第4話『英雄たちの現在』
医療テントを出たときには、夜気がいっそう冷たくなっていた。
第七区ダンジョン前設営ベースは、相変わらず騒がしい。
負傷者の搬送、魔物の残骸回収、階層異常の報告、スポンサーの対応、映像ログの保全。
あらゆる仕事が同時に走っていて、誰もかれもいらだちと焦りを隠していなかった。
黒崎蓮司は、その喧騒を他人事のように見ていた。
自分がこの場に属していないという感覚は、奈落から出てきた直後よりはっきりしている。
地上に戻ったという実感はある。だが、戻ってきた先が自分の知る世界と同じかと言われれば、素直には頷けなかった。
「おい、黒崎」
背後から声が飛んでくる。
振り返ると、霧島が紙コップを二つ持って立っていた。片方を無言で差し出してくる。
黒崎は数秒それを見たあと、受け取った。
「毒は入ってない」
「そうか」
「冗談だよ」
「……そうか」
「真面目か」
霧島は肩を竦め、自分のコップに口をつけた。
湯気が夜の闇に溶けていく。
その様子を見ながら、黒崎も一口飲む。
苦い。
妙に薄い気もするが、温かさだけは十分だった。
喉を通って胃に落ちる感覚が、体を内から温めていくようだった。
「で」
霧島がベースの一角に設置された大型モニターへ顎をしゃくる。
「気になるのか、アレ」
映し出されているのはニュースチャンネルだった。右上には、速報を示す赤帯。
【第七区ダンジョンで階層異常 A級パーティ負傷】
そんな文字が躍っている。
少しして画面が切り替わる。
流れた映像に黒崎の目がわずかに細くなった。
壇上。照明。拍手。
揃いの意匠が入った正装型戦闘服。
そして、中央で穏やかに微笑む男。
『――本日の特別表彰では、対大型侵攻作戦における長年の功績を称え、探索者協会中央攻略局所属、《天槍》リーダーの相馬恒一氏へ、名誉勲章が授与されました』
会場から拍手が湧く。
相馬恒一と呼ばれた男は一礼し、壇上のマイクへ進み出る。
背筋は伸び、声は落ち着いていて、どの角度から映されても隙がない。
『この栄誉は、自分一人のものではありません。
これまで戦場で命を懸けてきた仲間たち、支援してくださった市民の皆様、
そして探索者たちの努力の積み重ねによるものです』
柔らかい口調。控えめな言い回し。
だが、自分が中心に立つことを疑っていない人間独特の、不遜な声色だった。
「……人気者だな」
霧島が皮肉とも本音ともつかない調子で言う。
黒崎は答えなかった。
相馬の隣には、支えるように立つ女の姿もある。
黒崎にとっては知った顔。九条玲那。
変わらず無駄のない立ち姿。長い髪を後ろでまとめ、蒼を基調とした軽装甲を纏っていた。
画面の中の彼女は静かに拍手を受けているが、その表情は読めない。
さらに映像が切り替わる。
大柄な前衛、土門剛士と司会に紹介された大男が、瓦礫を押しのけながら住民を救助する過去映像。
続いて、端正な顔立ちの青年、三雲悠斗が立体モニターを操作しながら作戦解説をする場面。
画面の下にはテロップが流れていた。
【日本探索者界を支える英雄パーティ《天槍》】
【大型侵攻から首都圏を守った最前線の立役者たち】
黒崎はコップを持つ手に、ほんのわずかだけ力を入れた。
珈琲の水面がブルリと揺れる。
霧島は、その微かな変化を見逃さなかった。
「知ってる顔か」
「昔な」
短い返事だった。
霧島は少し黙り、それから面倒臭そうに鼻を鳴らした。
「なるほど、昔馴染みか」
「……昔の話だ」
冷めた声だった。少なくとも、興味はある様だったが。
モニターではインタビューが始まっている。
相馬が、次世代探索者への期待を語っていた。
『戦場は一人では支えられません。若い探索者たちにも、仲間を信じ、支え合うことの大切さを知ってほしいですね』
黒崎は、何も言わなかった。
その台詞を、昔の自分ならどう受け取っただろうかと一瞬だけ考える。
たぶん、表向きは何も言わなかっただろう。
相馬はそういう言葉を使うのが上手い。
人前で正しいことを言い、それらしく振る舞うのが、昔からうまかった。
だからこそ、多くの人間は騙される。
あるいは、騙されていると気が付きながらも、信じていたいのかもしれない。
「そうだ。記録、見るか」
唐突に霧島が言った。
「何のだ」
「お前さんのことだよ。殉職記録。公式記録だけなら、現場端末でも引ける」
「見せろ」
黒崎の返答は早かった。
ベースの端に設置された簡易端末室は、プレハブの中へ通信設備を押し込めたような空間だった。
壁際に並んだ端末のうち一つへ霧島がアクセス権を打ち込み、画面を開く。
「本当なら、こういうのはもっと上の許可が要るんだが。特別だ」
「なんで見せる」
「お前さんに媚びを売っておこうと思ってな」
いけしゃあしゃあと言って、霧島は端末の脇へ退いた。
黒崎が画面を見る。
表示されたのは、公的記録として整えられた殉職データだった。
【黒崎 蓮司】
所属 :探索者協会中央攻略局 第六攻略班
階級 :A級
状態 :殉職認定
認定 :二〇三二年六月十四日
概要 :第零参大型攻略作戦において、隊列後方の崩落事故に巻き込まれ行方不明。
後日、任務継続のため捜索打ち切り。生存可能性なしと判断し殉職認定。
追記 :同任務における《天槍》の奮戦により被害を最小限に抑えることに成功。
黒崎は無言のまま次の項目を開く。
作戦報告要約。
戦術評価。
犠牲者一覧。
功績分配。
淡々と並ぶ文字列を追うたび、記録の歪みが浮かび上がってくる。
本来、自分が前線維持と敵導線の制御を担当していたはずの場面が、
相馬の機転による戦術判断へと書き換えられている。
土門が押し留めたことになっている波状攻撃は、実際には黒崎が単独で処理した箇所に近い。
三雲の戦術解析が決定打になったとされる退避判断も、現場で黒崎が叫んだ経路を後から整えたものだ。
そして何より、崩落事故。
そんな事実はなかった。
「……すげ替えたか」
黒崎がぽつりと言う。
「何がだ」
「報告書がだ。奴らに都合がいいように書き換えられてるな」
霧島が端末を覗き込み、苦々しい顔をした。
「まあ、無くはない話だが。奴さん達の経歴を見るに、上も汚い話は書きたくなかったんだろうさ」
「全く、ふざけた話だ」
「……だな」
霧島の返しも短い。
黒崎はスクロールを止めた。
そこに、自分の名前はある。
だが、自分の戦いの記録は、ない。
自分がいた痕跡を消すためか、都合のいい形で並べ直した記録だった。
「功績分配か」
霧島が画面の下を指す。
黒崎はその欄を開く。
相馬恒一:作戦指揮補佐の功により特別昇格。
九条玲那:前線制圧貢献により名誉勲章。
土門剛士:生存者救出功績。
三雲悠斗:戦術解析支援功績。
自分の欄には、短くこうだけある。
殉職。追悼対象。
「……殉職、か」
黒崎はその一語だけを落とした。
霧島は横顔を見る。
怒っているのか、呆れているのか、あるいは何も感じていないのか、見た目だけでは分からない。
だが、何かを考えていることだけは確かだった。
「黒崎」
「何だ」
「そいつらに、何かされたのか」
「ああ」
即答だった。
「事故じゃない。俺は、奴らに落とされた」
プレハブの中で、空調の低い駆動音だけが鳴る。




