第一章 6
「ねぇ……グエルダ」
もしかしたら、今なら先程のことを教えてくれるかもしれない。
駄目で元々。真剣な表情で見つめると、驚いたように首を傾げた。
「カリエ、急にどうしたのさ? 水でお腹でも壊した?」
「違う! 少しだけ聞いてもいい?」
「なにをーー」
言いかけ、何を聞きたいのか悟ったのかグエルダは不自然に目を反らす。
「……なに?」
「さっきは誤魔化してきたし、凄く怯えていたから聞かなかったけど……。さっきグエルダは何を見たの?」
「それは……」
「あんな姿、初めて見たもん。ちょっとした事じゃないんでしょ?」
口をつぐんで俯くグエルダに、カリエは悲しげに眉を歪めた。
「私が信用ならない? リオさんには言えて、私には言えないこと?」
「そうじゃない! そうじゃないけど」
歯切れ悪く呟くグエルダに、カリエは身を乗り出して顔を覗きこむ。
「ねぇ、グエルダ」
「ごめん……言いたくない」
「じゃあ言えない理由を教えて?」
「それも言えないよ……」
頑なに言われ、カリエは目を細めた。
「じゃあいいよ、村に戻ってリオさんに聞くから。なにかおかしな事なかったかって」
「う……」
「それに、私はグエルダと絶交するからね!」
「うぐぐ」
「いいんだ。じゃあね、さよなら。グエルダなんて迷子になってしまえ!」
立ち上がりかけると、慌ててグエルダが顔をあげた。
口を開いたり閉じたりを繰り返し、ようやく諦めたように息を吐きだした。
「分かった。ーー言うよ」
「本当に?」
「本当は言いたくないけど。カリエを巻き込みたくないんだ」
「どう言うこと?」
問いに、グエルダは深く息を吸って川を見つめた。
「正確には見たんじゃなくて、感じたんだ。視線を」
「え、視線? そんなの村の人の誰かじゃないの?」
問い返すカリエに、グエルダはかぶりを振る。
「いいや、ただの視線なんかじゃなくて」
思い出したのか身を震わせ、自身の腕を抱いて続けた。
「――うまく言葉に言い表せないけど。心を鷲掴みにされるような、色んな感情が渦巻いてるような嫌な視線だった。本当に息ができなくて――」
言葉を途切り、喘ぐように大きく息を吸い込む。
「――うまく言葉に、できない。あんな目を向けられたのは始めてだ。とにかく、怖くて恐ろしい視線だった」
「そんな、一体誰が? それに私は何も感じなかったよ……?」
「視線は俺のことだけをずっと見ていたから。すぐに気配は消えたけど……」
悪意とは無縁の場所で暮らしてきたカリエには、聞いただけじゃどんな感覚かわからない。けれど、グエルダがこんなに怯えるなんて相当なのだろう。
村に外から人が来ることすらあまりないのだから、もしや村の人達の誰かが――。
自然に浮かんだ嫌な考えを、カリエは振り払った。
「――だからさっきリオさんに耳打ちしてたんだね。グエルダは姿を見てないんだよね?」
「うん、まったく。リオさんには怪しい人が出入りしてないか聞いたんだけど、やっぱり誰も居なかったって」
「なら、誰かが隠れて忍び込んだ? 一体なんでグエルダを」
「……全然分からない。だから、カリエには話したくなかったんだ」
緩くかぶりを振るグエルダ。
その弱々しい姿に意を決し、カリエはグエルダの手に自らの手を添えた。
「確かに怖いよ。でも私が、私が不審者からグエルダを護ってあげるから!!」
「は? いや、なんでそうなるのさ! 危ない奴かもしれないんだよ!? だからカリエにはなるべく俺の近くにいて欲しくない。……だって、もしかしたら……あぁ、とにかく駄目だ」
「何言ってるの? 私はグエルダといつも一緒でしょ? だから離れたりしないよ」
その言葉に、グエルダは項垂れた。
「そうなんだけど……俺は」
「大丈夫! そんな影から見てるだけの奴なんて私が殴ってやる!! ね?」
ふふんと鼻を鳴らすと、グエルダは苦く笑った。
「なるほど。カリエのパンチは結構強烈だから倒されちゃうかもね。でも、やっぱり気持ちだけ受け取るよ」
「嫌。私が絶対グエルダを護るの。だってーー」
だって、大切な人が目の前で死んでしまうのは嫌だから。
ズキンッーー。
赤い景色が瞼裏に滲む。
(ーーまた、変な頭痛)
微かに顔を顰めたカリエに、グエルダは気づかない。
「気持ちは嬉しい、かな。ありがとうカリエ」
「……ぁ、う、うん。とにかく、帰ったら村長にも報告しなきゃ。見張り番の人を増やしてもらうように」
「そう、だね。でも一応俺は……ぁ」
「ん? 一応俺は、なに?」
「い、いやなんでもない。気にしないで」
「もしかしてまだ何か隠し事してる?」
ジロリと睨むと、グエルダは首を横に振った。
「そんなことないよ。一応俺は注意しなきゃねってこと」
「……もし他にも何か隠してたら、全力で怒るからね?」
「はい、分かってます。っと、それじゃあそろそろ進もうか」
「うん」
カリエは岩から立ち上がって荷物を持ち上げる。と、丁度その時、背後の茂みの草が激しく揺れ出した。
今まで話していた内容が頭に浮かび、カリエはびくりと身を震わせる。
「なに!?」
段々と近づいてくる音に、グエルダはカリエを背後に後ずさった。
短剣を素早く取り出して構えを取る。