御前試合・二
重ったいお釜を運んで、どうにかお米を洗う。
うう、対戦する相手の人の料理を見てみたいんだけれど、対戦相手が偵察に来ましたなんて言うのは、失礼じゃないかなあ。それとも、あたしよりずっとキャリア積んでる人みたいだから、相手にされないのかな。
うーん……お釜に水を入れつつ、どうしたもんかなあと思っていた所で、お釜に人の姿が写っている事に気が付いて顔を上げた。肌の色は随分と悪いものの(土色なのか灰色なのか分かんない色してるよ、明らかに人の肌色じゃないもの)、顔のパーツ自体は随分と整っている人だ。うねった髪の色は焦げ茶色で、それを鉢巻で留めていた。白い作務衣に前掛けからは濃い出汁の匂いがするし、あたしと同じ料理係の人みたいだけれど……。
「ああ、おめさんかい。女神側の代表は」
「へ?」
あたしは一瞬誰だと思って……気付いた。この人か、柊さんって。あたしは思いっきり頭を下げた。
「えっと、今朝はご迷惑おかけして、すみませんでした……!」
だらだらと汗をかきつつ、あたしはペコリと頭を下げる。神様達がセクハラするために巫女さん達閉じ込めるとかするなんて思いもしなかったんだもの。いや、あたしが甘かったのか、これは。あたしがだらだら冷や汗かきつつ、ひたすら謝るのに、柊さんははははと手をひらひらさせる。
「いんや、神様も時々羽目外すし、おめさんが騒ぎ起こさずとも、女神様達が騒ぎ起こしてただろうから、おめさんが先に騒ぎ起こしてくれて返ってありがたかったなあ……あんのお人達、おら達がいる事まるっと無視して、三日三晩戦始められたら、出雲の宴が滅茶苦茶になるとこだっただ。神様と女神様のいさかいが面倒臭いのは、古事記や日本書紀にも書かれとる事さね」
「うはあ……そこまでひっどい喧嘩するもんだったんです? それ」
「痴情のもつれっつうのは、どぉこもそんなもんさね」
そう言ってニカリと笑うのに、あたしは自然と釣られて笑ってしまった。いい人そうだなあと思ったけれど。どうやって切り出そう。あたしが思案しようとする前に。
「まあ……世間話はこんなもんで。あの麺食べただ」
「え……あれ、食べて下さったんです?」
そりゃ賄いは朝餉の残りなんだから、ここの料理人さん達だって食べるだろうけれど。そっか。あたしの料理は既に柊さんに食べられてたんだ……あたしはダラダラと冷や汗をかいていると。柊さんは「んーんーんーんー……」と顎をしゃくってコテンと首を傾げる。そして「はあー……」と溜息。
「斬新っちゃあ斬新っちゃねえ。あんなんはおらの発想では出てこないわ。美味かった」
「あ……ありがとう、ございま……」
「ただ、一人だから仕方なかったとは言えど、雑っちゃ雑だったね。使っていいもんはもうちょっと上手に使った方がええ。付喪神とちゃんと契約してるんだったら、助手ももうちょっと使って、もうちょっと工程を丁寧にやった方がええ。まあ今回は斬新さが勝って女神様達も見逃してくれたみたいだが」
「うっ……」
あたしは柊さんの的確な指摘に、思わず言葉を詰まらせた。うん、そうなんだよね……。一人分作る、二人分作るって言うのと、八百人分作るって言うのは、とにかく手順が全然違う。アクを取るのだってもっと丁寧にやった方がいいけれど、次の作業が待っているし、麺だって茹でている時はもうちょっと見ていた方が、もっと一番いい瞬間に麺を引き上げる事ができる。
「すみません、ご指導ありがとうございます……」
やっぱり慣れている人にはばれちゃうんだなあと、あたしは肩を落としたけれど、柊さんはあっけらかんと笑う。
「いんや、自覚がちゃんとあるんだったら直せばええさ。失敗は成功の母。二度失敗しなかったらいいんさ」
「そうですか」
「そうそう。そもそも新米のぺーぺーが、最初っから上手かったらおらも料理長も地獄からわざわざ料理をしに来る必要なんてねえんだからなあ」
「あ……そうなんですね……」
そりゃ獄卒の人達が出張で料理しに来てるんだから、そんな反応になるのかな。そして柊さんはちらっと厨の方を見ると、にかっとあたしに笑いかける。
「おらの料理が気になるんだったら、見てみるか?」
「えっ……ええっと、いいんですか? ご飯のセット……炊くのをしてから、になりますが」
「んだんだ。育てないと駄目なんだから、ちゃんと見せなきゃ駄目だべ」
「が、頑張ります……!」
あたしはそわそわしながら、柊さんについていった。
火の神にご飯の面倒を見てくれるよう、お釜をセットして頼むと、柊さんの配置に向かう。
邪魔にならないよう、あたしは調理台にあるものを片付けつつ、柊さんの動きを見る事になった。兄ちゃんはこの人は小細工抜きの和食を作るって言ってたけど。
柊さんの担当は揚げ物で、今日の揚げ物は太刀魚だった。でんっとまな板の上に置くと、本当に鮮やかな手付きで三枚に下ろして、食べにくい骨をぴんぴんと取って行く。その作業は流麗で、本当に無駄がない。うずらさんも相当腕がいい人だけれど、柊さんは無駄がない上に、動きがものすごく速い。
油を引いた鍋を用意すると、柊さんは火に話しかける。
「泡が鳴いたら、火を上げてくれ」
「了解」
「えっ?」
火をつけていたのは、あたしの火の神とはまた違う火の神だ。ああ……そっか。揚げ物の最適温度になるよう、火の神に合図を教えていたんだ。
太刀魚の綺麗な白身に粉をつけると、油にさらさらと粉を落とす。最初はただ、粉は沈むだけで何の反応も示さないけれど。次の瞬間、くぷり。そう言いながら泡を吐き出した。途端に泡が激しくなったのを見計らって、柊さんは太刀魚を油の中に落とした。
あたしは皿に並べられた粉のついた太刀魚をじっと見る。衣は薄く、さっくりと揚がるようになっている。割烹の唐揚げは天ぷらよりもさらに粉が薄く、抹茶塩をつけて食べるタイプのものだけれど。これ、身に対して何の仕掛けもせず、本当に揚げるタイミングと粉の量で、衣はさっくり、身はほっくりに揚げられるように調整されている。
……もし。もしも。
お題に出された鮭を思う。鮭は皮まで余す所なく全部食べられる魚だし、あれを柊さんの腕前で揚げられたりしたら、絶対に美味しいと、自然と口の中でよだれが出てきた。
「おめさん、今揚がった奴を皿に盛り付け。できるか?」
「は、はいっ……!」
あたしは慌てて我に返って、揚げたての太刀魚の唐揚げを盛り付け始めた。四角い皿にシンプルに盛っていくと、巫女さん達がそれを運んでいくのが見える。あの子達はちゃんと助かってよかったなと、そうほっとしながら。
額から汗が噴き出るのを、前掛けでどうにか拭いながら、最後の皿を仕上げた所で、柊さんは「ん」と喉を鳴らした。
「どうだい、参考になったかい?」
「うーん……勉強になり過ぎて、本当どうしようと思いました」
「経験だったら、そりゃおらのがおめさんより長い事ここに立ってるんだから当然さね。でも、ま」
柊さんは笑う。老獪って言葉が出るのは、この人の方が明らかにあたしより年上だからなのかもしれない。
「おめさんはおらにはないもんがあるんだから、それ使って頑張れ」
「……分かりました」
賄いを食べながらも、自然と頭がぐるぐるとしてしまう。多分柊さんが作るのは、シンプルな揚げ料理だと思うけれど、あたしはそれに何で対抗できるんだろう。
あの人の料理はシンプルにシンプルに、経験値に物言わせた料理だけれど、柊さんになくって、あたしにあるものって何だろう。あたしはうーんうーんと唸っていると。
「りん、りん。おいらの賄いはまだかい?」
「あっ……ごめんごめん。すぐ出すね」
いけないいけない。今日ものすっごい頑張ってくれたのに火の神の賄いを忘れたら。あたしは慌てて柊さんが揚げた唐揚げをひょいっと火の神にあげて、「あ、そうだ」と膝を曲げて火の神に聞いてみた。
「ねえねえ、それ美味しい?」
「んー? 美味いぞ。でも今日はりんの料理じゃないんだな?」
「はあ……やっぱり分かるんだ」
「いっつももらってるんだぞ」
「そだねえ……ねえ、火の神」
「何だ?」
「あたしとその料理、どう違うと思う?」
あたしの問いに、火の神はキョトンとすると、あっさりと言い切ってくれた。
「今食べたのは、美味いぞ。でも食べた事がある気がする」
「え……? こんなに美味しいのに?」
「おいらはこれでもりんよりうーんと長生きで、食べたものだってたくさんあるんだぞ」
そう言われて、あたしは呆然とする。柊さん、無茶苦茶料理美味いし、あたしなんてあれだけの揚げ物できるようになるの、何年かかるのか全然分からないのに。それを食べた事あるって……。
そんな人にどうすればいいの。そう言いたくなったけれど、火の神はあっさりと。
「りんの作るものは、美味いぞ。それに、食べた事のない味がする」
「……へ?」
「確かに美味いって言うのは、ずっとやっていけば作れるようになるんだぞ。でも、美味いって言うのに食べた事ないって言うのを加えるのはすっごくすっごく難しいと思うんだぞ。りんは、御先様に美味いって言わせたんだろ? それは、もっと自信を持ってもいいんだぞ」
そう言われて、あたしは不覚にも、じん。としてしまった。美味しいって言われているのは、ただ珍しいってだけじゃないんだなと、そればかり。
柊さんも言っていた、あたしにしかない武器は、多分発想力。柊さんもずっと割烹ばかり食べていたから分からないだろう料理は、現世で普通に洋食もインスタントも食べていたあたしの方が知っている。
考えよう。トマト麺みたいに、朝から酒の後でも食べられて、尚且つ、柊さんの揚げ物に負けない料理を。そうと決めたら、あたしは急いで食糧庫を見に行く事にした。




