宴の幕間
『──様、──様、どうか願いを叶えて下さいませ』
しゃんしゃんしゃんと、鈴が鳴る。
時折投げ込まれる賽銭は、神主達一家に行き届く事だろう。
神社には供え物の酒があり、米があり、野菜があり、季節によれば魚や肉もある。
神格が上の、それこそ伊勢や出雲とは比べ物にはならないものの、境内には子供があふれ、年寄りが茶飲み話をし、猫があくびをする。
牧歌的で暢気な、そんな時が。
いつまでも続くと思っていたのだ。
人間は勝手だ。勝手に「自分」を神に祀り上げてここに封じ込めてしまったと言うのに、「自分」に飽きたらすぐに他所に行ってしまう。
力はどんどん衰えた。神域に自分以外の付喪神を住まわせ、住まわせる対価に生活のもろもろの面倒を見てもらわないと動けない程には。
ここの裏神主の烏丸が面倒を見なければ、いつかは朽ち果ててしまうだろう。いや、朽ち果てても構わないと思っていた。
烏丸が食事も満足に取れなくなった我に、食事係を連れてくるようになったのはいつからの事か。
年寄りもいた。若者もいた。時には幼子もいたし、女もいた。さらわれてきた人の子は我に震えながら食事を用意するのに、我はあぐらをかいて見守っていた。
──ああ、人間は勝手な生き物だと。
出された食事は味がしなかった。「甘い」「辛い」「苦い」「酸っぱい」。味は確かに分かったが、それだけだ。それがどんな味をしているのかがさっぱり分からないと烏丸に告げたら、心底困り果てた顔をされてしまった。
「おいおい御先様、そりゃ相当まずいんじゃないかね? 神格もそこまで落ちるなんて」
「構わぬよ。いい加減烏丸も諦めたらどうだ。そちがいくら人の子を連れてきてもおんなじぞ。我は変わらぬ。このまま朽ち果ててただの烏に戻れたらどれだけいいか」
「勘弁してくれよ……烏天狗だって、死活問題なんだよ。あんたと心中は流石にごめんこうむる」
「心中してくれと頼んだ覚えはない。他所にでも行けばいいだろ。羽があるのだからな」
「そんな無茶苦茶な……」
裏神主も何を言っている事やら。
このまま神域の空気が薄くなり、やがて神域と現世の境も曖昧になる。我はそのまま落ちて妖怪になりうるのかもしれないが、それより先に消える方が先だろう。
あと何百、何千、何億先かは分からないし、もうすぐなのかもしれないと思っていたら。
またも勝手な人の子が現れた。
烏丸が連れてきた食事係は、今度は女子だった。まだ元服もしてないような、目に力の入らぬ子供。酒の味も満足に知らないような子供が何を作るのかと思えば、ここにあるものを「足りない足りない」と言いながら、自分が作りたい料理の材料を揃えはじめる子供だった。
今までは形に沿ったような料理から、外れ過ぎた料理、訳の分からないものまで食べさせられてきたが、この子供の作る料理はどういう事か。
「あたたかい」「滋味深い」。
「──ああ、美味しい」。
神社の境内を、子供が遊んでいた頃を思い出した。
縄跳び、ケンケンパー、缶けり、めんこ遊び。
そんな頃はもう二度と還らないし、神社に人は集まらない。
それでも。身体がどんどん動かなくなっても、手放したいと思った事など一度もない思い出であった。
その声を思い出させるような、本当に久しぶりに「美味い」と感じる食事を作る子供だった。
人間は勝手だし、神はもっと身勝手だ。さっさと消えてなくなりたいと思っていたが、差し出された握り飯を見ていたら、不思議とそんな気分も失せてしまった。
初めて神域に来た時も、現世と勝手が違う厨で四苦八苦しながら米を炊き、それをよそって差し出した事を思い出した。
子供が差し出した握り飯を食べる。
しゃくり──
我の神域の米よりも、出雲に奉納された米の方がよっぽど薫りが高い、塩だって我の神域のものよりもいいものを使っているだろう。だが。
あの子供が作った握り飯でなければ、きっと「塩っ辛い」「甘い」しか分からなかっただろう。
「──美味い」
一体いつぶりだろうか。出雲で食べる飯を美味いと思ったのは。
針のむしろで食べる懐石よりも、宴の合間に食べる握り飯の方がよほど美味とは、我の神格もよっぽど落ちたものだと、自然と口角が持ち上がった。




