御前試合・一
御前試合で女神様方から選ばれた料理係は、神在月の宴に呼ばれた料理係で女はあたしだけだったから、必然的にあたしになったのに、思わず氷室姐さんに泣き付いた。
「あの。あたしで大丈夫なんです? さっきも随分と大事になってしまいましたし……」
「あーあー……あんたがそんなに気にする事はないさね。蛇神様なんて女好きだから、巫女と戯れたくてあんな阿呆な事したんだろうしね。その手の話っつうのは、女神にしてみりゃそりゃご立腹にもなるよ」
「はあ……それだったら別に」
「そぉんな事より、あんたの方が大丈夫かい? 男神が誰を選ぶのか、何も言っちゃいないけど」
「あー……あたしも一晩しかご一緒に料理作ってないんで。料理長とかうずらさんと勝負しろだったら、あたしが負ける自信しかないんですけど」
「うーん、蛇神様もひねくれてるからねえ……確かに無茶苦茶料理の上手い奴選んで、ひよっこのあんたをこてんぱんにするっつうのも考えられそうだけれど……でもそんな分かりやすい嫌がらせするかねえ……?」
神様は皆意地が悪いとは、ここに来るまでにさんざん言われてたけど、蛇神様のその底意地の悪さは一体何なの。思わず頭を抱えそうになっちゃうけれど、それだけじゃないよね。
しばらくしたら、あれやこれやと話をしていた料理長がやってきた。
「りん、男神の方の料理係も決まったし、お題も決まった。それに合わせて料理をするように」
「あ、はい……! えっと、どなたになりますか?」
「出雲大社の料理係の柊だよ。この数十年、ずっと獄卒から出向して料理を作っているから、大丈夫かねえ」
「えっ、どの人です?」
「ほら」
料理長が指差した人は、蛇神様と何やら話をしていた。獄卒出身と言えばうずらさんもだけれど、うずらさんはいかにも幽霊って出で立ちなのに対して、柊さんは随分とすらっとした体躯で、短い料理で白い服を着た、いかにも板前さんって感じの人なのに、あたしは思わず「ほぉー……」と唸った。
うずらさんは懐石料理専門の人だけれど、あの人は一体どんな料理を作る人なんだろうと、ちょっぴりわくわくしている自分がいる。あたしが思わずウキウキしているのに、料理長が苦笑しながら続けた。
「お題は、今の時期ぴったりの鮭で一膳まとめる事だ」
「鮭……ですか」
「やれそうか? 一匹まるまる使っての一膳だ」
「……頑張ります。試合の日は?」
「明日の朝になる」
「……分かりました」
それから料理長さんは簡単に説明してくれた。
お題は鮭一匹を使ったご膳。審査員は公正を期すようにと、男神二柱、女神二柱、料理係一人の審査だと言う。朝からって事は、夜は普通に皆で宴のご飯を作るって訳ね。
あたしは頷いてから、倉庫を覗きに行く事にした。
ひんやりとした倉庫の、お題に使われる鮭を見て、思わずあたしは「うわあ……」と呟いた。
鮭はえら以外は全部食べられるって事で、全部料理できて一人前とは言うけれど。鮭をさばいてみて、その皮の裏にぷりっと詰まった脂に、丁寧に付いた肉、肝もつやつやしているのに、バラバラにしてみて本当にゴクリと唾を飲み下してしまう。
全部丁寧に食べてしまえば、多分すっごく美味しいし満足してもらえるけれど。でもなあ……。うずらさんの蛸さしを思い出し、うーんと唸る。
鮭で一膳作るんだったら、骨とあらを使って三平汁、肝は味噌に漬けてきゅうりと和え物、切り身はシンプルに塩焼き……って言うのが一番美味しいと思うし、素材の旨味を存分に発揮できると思うんだけれど。
「うーん……」
確かに美味しい。絶対間違いなく美味しいけれど。それだったら今晩も宴会二日目で胃が絶賛荒れ放題な場所で、そんなご飯を出して大丈夫なのかな? それに、審査員の神様達は、あたしの対戦相手の一膳も食べるんだから。だからと言って優し過ぎる料理だったら、先攻後攻の順番に寄っては味を忘れてしまう。
あたしが「うーんうーん……」と唸っている矢先。
「はあ? お前何やってんの」
背後から声をかけられて、あたしは思わず「ひゃっ!?」と叫ぶ。兄ちゃんが倉庫をがさがさ漁っていたのだ。
「あれ、兄ちゃんは何してんの」
「んー、神様達に酒を出すんだし、りん達の料理が来るまでの間の繋ぎを作る準備だな」
「杜氏の人達そんな事までしてたんだ……」
「まあな、あの人達、酒が切れたらうるさいの何のって……それより、りん。お前こそ、朝っぱらから無茶苦茶中庭うるさかったけど、何かあったのか?」
「ああ、あれねえ……」
簡単にあれこれと説明したら、兄ちゃんはだんだん面白い顔になったと思ったら、「はあ……」と呆れて言葉も出ないって感じで顎をしゃくり始めてしまった。
「はあ……あっきれた。男神様が巫女さん達にセクハラなんてしょっちゅうだけど、それが原因でお前まで変な事に巻き込まれてなあ……」
「巻き込まれたと言うか、あたしが巻き込んだと言うか、だけどね」
「でもなあ……御前試合かあ……うーん。俺もそんなんに立ち会った事なんて初めてだしなあ」
「ねえ、兄ちゃん。料理係の柊さんって人と対決する事になったんだけど、柊さんってどんな料理作る人かって知ってる?」
「柊さんなあ……あの人は俺が杜氏として神域に呼ばれた頃からずっと出雲に出向に来てる人らしいからなあ。まあ獄卒なんだけれどな」
兄ちゃんは何とか記憶を探るように、「んーんー……」と顎をしゃくり上げながら、ネギとかを手に取っていた。ネギを焼いて香りをつけた吸い物でも酒の間に挟むのかな。
「まあ、尖ったもの作る印象はないなあ。オーソドックスな日本食。だからりんみたいな尖った感じはないんだよなあ」
「うーん……あたしも直球だったら絶対に太刀打ちできないもんなあ」
「はあ? 何で直球だとイコール負けなんだよ」
「技術で絶対に負けてるのに、直球で勝てる自信ないっすけど」
「だって、美味い方が偉いに決まってるじゃん。どっちが好きとかじゃ駄目なのか?」
兄ちゃんがあっさりと言い出すのに、あたしは思わず「うう……」と唸った。
知らないものは、どうしようもない。まずは柊さんの料理を知った方がいいかなあ。あたしは兄ちゃんが野菜をガサガサ漁っているのを見ていた。
「それ、どうすんの?」
「酒のあてに、全部炭であぶるんだよ。焦げの匂いだけで充分酒が進むんだよ」
「ネギとか芋とか、シンプルなもんだけでいいんだね……」




