2.その婚約()に乾杯
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「所長。議論も尽くさない内に結論を急いでも良いことは何もありません」
アイシャは、議論に白熱して机に両手をついた拍子に落ちてきた前髪を、ついっと直した。
あまりにも進まない議論に辟易してきていた。
だが仕事上において、納得できてもいないのに、引き下がるつもりはまるでなかった。
「まず最初に、目指す理想をはっきりさせておくことは悪いことではない。そこに向かう道筋は、目指す場所を定めてこそだとは思わないかい」
「最終的な目的は確認してあるではありませんか。それをどう実現するか、どういう形を理想とするかを話し合ってからでないと」
お互いに、一歩も譲り合うつもりはなかった。
視線をずらした方が負けだと言わんばかりに、お互い、強い視線を向け合う。
『理想の形ならある。私としては、できるだけ早く、君との婚約、いいや婚姻を正式なものにしたいんだ』 って言いたいっ。でも、言えないっ! あぁ、真剣な顔をしたアイシャくん、好きだっ!!! 君とこんなに至近距離で見つめ合える日がくるなんて! あぁ神様、ありがとうございますっ。今日を記念日として定めよう。はじめての、見つめ合い記念日。
「……そうですか」 知らなかった。プライベートの所長は、気に入らないことがあると黙ってしまうタイプだったのね。
「アイシャくん?」 もう、見つめ合うふたりの時間終わりなのかい。
「このままではまったく議論が進みそうにありませんね」 私も引くつもりないから、所長だけが悪い訳ではないけれど。残念だわ。所長とならいい協約が結べると思ったのだけれど。仕方がないわね。
アイシャは、胸の奥がスースーする気持ちに蓋をして顔を引き締めると、立ち上がって頭を下げた。
「申し訳ありません。私は、条件のすり合わせすらできない相手と協約を結ぶことはできません」 私には、そこまで安易に誰かを信頼することは、難しすぎる。
「……え?」 いったい、なにを謝られているのだろう。意味を、理解したくないんだが。
「どうか私以外の協約相手をお探しください。私は私で、探してみます。お互いに、納得できる協約婚約ができるよう頑張りましょう!」 縁がなかった、ということなのよ。
「待ったー! 分かった。ではアイシャくんの条件をあげてくれ。私はそれをすべて受け入れる用意がある」 待って待って待って待って! 結論が速すぎる!
「所長。それでいいなら、私と婚約を偽装しなくとも、人ごみに向かってコインを投げてぶつかった人とでも結婚しちゃえばいいんじゃないですか」
「それは駄目だ!」 私は君とじゃないと結婚したくない!
「どうしてですか」
「それはその……」 え、今? 今、ここで言っちゃう??
職場ではない。だが、個室ですらない飲み屋のカウンター席だ。
女性慣れどころか飲みに行くことすら普段したことがなかったので、予約を入れるという基本的なことすらせずに飲みに出てしまった。
しかも、そもそもデート向きの店を知らなかったので、一度だけ新人の頃に先輩に連れてきてもらったこの店にやってきた。
ここも満席に近い状態であったが、荷物置き場になりかけていた隅のカウンターを片付けてくれて座らせて貰っている状況だった。
横で女将が聞き耳を立ててる気がする。
いや、なぜか先ほどまでガヤついていた店内が静かになった気がした。
「まぁ、そうですよね。ここで投げても男性にぶつかる可能性の方が高いですし。あ、でもただ見合いを潰したいならその方がワンチャン?」 でも二度と結婚できなくなる両刃技。
「だから、私は君とがいいんだ」 きゃっ。いいいいいい言っちゃった(赤面)
おぉーと周囲から声が上がり、拍手が広がった。
勝手に乾杯を交わし、にやにやとした空気に包まれる。が、それだけだ。空気の読める外野の皆様は二人の間に混ざってこようとはしなかった。
「あぁ、そうですよね。所長って、一応は侯爵家の方ですもんねぇ。せめて貴族籍がないと、どこで知り合ったのかボロが出ますね」 あ、一応って言っちゃった。
「貴族籍というだけじゃ、足りないんだ」 君じゃないと嫌なんだよ。
「貴族であるだけでは駄目なんですね。そうか教養も必要ですね。そうだ、図書室の君にお願いするというのは?」 結婚するつもりがないご令嬢として有名な方だし。
「あの方は、結婚しないけどパートナーがいるって有名だよ」 くっ。あっさり他の女性を推薦されてしまった。もうだめだ。しぬ。今日が、わたしのめいにち。
「知りませんでした」 そうなんだ。
「そうなんだよ」 女性パートナーがね。
「では、仕方がありませんね。ちゃんと条件をすり合わせる時間と、話し合う態度をください。丸投げは好きではありません。長く付き合うことになるのですから」
「長く、付き合う」 え、それって。えっ(トゥンク♡)
「できるだけ、この協定婚約で、婚期をひっぱりましょうね」 ぐっ★
「ソウデスネ」 私は、すぐ結婚でいいのになぁ。というか、今すぐアイシャくんと結婚したいのですが。駄目ですか。そうですか。
「二人の婚約に、乾杯!」
「協約に、乾杯!」
杯を交わす二人に合わせて、店内にも乾杯の声が上がった。




