食べてる人の笑顔が見たい
三回目になったら、廊下をすり抜けていくのにも慣れたような、慣れてないような。あたしがお膳を持って歩いていると、「おっ」と言う声が聞こえ、顔を上げると兄ちゃんだった。服からは甘い甘い発酵中のお米の匂いがし、あたしがうっとりしていると兄ちゃんは「気持ち悪っ」と言った。ひどい。
「りん、まさかずんだ餅作るなんてなあ」
「白玉よ。もし餅作れるんだったら今度はずんだ餅にする。朝に枝豆ご飯出したし、流石に小豆を炊いて餡にするって言うのは時間がかかるから枝豆で餡を作ったらずんだ白玉になったの」
「へえへえ……でも、御先様ってそう言えば甘いもの食べた事あったかなあ……」
「え、やっぱりないの?」
「んーんー……やっぱりなかった気がする。神社とかでもさ、老舗の和菓子屋だったら菓子を毎年奉納って言うのはありかもしれないけどさ、俺らの地元にそんな和菓子屋なんてないじゃん」
「あー……そう言えば」
御先様が食べられるものは、神社に奉納してもらえたものに左右するんだから、そりゃ甘いものなんて食べた事がないはず。あたしもそれで悩んだ末に作ったんだしなあ……。甘いものって食べたら幸せになるけれど、御先様を怒らせないか心配だな。
今までは一体どうやって作ってたんだろう。どうやって御先様を慰めてたんだろう。そう考えるとぐるぐるとしてしまうけれど、でも。あたしができる事と言ったら食べる事と作る事だけなんだから、今の自分の精一杯を差し出すだけだ。やがて、襖の前に着いた。
「失礼します」
「うむ。入れ」
御先様の返事の後、そろそろとあたしは膳を持って入って行った。御先様は物珍しそうに見るのは、多分あたしが出すもの出すものが馴染みのないものだからだと思うけれど。
兄ちゃんがお酒を注ぎ、あたしが御先様の前に膳を置くと、御先様はまず最初に不思議そうにすまし汁を見た。茶色いし透明だし。
「ふきのとうのすまし汁になります」
「すまし……?」
「出汁に味噌ではなく醤油で味付けした汁物になっています」
御先様はじぃーっとあたしを見る。目の色彩がやっぱり人間離れしているし、何よりも美形過ぎる人にガン見されるのは怖くて思わず固まりそうになるけれど、私は作った以上は、食べ終わるのを見守る責任がある。御先様はようやくお椀を持ち上げて、それを口にするのを見た──。大丈夫、かしら。まずくはない、はず。でも。
醤油は御先様、あんまり口にしてないと思うから……。食べ慣れない味はどうしても違和感を覚えて不味いって思いがちなのを気にしてじっと見ていたが。意外な事に御先様はそれを箸を使って浮き身のふきのとうまで綺麗に残さず、一気に椀を空にしてしまったのだ。思わずあたしは唖然、としてそれを見た。兄ちゃんもまた、口をあんぐりとしてそれを見ている。
「……美味いな」
「え……」
「他のは?」
あたしは身体中の血液が沸騰したんじゃと言う錯覚を覚えた。頭がくらくらするし、汗もだらだら出る。御先様の笑顔は、いつもいつも美形が過ぎて凄味が増していたけれど、今日のは違うんだ。何と言うか、ふわっとしてるんだ。ふわっと。ふわっと……。
……嬉しい。
思わずむずむずする口元をどうにか引き締めると、品の説明を始めた。
初めてだ。「悪くない」って言われた事は何回もあったけれど、「美味い」って言葉は、初めてもらえた。調味料がないないと思って、一から作ってそれをすぐに「美味い」と言ってもらえるなんて期待してなかった。でも……。
言ってくれたよ。御先様、言ってくれたよ。
御先様は満足げに兄ちゃんのお酒を飲みつつ、冷奴を食べ、かば焼きも食べ、ご飯も綺麗に食べ終えると、最後のデザートの白玉も食べてしまった。最後の最後が甘いのには目を白黒とさせていたけれど、お酒を飲んで口直しをして、綺麗に食べ終えてしまった。
「……せいぜい、次も励め」
「あ、あ……ありがとう、ございます……!!」
あたしはべちゃっと頭を下げつつ、そう言った。
嬉しい……! 最終的に頭を下げた口元はぷるぷると笑いで震えていた。それを怪訝な顔で見る兄ちゃんに見られつつ、広間を出た頃には、あたしはただ、大笑いをしていた。
「あはははははははは……!!」
「ちょ、りん……おまどうした?」
兄ちゃんは当然ながらぎょっとした顔であたしを見る。だって、だってさ……。あたしはひとしきり腹を抱えて笑った後、目尻に浮かんだ涙を拭いた。
「だってさ……御先様……あたしのご飯で初めて「美味い」って言ってくれたんだよ! だから嬉しくってさ……」
「あー、そう言えば料理で「美味い」って言ったの、俺が聞いてる限りでも本当久々だったかもなあ」
「おじさんの時はどうだったの?」
「うーん、おじさんの時も本当にたまにだった気がするなあ。いつだったのかとか全然覚えてない……あ、海魚を味噌漬けにした時だったかな。おじさんも調味料少ないのに困り果てて、味噌をくーを使って発酵を重ねて、味噌の種類増やしてたからな」
「あー、納得」
歴代のご飯係の人達も困って困って調味料を増やしてた訳だ。水飴考案してくれた人とか、みりんを作ってくれた人には感謝感謝、だ。あたしは醤油作っておくから、仮にあたしの替わりに来る人がいたら、使ってね。
厨に戻ると、今日手伝ってくれた皆の賄いを作る事にした。余ったおからは結構な量だから、半分は空炒りして、乾燥させておく。明日になったらまた使えるといいね。残ったおからは卯の花。それは菜園の青菜にみりん、醤油を和えてみた。残っているすまし汁はころんとくーちゃんの分はお猪口に入れてあげ、野菜の端っこや皮もくーちゃんに差し出してあげる。残っているすまし汁に豆腐を投下して、あたし達の分に分け、出汁に使ったかつお節や昆布を醤油とみりんで甘辛く味付けして、ご飯の中に入れてから、ぎゅっとおにぎりにした。
最後に残っていたずんだ白玉を器に盛ると、賄いにしては随分と豪勢な代物になった。
「うわっ、豪勢だな。今日の賄いは」
あたしがひとまずおにぎりを火の神にあげている所で、兄ちゃんが驚いた顔して机に並んでいるご飯を見た。
「お疲れ様ー」
「おう、すげえ。いただきます!」
「いただきまーす」
うん。美味しい。でも豆腐は作ったらすぐに食べないと傷んじゃうし、三日位は大丈夫だと思うけど、それ以上は駄目だよね。高野豆腐……にできたらいいんだけど、そもそも氷ってここでどうやって入手すればいいの。
あたしがはむはむとおにぎりを頬張っている所で「おっ、ご馳走!」と言う声が聞こえた。いなくなっていた烏丸さんが戻って来たのだ。
「あ、お疲れ様ですー。今日一日は調味料いっぱい手に入ったので、おかげで随分料理のレパートリーも増えました」
「そっかそっか。ありがとな。御先様もこの所随分と卑屈だったからなあ、久々に機嫌よさそうで助かった」
「そうですか……」
烏丸さんは兄ちゃんと一緒にちびちびとお酒を飲み始めたのを眺めつつ、未成年のあたしはただそれを見守っていた。そう言えば。あたしは気になった事を質問してみる事にした。
「そう言えば、前から思ってた疑問聞いてもいいですか?」
「ん、何だ?」
和え物をつまみつつ、酒を飲み。おにぎりを頬張りつつ、酒を舐める。……ここまで来たらお酒も美味しそうだなと思えるけれど、流石に飲めないしなあ。あたしは指を舐めつつおにぎりを食べる。
「畑の野菜、好き勝手使わせてもらってますけど、ころん達って、野菜をどこかに運んでますよね。でもあたし、料理の材料置いてる場所探しても、干物とか調味料は見た事あっても野菜は見た事ないんですよ。あの子達、一体野菜をどこに持っていってるんですか?」
「あー……鍬神達な。あいつらは付喪神。神の末端で、ちょっと揺らせば妖怪になる類だな」
「はあ」
「あいつらは神在月の際に出雲に入らせてもらえる許可をもらえるように、奉納する野菜を蓄えてるんだよ。……あー、この話はできれば御先様の前でするなよ。あの人、神在月近付くとすっごく荒れるから」
「かみありつきって?」
「出雲以外だったら、神無月って言われてるな。十月になったら一月かけて出雲で神様が宴をするんだよ。まあ……御先様は神格が落ちて、荒神一歩手前だからなあ。他の格上の神々と飲んだり食べたりって言うのが苦痛なんだよ」
「あー……」
日本の十月の読み方なんて、普段は全然意識なんてした事ないし、神話系統だってあたしはほとんど知らないけど。ご飯いっぱい出してもらって飲めや歌えやの宴会が針のむしろじゃ、そりゃ御先様だって行きたくないよね。でも行かなかったら神様って認められなくなっちゃうのかな。だとしたら可哀想な気もする。
あたしは最後のデザートに取っていた白玉をぐにぐにと噛みしめつつ、何とか考える。御先様がご飯を美味しいって感じられるようになったら、何とか神格取り戻せたら、どうにかならないのかな。流石にあたしも、神格なんてどうやって上げればいいのかさっぱりなんだけど。
その日、あたしは部屋に帰って、井戸の水で湿らせた手拭いで身体を拭き、布団に横になりながらずっと考えていた。
どうにかしたいなあって思っても、あたしはやっぱり料理を作る事以外できない訳で。どうしたらいいんだろうと考えている間に、すこんと眠りに落ちてしまった。




