神在月の宴・三
あたしは今までにない位に大きな釜でご飯を炊かないといけなくって、一つ一つをどうにか水場まで担いでいく。大八車でもあればいいけれど、それがない以上は自力で運ぶしかない。でもご飯が炊けなかったら、宴の意味がない。いや、宴の主役はお酒かもしれないけれど。
あたしはうーんうーんと釜を全部運び終わった時には、手がヒリヒリと痛むし、腰は痛いしで大変だった。料理は身体が資本で、神隠しされてからこっち、あっちこっち巡りをしたり走り回っていたりしたから結構身体は丈夫だと思っていたけれど、もっと鍛えないときっと持たないなと思い知らされてしまった。あたし、料理人になりたいのであって、ボディビルダーになりたい訳じゃないのにな。
何はともあれ、こちらは転がしてきた米俵を破くと、それぞれの釜に入れて、じゃっじゃと洗い始める。うう……米プラス水で、ただでさえ重かった釜がますます重くなったよ、これどうやって勝手場まで持って帰ろう……あたしが項垂れていると。
「人間……?」
「ふあい?」
ものすごーく怪訝そうな声を聞いて、思わず振り返った。料理長は鬼だったんだから、これ以上驚く事はないぞと思っていたけれど、見た瞬間顔を引きつらせてしまった。
真っ白な着物の袷は通常の逆だ。三角巾を頭に巻いているけれど、これ、どう考えても……。傷みまくっている髪を一つに結ってはいるけれど、その傷みきった髪はぴんぴんと跳ねていて、おまけに当人の顔色はものすごーく悪い。
何。何なの。神在月って、地獄の獄卒(疑惑)だけじゃなくって、地獄に堕とされた人(疑惑)まで料理しに来てるの……!? あたしは顔から血の気が引いて行くのを感じつつ、顔を引きつらせた。
地獄に堕とされた人(疑惑)は不思議そうに瞳孔が見えない目であたしをまじまじと見てきた。土色の肌がホラー以外の何物でもなく、あたしは必死で「ひぃ……」とも「ぎゃー」とも言わないように唇を噛みしめていた。
「何でこんな所に?」
「こ、米、洗ってまし、た……!」
「人間が? 神様の? ご飯係?」
「ひゃ、ひゃい……!!」
あたしは背中が冷たくなるのを感じながら、何とか声が出なくなりそうな声帯に仕事をさせてパクパクしゃべっていた。それでも唾液が全然出てくれなくって、声はすかっすかで通らない。伸びない。
地獄に堕とされた人(疑惑)は「ふうーん」と間延びしたように言うと、ぽつんと言い出した。
「じゃあさっさと米洗いしちゃってよ。そろそろ水に漬けておかないと宴会に間に合わないでしょう?」
「ひゃ、ひゃい……!」
さっさと洗ってしまってどかないと、取り殺される……!
神域に何で地獄に堕とされた人(疑惑)がいるのか知らないけれど、粗相がないようにしなければ……!
そう考えたらがっと米俵破いて米を釜に入れると、じゃっじゃか洗う手も早くなるって言うもんで。あたしの知っている市販の米よりも、神域の米の方が糠臭いから、洗うのに余念がない。現代日本の精米技術って、ちょっと水で洗うだけで、もう糠のにおいなんかしなくなるからすごかったんだねって改めて思う。
あたしがじゃっじゃと米を洗っているのを、まじまじと地獄に堕とされた人(疑惑)は「ほぉー……」と見守っている。……み、見られるような技術じゃ、ないよね。これは。料理の基本だし。
「現世だったら食べ物なんてにおいしないと思っていたのに、まあ……ちゃんと糠のにおいに気を使った洗い方してるなあ」
「ふぁ……? そりゃ、神域と現世だったら、精米技術とか違いますし、糠臭いご飯なんて神様に出せませんし……」
「いやあ、それ知ってて人間をご飯係にするとは、そこの神もやるなあ。はあ、驚いた驚いた」
あたしはひとしきり勝手に関心している地獄に堕とされた人(疑惑)に、何とも言えない顔になりつつ、どうにか釜一つの米を洗い終えた。あと何個分あるんだっけな。
御先様が神格落ちちゃってるから、人間のご飯係連れてこないとご飯が食べられないなんて事、今出会ったばかりの人(死人? 幽霊?)に言える訳ないしなあ……。
冷や汗が収まったのを感じつつ、どうにか釜の米洗いを終え、水に浸けた所で、「なあ、米炊き以外で仕事はあるか?」と聞かれてしまった。あたしはぶんぶんと首を振る。
「あたし、今回の神在月が初めての出雲入りで……下っ端にさせる仕事はないと思います」
「そうかそうか。料理長も何も言ってないか。何も言ってないって事は、お前うちに来ないか?」
「はあ? ええっと、どういう意味で?」
「ちょいと蛸が入ったから、蛸料理出さんといけんからね、生のもんはさばいたらすぐに出さんといけんが、付きっきりで手伝える助手がおらん。飯炊きが終わったらすぐに手伝え」
「はっ!? それ……」
今までの料理は、御先様のお膳の事だけ考えればよかったけれど、宴会の場合は違う。品が一品一品、酒の途切れないように出さないといけない。本膳料理とは違って懐石料理。出来立てを、その都度出すって言うものすっごく面倒なタイプ。
確かに、一番最初に出すのはご飯だから、ご飯を出し終わったら手伝いに行けるけれど。
今までよりもずっとスピード勝負になるし、手順を一つ誤れば、御先様に恥をかかせる事になる。
自然と冷や汗が出たけれど。同時に。
蛸をさばくって言うこの人が何者なのか興味が沸いてきた。生蛸なんて、一介の食堂でだったら全然さばく機会なんてないし、一体何を出すのかすっごく興味がある。
「……分かりました。急いでご飯の手配をしましたら、すぐ手伝いに行きます」
「そうかそうか。それで、人間。何と呼べばいい?」
「あたしですか? あたしは、りんと言います」
「そうかそうか、名前を隠さにゃいかんと言う最低限の事は学んでるか。よかよか」
「ええっと……あなたの事は、あたしは何と呼べばいいんです……?」
土色の顔の人はにかっと笑うと、肉の削げた頬でも愛嬌があるように見えるから、笑顔って不思議だ。
その人はにかにか笑う。
「享年36の料理人、今はうずらと呼ばれている」
「りょ、料理人さんっすか……ええっと、何の専門、です、か?」
あたしは既に蛸料理が気になって気になって、あれだけガクガクと震えていたのがすっかりと収まってしまった。うずらさんはニカリと笑う。
「懐石が専門、だな」
「……うわあ」
あたしは自然と顔がとろけてしまうのが分かった。
既に亡くなっているとは言えども、料理人さんの腕が見られるなんて。そりゃ専門学校でだって研修はあるし、インターンシップだってあるけれど、いつ終わるかも分からない神隠し期間中じゃ、プロの技なんて見る機会がそうそうない。
だから今は、それをラッキーだって思わないと。うん。




