第5話『英雄たちと本物』
霧島は眉間を押さえた。
ある種、予想はしていた。
していたが、いざ本人の口から聞かされると胃が重くなる。
相手は今や探索者協会の看板だ。表に出せば国が始末をつける類の話になる。
黒崎は端末の画面を閉じた。
「証拠は、多分残してないんだろうな」
「たぶんな」
霧島は思わず鼻で笑った。
「自分の事のくせに、適当だな」
黒崎は壁際のモニターへ視線を移した。
そこには別のニュース映像が流れている。今度は討伐特番らしい。
過去の名場面集のような編集で、《天槍》の戦闘映像が華々しく切り貼りされていた。
土門が巨大な盾で突進を止める。
九条が閃光のように魔物の首を飛ばす。
三雲が冷静に戦況を解説し、相馬が人々を鼓舞する。
分かりやすい。
見栄えがいい。
視聴者が英雄に求めるものが、過不足なく詰め込まれている。
「今の社会は、こういうのが好きだ」
霧島が言う。
「分かりやすくて、立派で、希望がある顔。多少汚い部分があっても、見えなきゃないのと同じだ」
「希望か」
「いるんだよ。皆、安心したいからな。強い奴が守ってくれるって話が」
黒崎は小さく息を吐いた。
「そうか」
「なんだ、不満はないのか?」
「構わん。希望が必要なのは分かる」
「……じゃあ何が気に入らねえ」
「本物の戦場を知らない奴が、戦場を語ってるのが気に入らん」
それだけだった。
だが、その一言に含まれているものは軽くない。
黒崎にとって、名誉も人気もどうでもいい。
問題は、戦場が飾りにされていることだった。
死んだ人間の名前が、見栄えのいい物語の裏で使い潰されていることだった。
霧島は少し考え、肩を竦める。
「本物の戦場、ねぇ。今潜ってるダンジョンは、本物じゃないと?」
「ああ」
そのとき、端末室のドアがノックもなく開いた。
「監督官。現場映像の整理、終わりました」
入ってきたのは若い女性職員だった。
だが彼女は黒崎を見るなり足を止める。視線が顔に留まり、それから何かを思い出したように端末を持つ手が強張った。
「……あ」
「何だ」
「い、いえ、その……」
彼女の目が、隣のモニターに映る相馬たちの過去映像と、目の前の黒崎を行き来する。
古い資料映像の中に、黒崎の姿が残っていたのだろう。
一般にはほとんど流れないが、内部教材や過去記録の断片には映像が残っている。
黒崎の顔を知っている者が居てもおかしくはない。
「気づいたか」
霧島が面倒そうに言う。
女性職員は青ざめた顔でこくりと頷いた。
「……黒崎、蓮司さん……?」
「そうだ」
その答えだけで十分だったらしい。
彼女は口元を押さえ、完全に言葉を失う。
教本の端に載る、初期攻略者の名前。
それが、今、目の前にいる。
しかも、ぼろぼろの外套姿で。
「……まぁ、今更箝口令ってのもな」
霧島がぼやきながら肩を竦める。
黒崎は入ってきた女性職員を一瞥したあと、何も言わず端末室を出た。
「おい、どこ行くんだ」
「外の空気を吸いにな」
「逃げるなよ」
片手を上げて、黒崎はプレハブの外へ出る。
ベースの外縁部は、さすがに少し静かになっていた。
仮設照明の届かない暗がりに立つと、ようやく頭の中の雑音が少し引く。
ダンジョンの空気は濃くて重いが、地上の喧騒も別の意味で息が詰まる気がした。
黒崎はフェンスの向こうに口を開けるダンジョン入口を見た。
漆黒の穴。
地上にありながら、そこだけ奈落と繋がっているみたいに見える。
「……黒崎さん」
振り返ると、雨宮、先のダンジョン内で助けた女が立っていた。
応急処置を終えたのか、肩に包帯を巻き、制服の上から保温シートを羽織っている。
顔色はまだ悪いが、意識ははっきりしていた。
「動いていいのか」
「軽傷ですから」
少しむっとしたような言い方だった。
自分を庇護対象扱いされたと思ったのかもしれない。
黒崎はそれ以上言わなかった。
雨宮は二歩ほど近づき、しかしそれ以上は詰めない距離で立ち止まる。
「さっきのお話、すみません、聞こえてしまって」
「そうか」
「……《天槍》の方々と、知り合いなんですか」
「昔な」
「復讐、したいとは思わないんですか」
「……」
黒崎を見上げる目には、純粋な好奇心だけでなく、別の感情も混じっていた。
怒り。
戸惑い。
そして、まだ輪郭の曖昧な正義感。
「私、詳しいことは分かりません。でも」
「でも?」
「今日の戦いを見て、あの人たちより、黒崎さんの方がずっと……」
そこで雨宮は言葉を失う。
比較の言葉を口にすること自体が、どこか不敬に思えたのだろう。
黒崎は、ほんの少しだけ空を見上げた。
曇っている。星は見えない。
奈落でも空は見えなかった。
だがあちらには天井すらなく、ただ果てのない暗さだけがあった。
「比べる必要はないさ」
「でも」
「お前が見たのは一部だけだ。《天槍》の連中も、築いてきた闘いがあるんだろう」
「……庇うんですか」
「事実を言ってるだけだ」
雨宮は唇を引き結ぶ。
納得したわけではなさそうだった。
だが、黒崎の言葉は偽善ではないとも感じている顔だった。
「じゃあ、どうしてそんな顔をしてるんですか」
思い切ったように飛び出した問いだった。
黒崎は少しだけ目を細める。
「どんな顔だ」
「……それは……上手く言えないですけど……」
黒崎は澪を見た。
若い。まだ甘い。
だが、見えていないわけではないらしい。
「お節介だと言われないか?」
「よく言われます」
即答だったので、黒崎はわずかに口元を緩めた。
笑ったというほどではない。だが、雨宮にはそれが初めて見る表情だった。
「今は、必要ないからな」
黒崎が続ける。
「今は?」
「だから急がない」
澪はその声を聞いて、背筋が冷えるのを感じた。
怒鳴っているわけでも、憎しみを露わにしているわけでもない。
ただ静かに、確実に、相手を逃がさないと決めている声だった。
「……怖いですね」
「そうか」
「でも、少し安心しました」
「なぜだ」
「怒ってるなら、私たちと一緒ですもん」
黒崎はしばらく黙っていたが、やがて鼻先で小さく息を抜いた。
「失礼なヤツだとも、言われないか?」
「よく言われます」
同じ返答を繰り返す雨宮に、黒崎はそれ以上何も言わなかった。
そのとき、ベース中央の方でざわめきが大きくなる。
何人もの職員が端末を抱えて走り、警備要員が持ち場を移動していく。
霧島の怒鳴り声も聞こえた。
「黒崎!」
呼ばれて、黒崎はそちらへ顔を向ける。
霧島が荒い足取りで近づいてきた。
「上から連絡だ。お前の件だが、本部預かりになった」
「そうか」
「そうか、じゃねぇよ。向こうさんの動きが予想よりも早い。内部チャネルで“死んだはずの黒崎蓮司が出た”って流れたらしい」
鼻で嗤う。
「笑えねえよ」
霧島は心底嫌そうな顔をしてから、声を落とす。
「それだけじゃない。《天槍》の側にも伝わった」
黒崎の視線が、静かに霧島へ戻る。
一拍。
「相馬恒一が、直接確認したがってる」
夜気が、さらに冷えた気がした。
雨宮は無意識に息を呑む。
黒崎だけが、何も変わらない顔をしていた。
だがその沈黙の奥で、何かが確かに動いたのが分かる。
「……そうか」
短い声だった。
「ようやく、か」
その一言に含まれた温度を、雨宮はうまく言葉にできなかった。
歓喜でも憎悪でもない。
ずっと先の一点だけを見据えた刃みたいな響きだった。
霧島は頭を掻く。
「本音を言えば、会わせたくはない。現場が荒れる気がするからな」
「なら会わなければいい」
「そう簡単でもない。向こうは向こうで、英雄様だからな」
「関係ないさ」
黒崎はそれだけ言って、ダンジョン入口へ一度だけ視線を流した。
その黒の奥には、まだ自分が置いてきた地獄の匂いが残っている気がする。
地上は変わった。
社会は薄っぺらくなった。
仲間だった人間は、綺麗な顔で英雄をやっている。
だが、戦場の本質は変わらない。
血が流れ、誰かが死に、目を逸らした人間のしわ寄せを、結局は現場が支払う。
なら、自分のやることも一つだ。
偽物を剥がす。
奪われたものを取り戻す。
そして、近づいてくる本当の災厄を叩き潰す。
「霧島」
「何だ」
「今の社会は、あいつらを英雄にしたいんだろう」
「……まあな」
「なら、それでもいい」
黒崎は静かに言った。
「本物が誰か、戦場で分からせるだけだ」
霧島は返事をしなかった。
できなかった、という方が近い。
その言葉は傲慢にも聞こえるはずなのに、不思議と虚勢には聞こえなかった。
なんとなくだが、霧島も雨宮も、その資格がこの男にあると感じていた。
遠くでサイレンが鳴る。
誰かが新たな階層異常を叫ぶ。
英雄の時代はまだ続いている。だが、その表紙はもう剥がれ始めていた。
死んだはずの男が帰ってきたからだ。




