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神様のごちそう  作者: 石田空
神在月編
20/79

神在月の宴・五

 はじめちょろちょろなかぱっぱ。赤子泣いても蓋取るな。

 ……なんて。歌を歌いながらご飯を炊いている暇もない位に、勝手場は戦場と化している。汗がものすごく、首から手拭いをかけているけれど、手拭いも竈の灰やらすすやらあたしの汗やらを吸って、黒ずんでしまっている。あたしはその中で、ひたすら米を炊き続けていた。

 一体何人分米炊いたよ。八百なんて数字、本当に舐めてた。それでも。


「りんー。次の米ーだぞー」

「ありがとっ!」


 米を下から一気にかき混ぜると、おこげの部分をもったいないと思いつつも火の神にあげる。そして次の釜をセットして、あたしは炊けたばかりの米を急いで茶碗に持って行った。

 普段食べている御先様のお米も、結構いい奴だと思うんだけれど。神在月の奉納のお米は、炊き立てだと細かい糸を引く位に独特の粘りがあり、少しだけ冷めて適温になると、ぴかぴかと光って主張する。おネバのできる米は総じていい米なので、あたしは自然とゴキュリと唾を飲んでいた。出されたお新香を小鉢に沿えて、それらをお盆に片付けると、赤い小袖のお嬢さん方があたしの米を取りに来た。

 あたしは隣でお新香を刻んでいた人にそっと尋ねる。


「あの人達は?」

「神在月の間、神に奉公する巫女さんだよ」

「えっ、巫女さんって……神社の?」


 あたしが知ってる限りだと、白い着物に赤い袴で、お祭りの時になったら踊っている人達だ。小袖を着て、それをまくり上げてお盆を抱えている人達とはイメージが違うんだけど。

 あたしがはてなマークをいっぱい浮かべているのに、「ああ……」と納得してくれる。この人も顔色すこぶる悪いけど、地獄から来た人なのかしらんとぼんやりと思う。だんだん慣れて来たなと自分に呆れつつ。


「そりゃ緋袴で着物だったら仕事しにくいだろ。神様方はわがままだからなあ」

「……皆言いますよね、そればっかり」

「毎年ここでしごかれてるからなあ。そんな季節なんだろうさ。ほら、仕事に戻った戻った」

「はいっす」


 巫女さん達がピンとした背筋でご飯を運んでいくのを確認してから、あたしは再び米の番に戻った。これが終わったらうずらさんの手伝いに行かないといけないし。最後のお茶碗にご飯を盛った瞬間、ぜい……と息が出た。

 あたしは火の神に声をかける。


「ちょっとうずらさんのお手伝いに行ってくるから、留守番お願いね」

「人の手伝いか?」

「あたし、ここだったらぺーぺーだもの。全然役に立たないかもだけれど、勉強してくるよ」

「おうっ、勉強しておれにうまいまかないを作ってくれよ!」

「調子いいなあ……」


 あたしは肩をすくめると、急いで勝手場を走って行った。蛸料理をする場所は水場で、そこで料理するって聞いている。確かにここの勝手場だったら火が多過ぎて、生もの扱うんだったら温度ですぐ駄目になっちゃうかもだしなあ……。氷室姐さんがいたら話は別だろうけれど、姐さんはあたしらと違って来賓側だし。

 そう思いながら水場に出ると、そこでは既に蛸に塩を塗り込んでいるうずらさんの姿があった。蛸が足をうねらせているのを見て、あたしは喉を鳴らした。


「すみません、お手伝いに来ました!」

「来たか、それじゃあこれ。汚れを取るために全部塩を塗り込んでくれ」

「あっ、はい!」


 生きた魚だったらともかく、生きてる蛸の扱いなんて初めてで、吸盤が腕や手に貼りついて悲鳴を上げていたけれど、だんだんと慣れてきた。でも表面は塩を塗りたくった所でまだぬめったまんまだ。

 これ、そのまんま料理して大丈夫なのかな。こんなぬめってる皮、包丁で削げるのかな。あたしがそう思っていると、うずらさんは「塩を塗り込んだ奴はそこの大桶に入れてくれ」と指を差した。うずらさんの手はぬめった蛸相手でもよどみなくて、その手さばきにほれぼれする。

 そしてうずらさんは蛸に丁寧に包丁の切り込みを入れていく。


「こうする事で、蛸はもう動かない。それでも足は勝手に動くけれど、逃げる事がなくなる」

「ああ……切った部分は神経ですか?」

「まあ、そうなるな。それで、ここからが肝心だ」


 塩で洗って二度洗い? そう思っていたら、うずらさんは問答無用で蛸に包丁を向けると、足一本を切り落とした。そしてその足をひょいと足元にいた何かに落とした。


「あっ」


 それは大きな雫に目と口が付いているような生き物だった。火の神も火の玉に目と口が付いているような感じだったけれど、こいつも水の神……って事なのかしらん。こいつには青い手足がついているけれど。

 うずらさんはあたしがまじまじと水の神を見ているのにニヤリと笑った


「こっちには洗濯機なんて文明の機器なんてもんないと思ったんだけどなあ。慣れればこっちの方が楽だな」

「ええっと……洗濯機、ですか?」

「水の神、回れ」

「ぐーるぐーる」


 あたしの質問には答えず、うずらさんが短く水の神に命令すると、水の神はぐるぐると腕を回すモーションを取った。途端に。蛸の入った大桶の中に張った水が、ぐるぐると回転を始めた。それこそ、洗濯機みたいな感じだ。

 ぐるぐると渦潮ができ、その渦潮の中で蛸が洗い清められていく。あたしが呆気に取られて見ていると、うずらさんは笑顔でぐいっと大桶を見せてくれる。


「蛸は一度洗濯機に突っ込むのがセオリーだ。その方が汚れもぬめりも落ちるし、身も柔らかくなる」

「え……汚れやぬめりだけじゃなく、締まるんじゃなくって柔らかくなるんすか」


 水の神の簡易洗濯機のおかげで、蛸のぬめりもすっかりと落ちてしまった。あたしがほれぼれと見守っていたら、うずらさんは蛸をさっさと取り上げると、それを綺麗にさばき上げる。蛸を透ける位に薄く切るのは技術がいるのに、うずらさんには迷いがない。

 そしてふいに。薄い切れ端を一枚あたしに向けてくれた。


「……へ?」

「食ってみろ。これで身が柔らかくなったかが分かる」

「あっ、はい」


 醤油も塩もないけれど、あたしはうずらさんが切ってくれた刺身に恐る恐る口をつけた。

 ……甘い! あたしは思わずその蛸の食感に目を見開いた。身がきゅっと締まっているけれど、硬くはなくって、むしろ身はプリプリしている。そして噛めば噛む程、蛸の甘味が広がっていくのが分かる。


「これを切って、つまを付けて出すんだ。これだけの薄さに、だ。やれるか?」

「……やります」


 うずらさんの蛸刺しの薄さはすごい。これ以上薄かったら、もう身のプリプリ具合を堪能できないし、分厚すぎても身の柔らかさと甘さを楽しめない。あたしはうずらさんに食べさせてもらった厚さを求めて、必死で包丁に手を伸ばしていた。

 これは醤油でも、塩でも。ちょっとの塩気が充分甘さを引き立たせる。慎重に、それでいて速く。蛸は神経を切っていても、驚く位にじゃじゃ馬だけれど、それに負けないように必死で包丁を立てていた。

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