?」
「ひあっ?」
「あー……御先様の時も言っただろう?」
火の神に言われた事にあたしがびびっていたら、烏丸さんが口を挟んできた。
「神は基本的に対価を支払わない事には願いを叶える事ができない。それは神格の低い付喪神だって同じって事だ」
「そんな……あたし何を支払ったらいいの?」
「前の料理番のご飯はうまかったんだぞ!」
そう言いながらぴょんっと火の神が火の粉を吹きながら笑う。
「……もしかして、まかないが欲しいの?」
「おうっ」