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功績を奪われ奈落に捨てられた俺、最深層から帰還して偽りの英雄を叩き潰す  作者: 白狐


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第1話『最深層帰り』


 その日、東京都西部に出現した第七区ダンジョンの第十三階層は、地獄だった。


 湿った空気は肺にまとわりつくように重く、剥き出しの岩肌には赤黒い苔が脈打つように張りついている。

 ところどころで、粘つく水が天井から垂れていた。落ちた雫が石を焼くような音を立てるたび、そこが人の常識から外れた場所だと思い知らされる。


 探索者協会認定A級パーティ《グレイヴ》は、その異様な空間の中で半壊していた。


「っ、ぐああああッ!」


 前衛の男が、横殴りに振るわれた尾で盾ごと叩き砕かれ、壁へ吹き飛ばされる。

 鎧のひしゃげる音が、嫌に鮮明に耳に届いた。


「前に出ないで! そいつ、二撃目が来る!」


 後衛の少女――雨宮澪が叫ぶ。だが警告は半拍遅い。

 大蜥蜴のような胴体を持ちながら、頭部だけが人に似た輪郭を持つ異形がぬるりと首をもたげた。

 口裂けの奥で、赤い光が脈打つ。


「散開ッ!」


 パーティリーダーの怒号と同時に、灼熱の閃光が通路を薙いだ。

 岩壁が融け、空気が爆ぜる。


 回避できたのは二人だけだった。遅れた一人は右肩から先を焼き飛ばされ、その場に崩れ落ちる。


「回復! 回復急げ!」

「無理です! 出血じゃない、これは……再生阻害……!」

「クソッ、何で第十三階層にこんな個体がいるんだ!」


 誰かの叫びは、ほとんど悲鳴だった。

 調査では、この階層は高難度ではあってもA級パーティで対応可能。

 ボス個体の出現報告もなし。だからこそ《グレイヴ》は、スポンサー付きの中継任務として潜ったのだ。


 映像を撮り、素材を持ち帰り、上へアピールする。そういう予定だった。

 だが現実は、撤退すら難しい。


 通路の出口側には、いつの間にか無数の小型魔物が這い出していた。

 退路は塞がれ、前方には災厄級に片足を突っ込んだ変異種がいる。


 最悪だった。


「澪! 魔力弾、目を潰せ!」

「……はいッ!」


 返事と同時に、澪は短槍を地面に突き立てる。

 槍身の刻印が淡く発光し、先端に圧縮魔力が集束した。

 撃ち抜く。狙うのは眼球。


 だが、撃つ直前でぞっとした。

 異形の視線が、こちらを向いていたからだ。


 読まれている。


 そんな馬鹿な、と脳が否定するより先に、異形の前脚が跳ね上がる。


「――っ!」


 魔力弾は逸れた。


 同時に、巨躯が信じがたい速度で踏み込んでくる。

 澪は反射的に槍を引き抜き、横へ飛んだ。

 次の瞬間、さっきまで自分がいた地面が爪の一撃で紙のように裂ける。


 着地。足が滑る。まずい。

 起き上がる前に影が覆いかぶさった。


 死ぬ。

 そう思った瞬間だった。


 ご、と鈍い音がした。

 澪の目の前で、異形の頭がわずかに揺れる。


 何が起きたのか分からなかった。

 ただ、次の瞬間には、その巨体が半歩、いや一歩ぶんだけ横へ流れていた。

 何かに“押された”ように。


 そこに、男がいた。


 ぼろ布のような外套。煤けた黒髪。

 全身に古傷と乾いた血の跡を纏い、まともな探索装備とは到底思えない格好をしている。

 なのに、その立ち姿だけが異様な雰囲気を纏っていた。


 ダンジョンの重い空気の中で、その男だけがまるで凪のように静かだ。


「え……?」


 澪の喉から、間の抜けた声が漏れる。

 男は特に反応を見せない。


 異形が唸る。

 人に似た顔の半端な輪郭が歪み、憎悪とも捕食衝動ともつかない色をにじませた。


 爪が振り下ろされる。

 速い。澪たちがこれまで散々苦しめられた一撃だ。


 だが、男はその爪を、紙一枚ぶんの差で外した。

 大きく避けたわけでもない。ただ、そこにいなかったように、自然に軌道から消えていた。


 次に見えたのは、男の右手だった。

 握られていたのは、刀とも鉈ともつかない片刃の長刀。

 刃は欠け、鍔元には何度も補修した痕がある。とても優れた武器には見えない。

 むしろ、解体現場で使うような無骨な刃物に近かった。


 その刃が、異形の前脚の関節へ滑り込む。

 深くはない。

 なのに、巨体が崩れた。


「……は?」


 《グレイヴ》の前衛が呆然と声を漏らす。


 男はそのまま一歩踏み込み、返す刃で喉下を裂いた。

 異形が咆哮し、反撃に尾を振るう。通路ごと粉砕するような一撃だった。


 男は今度も避けない。

 ただ一歩、異形の懐に潜る。


 尾が壁を砕き、岩片が散る。

 だが男には当たらない。

 距離の外ではなく、ちょうど“そこだけ死角になる位置”に入っていた。


 そして三撃目。

 逆袈裟に振り上げた刃が、首の付け根を斬り裂いた。

 血ではなく、黒い泥のような体液が噴き上がる。

 異形が悲鳴めいた声を上げたところで、男は初めて少しだけ力を乗せた。


 横薙ぎ。


 それだけで、巨体の首が落ちた。


 沈黙が落ちる。


 さっきまで自分たちを追い詰めていた怪物が、床に転がって痙攣していた。

 信じられないほどあっけなく。


「……討伐、した……?」

「一人で……?」

「何だ、今の……」


 誰も動けなかった。

 あまりに、次元が違った。


 男は異形の死骸を一瞥すると、刃についた汚れを無造作に払った。

 動作に誇示がない。強者が見せつけるために戦ったのではなく、ただ邪魔なものを処理しただけだという顔だった。


 それから、出口を塞いでいた小型魔物の群れに視線を向ける。

 這いずるように集まっていた魔物たちが、一斉に飛びかかった。


 澪は思わず息を呑む。

 だが、それもまた一瞬で終わった。


 男が前に出る。二歩。三歩。刃が閃くたび、魔物の身体が崩れた。

 斬った、というより、最初からそこに切断線が見えていたものをなぞったような速度と正確さだった。


 近づく前に落ちる。飛びつく前に裂ける。

 逃げようとした一体だけが、投げた短刃で壁に縫い止められた。


 十秒もかからなかった。

 通路の向こうに、退路が開く。

 男はそこでようやく振り返った。


「立てるか」


 低い声だった。よく通るが、感情の起伏は薄い。


「……あ、はい」

「重傷者を先に出せ。奥からまだ寄ってくる」


 澪は慌てて立ち上がる。言われるままに動いた。

 他のメンバーも同じだった。反発する余地がない。

 この場では、誰の指示よりその一言が正しいと、本能で分かってしまった。


 負傷者を抱え、撤退の準備を整える。

 その間も男は通路の先を見据えたまま、ぴくりとも無駄に動かなかった。


 やがて、前衛の一人が恐る恐る口を開く。


「あ、あんた……何者だ? 協会の救援か?」


 男は少しだけ黙った。


 その沈黙が妙に長く感じられたのは、たぶんこの場にいる全員が、目の前の存在に説明のつく肩書きを欲しがっていたからだ。

 S級。特務。秘匿戦力。何でもいい。そういう枠に押し込めたかった。

 だが男の返答は、そうした期待を簡単に壊した。


「違う」


 短い否定。


「じゃあ、なんでここに……」


 その問いには答えず、男は逆に尋ねた。


「今、西暦は何年だ」


 一瞬、意味が分からなかった。

 澪が目を瞬かせる。

 冗談には聞こえない。だが、こんな場所で真顔で尋ねることでもない。


「……二〇三九年、ですけど」


 男の瞳が、わずかに細くなる。

 その変化はごく小さかったのに、澪には妙にはっきり見えた。

 驚きとも、計算ともつかない、ほんの一拍の沈黙。


「そうか」


 それだけ言って、男は視線を落とした。

 まるで、自分の中だけで何かの辻褄を合わせるように。


 やがて、負傷者の搬送が整う。

 リーダー格の男が、まだ息の荒いまま口を開いた。


「助かった。礼を言う。本当に……助かった。せめて名前を教えてくれ。協会に報告する」


 男は今度こそ、少しだけこちらを見た。

 その目は疲れていた。ひどく疲弊しているはずなのに、不思議と鈍ってはいない。

 刃物の芯だけが残っているような目だった。


「黒崎」


 澪が息を止める。

 どこかで聞いたことがある。いや、どこかではない。

 探索者志望なら一度は目にする名前だ。

 古い資料映像。教本の端。今ではほとんど触れられない、初期攻略者の記録。


 男は続けた。


「黒崎蓮司だ」


 空気が、凍りついた。


「……は?」


 誰かが、掠れた声を漏らす。


「黒崎……蓮司?」

「待てよ、それって……」

「嘘だろ。だってあの人、何年も前に――」


 殉職したはずだ。

 口には出なかった言葉が、その場の全員の顔に浮かんでいた。


 黒崎蓮司。

 探索者協会の殉職記録に載る、初期上級ハンターの一人。

 大型侵攻の攻略任務中に消息を絶ち、死亡認定された男。


 その本人が、今、目の前にいる。

 しかも――誰も手も足も出なかった変異種を、まるで雑魚のように斬り捨てて。


 澪はごくりと喉を鳴らした。


 黒崎はもう何も言わなかった。

 自分の名がもたらした衝撃にも興味がないように、ただ通路の奥へ目を向ける。

 その先、闇の奥で複数の気配が蠢いていた。


「話は外でしろ」


 静かな声。


「来るぞ」


 その一言で、全員が我に返った。

 そして澪は、負傷者を支えながら思う。

 たぶん、自分たちは今、とんでもないものを見てしまったのだと。


 死んだはずの英雄でも、隠されていた特務でもない。

 もっと、ずっと凄いもの。


 ――本物の戦場を、生きて帰ってきた男を。

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