第一章 5
「ち、ちょっと、急にどうしたのグエルダ?」
腕に触れて声をかけると、グエルダは大きく身を震わせた。
ゆっくりと、視線をカリエに向ける。
「あ、あぁ……。な、なに?」
「大丈夫? もしかして具合でも悪い?」
グエルダの顔色は血の気が引いて蒼白で、腕には鳥肌がたっている。その姿は、あまりにも異常だった。
「……いや……」
再びそちらを見るグエルダに、カリエも釣られて向いてみる。
が、いつもと変わらぬ村の風景が広がるだけで、自分が見る限りは何処も変わったところなどなかった。
「何か居たの??」
「……」
問いに応えず暫くして、ようやく安堵の息を吐いてかぶりを振った。
「いいや、何でもないよ。……気のせいみたいだ」
「でもーー」
「本当に何でもない。早く行こう」
「わ、分かった」
声にはこの場から早く離れたいという感情が含まれていて、カリエは茫然としたまま頷いた。
先を急ぐグエルダの背を見ながら、つと後ろを振り返った。
ーーいったいグエルダは何を見たの?怖いモノでも見たの?そう聞きたいが、今の様子じゃ答えてくれそうにない。
カリエは溜め息を吐き、グエルダの横に駆け寄った。
村の入り口に着いた二人は、見張り番をしていた男性に手を振った。
「リオさん、お疲れ様です〜」
「お疲れ様です」
男性は手を振り返してニヤリと笑った。
「お、カリエとグエルダじゃねぇか。街に行くのか?」
「そうなんです、ちょっと買い物に。俺はカリエの付き添いで」
「成る程な。お二人さんは相変わらずの仲の良さで羨ましいぜ。いやはや若いって良いなぁ」
「むふふ、良いでしょ〜」
にまにまと笑うカリエに、男性は肩を竦めた。
「へいへい。それより気を付けろよ? 最近は森も物騒だからな」
「ッ!? それってどういう意味ですか?」
突然食いつくグエルダに、男性は目を見開いた。
「いや、最近は凶暴な獣が増えてるだろ? だから若いもんはなるべく気を付けろって事だ」
「あぁ、そういうことですか……」
「おう。まあグエルダなら大丈夫だろ。武器はちゃんと持ってるか?」
「はい。短剣ですが」
そう言って腰の袋を指差すグエルダに、カリエは目を瞬かせた。
「偉いねグエルダ。用意してたんだね」
「当たり前。俺がカリエ護らなきゃ駄目だしね」
「へ、へぇ」
顔を逸らすカリエに、男性はケラケラと笑った。
「熱いねぇ。じゃあ気を付けてな」
「はい。……と、リオさん」
「ん?」
グエルダは視線を彷徨わせ、男性の耳元でヒソヒソと何事かを囁いた。
「??」
「……いや、今日は見てないなぁ。まぁ分かったよ」
「よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げ、グエルダは此方を振り向いた。
「じゃあ行こうか」
「う、うん」
気を付けてなー、と忠告する男性に手を上げ、森の中に入ってゆく。
カリエは暫くしてから、グエルダの顔を見上げて口を開いた。
「今リオさんと何を話してたの?」
「秘密だよ」
「酷い!」
膨れっ面をするカリエに、グエルダは苦笑いで済ます。
その陰った顔に首を傾げた。
「ねぇ、本当に大丈夫なの? 体調悪いならまた次にして帰ろうか?」
「ううん、大丈夫だよ。さっきはごめん、心配かけたよね」
「別に私は平気だけど……もし何かあるなら言ってよね? 」
「そう? 実はカリエを驚かそうと思ってさ。白い服を着た女性がこちらを……」
手を上げて幽霊のふりをするグエルダを睨みつけ、脇腹にパンチをめり込ませる。
「ぐふ!?」
「やめてよね! 幽霊苦手だって知ってるでしょ?」
「うぅ、ごめん」
グエルダは冷や汗を流して謝罪する。そのまま、何かを考えるように黙りこんだ。
仕方なしにカリエも口をつぐみ、舗装のされてない足場の悪い足元を見下ろした。
太陽の光が差し込む静かな森に、鳥や虫の鳴き声だけが響いている。
「……」
「……」
キョロキョロと視線を彷徨わせ、上目でグエルダを見つめてみた。
が、反応なし。
「はぁ……ふぅ。歩いてると暑いなぁ……」
今度はわざとらしく溜め息を吐いてみるが、それも無視されて不満気に石を蹴り上げた。
石がグエルダの脚にぶつかるが、気づかない。
暫くして沈黙に耐えられなり、カリエは口の横に手を当てた。
「んもう! 私には耐えられないッ!!」
グエルダの耳元で叫び声をあげると、ようやく驚いた表情を浮かべて此方を見下ろしてきた。
「へ?」
「へ?じゃない。グエルダなんか喋ってよ、つまらないでしょ? 折角のお出掛けなのにつーまーんーなーいッ!!」
「あ、そっかそっか。カリエは静かなの苦手だったっけ」
グエルダは、ふッと馬鹿にするように口角を上げた。
なんて生意気な顔!!
「むむ、失礼だよねそれ。あのね、私だって時と場合を考えますー」
舌を出してカリエはあっかんべーをしてやった。
「カリエが? そりゃあ凄い」
「グエルダ酷いよアホ! もう知らない!」
「あはは、ごめん」
そっぽを向くと、グエルダはやっと笑顔を浮かべた。
心のなかでほっと息をつき、カリエは手で顔を仰ぐ。
「はぁ。叫んでたら疲れちゃった。グエルダ、すこし休憩しない?」
「えーっと……ちょっと待ってて」
グエルダはガサリとポケットから森の手書き地図を取り出し、確認して頷いた。
「そうだね。この近くに川あるみたいだし、そこで休もう」
「うん。にしても、グエルダも地図持ってたんだね」
「ま、まぁ森は深いからね。一応だよ一応」
「へぇ。ならそう言うことにしておきますか」
不敵に笑うカリエに、慌てて道から逸れた小道を指差した。
樹の根や岩で歩きづらそうな道が続いている。
「そ、それより! こっちのが近道だけどどうする?」
「うーん……私は近い方がいいけど、獣は大丈夫なの?」
「この道は小さな獣しか居ないから大丈夫みたいだよ。そう地図に書いてある」
「じゃあ決まり!」
地図を仕舞い、木の枝が所々飛び出した小道に足を踏み入れる。
グエルダの腕を掴みながら歩きにくい道を進んでいくと、暫くして広く開けた場所に出た。
木の葉に邪魔されずに真上から直接差し込む光が、水に反射して綺麗に輝く。
川には澄んだ水が流れ、鳥達が所々で羽を休めていた。
「着いた〜。そういえば、ここに来るの久しぶりだよね」
「俺達、最近は森で遊んでないしね」
カリエは小走りで川に寄り、水を掬って口に近づける。
飲み干し、ふにゃりと頬を緩めた。
「はぁ……生き返ったぁ」
グエルダが隣で水を飲むのを横目に、側に転がる岩に腰をかけた。
グエルダはカリエの隣の岩に座り、空を見上げて瞼を閉じる。
「……いい場所だよね此処。昔は森で走り回った後、カリエと水遊びしてたね」
「うんうん。それで遅くまで帰らないで、お母さんに怒られた事もあったよね。あと服をびしゃびしゃにしちゃったり」
「……あの時のティアさんはかなり怖かった。夢に出てくるぐらい」
大袈裟に怯えたふりをするグエルダに、カリエは声をあげて笑う。
ひときしり笑い、カリエは息を吐いた。
「グエルダ、疲れちゃったから私を背負って街まで連れてってーなんて、ね」
「やだよ。カリエの荷物重いよね。カリエと合わさったら潰れちゃう」
「ふぅん、重くて悪かったね!」
拳をグエルダの頭に落とすと、ごつんと鈍い音が響いた。
「……ッ」
涙を浮かべて頭を擦るグエルダに、カリエは口を引き結んだ。