幽霊ー4~5
4
身体が固まってしまっていた。悪い冗談ですませたいところだが、ほんの一瞬とはいえ、なにかを見たのは確かなことだった。急に力が抜け、僕は畳の上にへたり込んだ。
それから慌てて立ち上がり、家中の明かりを全部つけた。暗いのはいやである。家の隅々まで光に溢れかえって欲しい。インスタント珈琲を作り、ワープロを載せているテーブルの前に腰をおろした。時計を見ると、午前零時二十三分を指している。リモコンでテレビをつけた。ボリュームを上げる。くだらないが静粛よりましである。珈琲を飲む。珈琲を飲む。飲み干すと、もう一杯作る。腹がたぽんたぽんになっても、今夜は眠らずにおくつもりだった。寝てしまったりしたら、なにが起こるかわかったもんじゃない。さきほど見たもののことが脳裏をかすめ、僕は頭を振る。いまはそのことについて、考えたり思ったりするのは極力避けたかった。すべては夜が明けてからにしたい。壁の時計を見ると、まだほんの七、八分しか経過していない。こういう時に限って時間というやつはのろのろしている。
雨はふり続けている。ここにじっとしているより、友だちの家かなんかに逃げ出したほうがいいんじゃないか。眠っちゃだめだ、眠っちゃだめだ……。今夜は眠らずにおくつもりだった。極力避けたかった。いまはそのことについて、夜が明けてからにしたい。しかしそれにしても夜明けまで。眠っちゃだめだ、こういう時に限って、雨はふり続け、のろのろしている。ここにじっとしているより、しかしそれにしても、眠っちゃ……なんなんだこれ。
空間の一箇所が陽炎のように揺らぎ、左回りに流れ出した。五センチほどの大きさだったものが、見ているうちに大きくなり、動きも、放射線状の種々の運動が加わってきた。やばい、こりゃ逃げ出さないと。しかし僕の身体は金縛りにあったみたいに動かず、目はそれに引きつけられたままになってしまっている。意識と身体が離れ離れになり、眠っている僕と、目ざめている僕の二人がいるようだった。
それは、いまではただの空間の歪みでなく、白っぽいものとして認知できるようになっていた。エクトプラズム。降霊会で霊媒の体から出現するといわれる、蒸気に似た白い物質のことを僕は思い出した。霊の物質化現象の元になっているものだ。しかしそんな悠長なことを考えている場合ではなかった。それは、人が座ったほどの大きさの白っぽいものとして、いま僕の目の前にあった。
声らしきものが、意識に飛び込んできた。
<コ…………コ………ガ………ナイ…………………コ………ワ……ナ……イデ………>
なんなんだ?
<………ワガ……コ……………コ………コ………ナイデ……コワガ………ナイデ…………>
いったい、なんなの?
<コワガ………イデ………ガラ……ナイデ……コワガ……ナイデ…………コワガラナイデ>
ようやく聞き取れたと思ったら、言葉がどっと押し寄せた。
<コワガラナイデ、コワガラナイデ、コワガラナイデ、コワガラナイデ、コワガラナイデ、コワガラナイデ、コワガラナイデ、コワガラナイデ、コワガラナイデ、コワガラナイデ…………………>
「ストップ、ストップ! わかったって、もうわかったから、そんなに繰り返さないで」
ぴたりと言葉が止み、僕はほっとした。
<ヨカ……タ……ツジタ>
よかった通じた、らしい。
<アナ……ニブ……>
「なに、アナニブって。穴がどうかしたの?」
くすりと笑ったような気配がする。
<アナタ……ニブイ>
「大きなお世話だ」
僕が声を荒げると、少し驚いたのかつぎの言葉まで間があった。
<ワタシ……ミエテ……イル>
「わたしが見えているかって聞いているの。ああ、見えているよ」
僕は、彼女がどう見えているかを伝えた。彼女? どうして僕は相手を女性だと思っているんだろう。それともこういうことは、自然の摂理としてわかるものなのか。性別を尋ねると、やはり女性だという答えだった。それを聞くと僕はなぜか安心した。自分の勘が当たっていたことに満足したのかもしれない。しかし、それと同時に疑問が湧き上がった。
いったい僕はなにをしているんだ?
僕はなにと話をしているんだ?
ぴくんと身体が振動するのを知覚がとらえ、すうっとなにかが引いていくのを感じた。顔を上げると、目の前が鮮明になり、点けっぱなしのテレビのブラウン管が見え、やわらかな女性の声が耳に届いた。
「福岡管区気象台の……前線が東へ抜け……ところによっては、朝のうちはまだ雨の残るところがあるでしょうが……」
ミニスカートのお天気お姉さんが、天気図をバックに僕に語りかけていた。
旭光がカーテン越しに部屋に射し込み、どうやらここは雨の残るところではないらしい。目をこすった。自分の感覚ではまだ数分しか経っていないような気がするのに、時計を見ると数時間が経過していた。浦島太郎になったみたいだった。妙に身体がだるかった。布団に入らず、座椅子に座ったままで寝てしまったせいかもしれない。となると、寝ていたとなると、僕が見たのも声を聞いたと思ったものも、夢の産物だったのだろうか。そう考えたほうが納得がいく。それじゃあ、昨夜井戸を見たあとに振り返って見た、ガラス戸の前のあの霞みたいなものはなんだったのか。あの時は眠っていなかったはずだ。
――幻覚。
そう考えるのが、もっとも妥当なことのように思える。夢と幻覚、この二つですべては説明がつきそうな気がする。リアル感が残るのも当然といえば当然。夢も幻覚も、体験者にしてみれば、その時点ではリアルであることに変わりはないからだ。
それにしても、まるでほんとうの幽霊みたいだった。
「それでは、今日一日を快適におすごしください」
愛くるしいお天気キャスターのアップになった顔が、ブラウン管の向こうから僕に微笑んできた。
5
夢や幻覚と割り切ると、それまでの僕のもやもやした気分は払拭された。なんのことはない、自分自身の脳が作り出した産物に振りまわされていたにすぎないのだ。
不動産屋の親父から幽霊が出る話を聞かされていた僕は、知らずうちに妄想を膨らませ、そういう妄想を現実に投影することによって、あたかもそれを現実のこととして捉えるようになっていたのだ。つまり、僕には妄想癖があり、しかもその妄想を見たり聞いたりすることもできるらしい。三十数年生きてきて、そういう特殊能力が自分に備わっているとはついぞ知らなかった。シンナーもクスリもやったことがないというのに、いやはやだ。人間、やはり自分のことを知るのは難しい。僕がダメなのも、社会的不適応者なのも、じつはその妄想癖のせいかもしれない。
僕がこういう結論に達することができたのも、昨夜、あの幻覚が女性だと知ったからであった。どうして僕には、最初から女性だとわかっていたのか。それは、僕が最初から女性だと知っていたからに他ならない。つまりあの女性は僕が作り出したものなのだ。だから僕は、問わずとも、女性であることを知っていたわけだ。あまりにも明確な論理的帰結。となると、昨夜の彼女が僕が作り出した産物である以上、幻覚という結論に落ち着くのはしごく当然のことだった。その結論を受け入れることに僕としても異存はなかった。たとえ不本意なことでも、事実は事実として受け入れなければ人間進歩はない。それに、恋愛だって小説を読むことだってドラマを見ることだって、妄想と言ってしまえば、そう言えないことはない。妄想というのは、もしかしたら日常生活に欠くことのできないものなのかもしれない。それに、まだこれだけ理性的な判断ができるのだから、妄想に捉われてあらぬことをすることもないだろうと、一応自分を慰めておく。
しかしである。そういうふうに解釈でき、幻覚と割り切ったものの、事態が改善されることはなかった。それどころか、幻覚は頻繁に現れだし明瞭さを増していった。
白いもやっとした影みたいなものは、しだいに人の形に近づいてきた。声は流暢になり、女性らしいトーンも聞き取れるようになってきている。寝ている起きているに関わらず幻覚は見えるようになり、昼日中にも出没する。ただ、日の光があるとやや理性が優勢に働くのか、日没から深夜のほうが明瞭だという違いはある。それに天候も左右するみたいで、やはり曇りとか雨のような日のほうが幻覚には適しているみたいだ。
さて、その幻覚に対する僕の対処法だが、無視することにしている。最初はなかなかうまくいかなかったが、慣れてくるとさほど気にならなくなり、無視できるようになってきた。いまでは、相手のなかを通り抜けることもやろうと思えばできる。なにしろ実体のない影みたいなものなのだから、それができるのはいうまでもない。しかしそれでも、スクリーンに投影された映像みたいなものであっても、人の形をした、しかも女に見える幻像のなかを通り抜けるのには最初抵抗があった。頭では幻覚だとわかっていても、ついつい人格化してしまう。が、同時に一度それをしてみたいと思っている僕自身もあり、ものは試しにとやってみることにした。
彼女が目の前にいる時を見計らい、僕はわざわざ彼女のほうへと足を進め、そのまま止まることなく彼女へと突き進んだ。彼女のなかを通り抜けていくのは不思議な気分だった。考えていた通り、僕は呆気なく彼女を貫通していた。
ただし、いくらできるからといって、その後僕は彼女のなかを通り抜けることはしないようにしている。というのも、通り抜けた瞬間ちょっとさむけがすること。それと翌日にさっそく仕返しをされたからだ。立っていた僕を、今度は彼女が通り抜けたのだった。彼女は僕のほうに流れ進んできて、正面から入ったと思うと、あっという間に僕の背中から抜けていった。なんともいえぬ屈辱を感じてしまう。それで僕は、みずから産みだした幻覚とはいえ、彼女を通り抜けるのだけはやめている。
そうやって十日ばかりすぎた。だいぶ要領みたいなものがわかってきた。たとえば、幻覚を見ずにすますには外に出るのが一番だった。買い物先のスーパーとか図書館に、彼女が現れることはまずなかった。実験すると、家の中とその周囲までしか彼女の姿を見ることはない。せいぜい脇道と雑木林の手前ぐらいまでである。だから、あまりうるさくなったら、外出さえすればそれ以上煩わされることはなかった。また家の中にしても、入浴中とかトイレにいる時に目の前に出没することがないのもわかってきた。たぶん性的な羞恥心みたいなものが、脳の中で制御盤のような役割をするんではないかと思う。一度、着替えの下着を忘れて風呂に入った僕が裸で出てきた時、彼女と鉢合わせをしたことがあった。彼女は声を上げると、たちまちのうちに消えてしまった。その狼狽ぶりは、微笑まずにおれないものだった。どうやら幻覚は、男の裸や性的なことには慣れていないらしい。好ましいことである。
しかしそうやって、幻覚の特徴やつきあうコツみたいなものがわかってきたのはいいが、一向に消えてなくなることはない。かえって鮮明になり、目鼻立ちすら識別できる。幻覚を見たり聞いたりしているというより、幻覚とひとつ屋根の下で暮らしているという感じになってきていた。いくら幻覚とはいえ、僕としてもくたびれることであった。同居している相手を、ずっと無視し続けている状態みたいなものといえばわかってもらえるだろうか。いささか気疲れするところがある。しかし悪いことばかりでなくいいことがあるのも事実だった。小説がすすみだした。彼女のことを僕はワープロに打つことにしたのだった。幻覚観察日記というのか、幻覚との日々を綴ったエッセイみたいなものといえばいいのか、とにかく僕はそんなものを書きだしていた。小説というより個人のレポートかもしれない。アル中やヤク中でない僕の見る幻覚には、伝えるべき価値があるかもしれないと思ったからだ。たとえ読めた代物でないとしても、精神科の臨床医には興味深いものではないだろうか。僕は少し前から彼女のことを書きだしていた。
そんなある日の夜、いつも通りテーブルの前に座ってワープロを打っている僕の左隣に彼女が漂ってきた。もちろん僕は無視する。
<ねえ、いつまでもこんなことじゃいけないと思わない>
最初のころと違い、彼女の声はかなりよく聞こえる。
が、聞こえないふり、聞こえないふり。
彼女が半透明の右の掌を、僕の目の前でこれ見よがしに振った。
が、見えてないふり、見えてないふり。
彼女はため息みたいなものをつくと、やおら伸び上がり、四畳半の部屋をうろうろしだした。テレビも机もカラーボックスもなんの障害物にもならず、彼女はそれらを通り抜けていく。しかし、そんなことでもう驚く僕ではなかった。なにしろ幻覚なんだから、物理の法則なんてあってないようなものである。しばらく彼女はそうしていたが、今度は僕の右隣に座り、いろいろとちょっかいをだしてきた。そしてしまいに、両手を胸の前で下げぶらぶらさせると、わざとらしく声を震わせた。
<うらめしやぁぁぁぁぁー>
思わず笑ってしまった。『恨めしや』が『裏飯屋』にしか聞こえない。
<あっ、笑った>
彼女は僕のほうへ身を乗り出した。実体がないのだからぶつかる心配はない。が、つい反射的によけてしまう。
<あ、今度はよけた>
僕は、ワープロを打つ手を止めて彼女を見やった。
年の頃は二十代ぐらい。上品な整った顔をしている。目尻が切れ、鼻筋が通り、顔全体は小さい。ロングヘアーを真ん中よりやや左側から分け、美しさよりも品位のほうが表に出ている。左目の少し下に黒子があり、それが艶っぽさを加味していた。くすんだ感じの白っぽい前ボタン形式のワンピースを着て、背は高からず低からず。
こういうふうに説明すると、さも若くて魅力的な女性になってしまうが、もちろんそうではない。全身が透け、背景の上に像を重ねたような見え方だ。輪郭はくっきりせず、境目がにじんでいるというか、ぼうっとしている。居るというより、漂っている。見ていて絶えずゆらめいている感じがあり、いつなんどきその姿が変わってもおかしくないような不安定さもある。光線を素通しするせいで陰影がなく、そのためアニメキャラみたいに平板的で、青白く生気が感じられないのも彼女の特徴のひとつだ。
<お祝いしなくちゃいけないわね。やっとわたしのことを相手にしてくれる気になったのね>
彼女の像が嬉しそうにゆらゆらし、僕は黙って、ふたたびワープロに向かった。
<ねえ、ねえってば。そんなにわたしのこと嫌いなの>
いつもに比べ、今夜はやけにしつこい。
「少し静かにしてくれない。いまワープロしているところだから」
僕はついそう口にしてしまった。
<だって、いつまでもこんな状態つづけていてもよくないと思わない。一度、きちんと話し合うべきよ>
彼女は断固として主張した。どうやら、今夜の彼女に引く気はないみたいだ。
「えらそうに言って、君はいったいなんなの?」
<なにって、この家の幽霊に決まっているわ>
馬鹿にしたように僕は鼻を鳴らした。
「それがそもそも君の間違い。君は、ただの僕の幻覚なんだよ」
<は……?>
僕は彼女に、幻覚という結論に辿り着いたまでの、素晴らしい僕の思考過程を話して聞かせた。
<なるほど。あなたはわたしのことを幻覚と思っていたのね>
「思っていたじゃなくて、思っているんだけど」
<でも、幻覚じゃなく、幽霊だという説も成り立つんじゃないの>
「それならどうして僕には、君が女だということがわかっていたんだい」
<そんなこと感じでいいじゃない。なにも理屈をこねる必要ないわ。わたしはあなたに霊波を送っていたんですもの、そこにはおのずと女らしいものも含んでいたでしょうし、あなたはそれを感覚で受けとめたんだわ>
「でも、それっておかしくない。そもそも幽霊に性別なんてあるのかい。生殖の必要はないだろうから、霊に性別があること自体がおかしな気がする」
<性別はあるわよ>彼女は唇を尖らせた。<だって、わたし女の幽霊だもの。人格的っていうか、そういうところで性別はあるのよ。ただ、わたしにもいまのところわからないけど、ほんとうの霊だと性別はないかもね>
「どういうことだい」
<つまり、わたしは幽霊であって、まだ霊ではないのよ>
「幽霊には性別があって、霊にはないっていうことかい」
<そう。ただし、わたしにもほんとうのところはわからない。幽霊というのはね、霊になる前のひとつの段階みたいなの。人間と霊との間に存在するものと考えるとわかりやすいわね。だから人間でなく、霊でもないものなの。人間から見たら霊に近いものだけど、霊のほうから見たら、まだまだ人間的なものをひきずった存在みたい。性別が残っているのもそのせいじゃないかしら。考え方や思いも、自分で言うのもなんだけど人間っぽいものね>
「君が幽霊じゃなくて、幻覚だから人間っぽいんじゃないの」僕は片頬で笑ってみせた。「神が人間に似ているのは、神に似せて人が作られたのでなく、人に似せて神が作られたからさ。君が人間っぽいのも、僕の脳が作ったからそうなっているんだよ。そこんとこを、間違えないで欲しいもんだ」
<なんて人。どうしてもわたしを幻覚にしたいのね。ま、いいわ。それじゃあ聞くけど、どうしてあなたが幻覚を見たりするのよ>
「僕の脳の回路がショートしているか、そうでなかったら、なんらかの必要性があるんだと思う。たぶん幻覚というのは、夢の延長線上にあるものか、少なくとも近似したものと考えていいよね。そうなると、夢が生存に必要なものであるように、幻覚というものも必要に応じて出現しているんだと思うんだ。ただし、夢をどうして見るのかが完全に解明されていないように、幻覚にどういう必要性があるのかはわからない」
<たいそうなご高説で感激しちゃうわ。でもそれだと、おかしくない。あなたがここに住む前からわたしは見られているみたいなんですけど。まさかあなたの幻覚とやらが、むかしからこの家に住んでいたなんて言わないでよ>
「もちろん、そんなことはないよ。第一、君は僕の幻覚だから、他の人が君を見たとは思えない。きっとみんなも、それぞれ自分の幻覚を見たに違いない。そしてそれを幽霊と思い込んでしまった」
<この家に住んだ人は、みんな幻覚を見る人たちだったというの。いくらなんでも、そんなことあるわけないじゃない>
頭の程度が知れるわと言いたげに、彼女は僕を見やった。
「だからこの家になにかがあるのさ。人に作用して幻覚を生じさせるなにかがね。たぶん特殊な磁力じゃないかと思うけど、いまの段階ではそれがなにかはわからない。ただそういうなにかが、人の無意識の領域に作用して幻覚を生じさせるのだとすれば、みんながこの家で幽霊を見たというのもうなずけるでしょう。同じ超常現象にしても、幽霊よりこっちの仮説のほうがありえそうじゃない。ちょっと科学的だし、幽霊屋敷の一軒一軒に幽霊がいると考えるより、すべての幽霊屋敷は、人に幻覚を生じさせる特殊な力が作用する場所と考えたほうが、一度に片づいてすっきりすると思わないかい」
<思わないわ。だって、わたしはあなたの幻覚じゃないことを知っているんですもの。幽霊を幻覚呼ばわりするなんて失礼よ。理屈をこねまわすより、幽霊を素直に認めたほうがすっきりするわ。幽霊のわたしが言っているんだから、幽霊はいるの。ほんとあなたって疲れる人ね>
「お言葉ですけど、干渉してきたのはそっちだからね」
<ええ、その通りよ。やっとコンタクトが取れたと喜んだのに、まさかこんな石頭だとは思いもよらなかった。わたしが住人を選ぶわけにもいかないし……そうだわ、じゃあ、これならどう>
「なんだよ」
彼女は鼻先をやや上に向けて、オツにかまえた。
<紹介がおくれたけど、わたしの名前コデラユウコっていうの。古いお寺に衣辺に谷の裕で、古寺裕子。この名前に聞き覚えはある?>
「ないけど」
<それならオーケーだわ。いい、よく聞いてよ。もしわたしがあなたの幻覚だとしたら、いまの古寺裕子という名は、幻覚が勝手につけた名前ということになるわよね。でも、もしその名がほんとうに実在して、しかもこの家の幽霊の名前だとしたらどうする。あなたに聞き覚えがない以上、幻覚が勝手に捻出した名と、幽霊の名が一致するなんてまずありえないわよね。ということは、名前が一致さえすれば、わたしがあなたの幻覚の産物でなく、れっきとした幽霊であることの証になるんじゃないかしら>
「つまり、いまの時点で僕が知らないことを幻覚が知っているはずはないから、この家の幽霊の名前がわかるはずがないというわけだ。でも、どうやって調べるんだい」
<そこまでは知らないわよ。幽霊のわたしがこの人に聞いてって紹介するのも変でしょう。近隣の人とか不動産屋とか大家さんに当たってみたらいいんじゃないの>
「わかった。そのかわり、もし君の名が古寺裕子でなかったら、君が僕の作った幻覚だということを認めてもらいたいね」
彼女はちょっとためらった。自分で言っておきながら、まるで古寺裕子であることに自信がないように見えた。しかし、すぐに強気なところをみせた。
<ええ、いいわよ。そのかわりあなたも、よく考えたら聞き覚えがあったとかあとから言わないでよ>
彼女はそう言うと、本物の幽霊のように恨めしそうに僕を睨みつけた。




