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第6話 火葬の魔女

 泥と血、そして排泄物が混じり合った戦場の真っ只中。  


 その激戦地から数十メートルほど離れた高台に、場違いなほど優雅な家具とティーセットが置かれていた。


 金の細やかな装飾が施された白磁のティーカップから立ち上る湯気が、最高級の紅茶葉の香りを漂わせている。  


 豪奢な猫足の椅子に深々と腰掛け、一人の少女が退屈そうに欠伸を噛み殺しながらそれを口に含む。


 アインワーズ・ヴィクトーリア・イグニス・フォン・エレアノール。


 見た目は10代前半、まだ幼さの残る可憐な美少女だ。


 溶かした黄金を糸にしたような、腰まで届く長い金髪。


 ルビーよりも鮮烈で、見る者の魂を射抜く真紅の瞳。


 肌から伸びるのは、人間よりも長く尖った耳。


 そう、彼女はエルフである。


 そして、王国最強の戦力、ミスリル級の称号を持つ魔術師メイジだ。


 彼女は眼下に迫りくる数千のオーガ軍を、まるで害虫でも見るかのように冷ややかに見下ろしている。


「……野蛮ね。地面を這いずり回るしか能がないのかしら」


「グオオオオオオッ!!!!」


 地響きと共に肉薄するオーガの群れ。  


 ここは王国西部国境要塞群、対亜人戦線の最前線。

 

 西の未開地域から溢れ出す亜人種――特に、強靭な肉体と凶暴性を持つオーガ族の侵攻を食い止めるため、王国が威信をかけて築き上げた鉄壁の防衛ラインである。


 オーガたちが石や槍を放つが、高台の彼女には届かない。


「オーガごときが生意気ね。私にちょっかいをかけていい許可なんて出してないわよ」

 

 彼女はカップをソーサーに戻すと、億劫そうに立ち上がった。  


 そして、軽く爪先で地面を蹴ると、彼女の身体は重力を無視して、戦場全体を見渡す高みへと高度を上げた。


 その背には、漆黒のマント【不死鳥の外套(フェニックス・ローブ)】が、風も無いのにはためいている。


 彼女は杖――【神火の指揮棒タクト・オブ・プロメテウス】を取り出し、まるで指揮者がタクトを振るうように、優雅に眼下へ杖先を向けた。


「【フレイムストライク】」


 瞬間、空が紅蓮に染まった。


 何の前触れもなく、彼女の頭上に巨大な火球が出現、地上へ降り注いだ。


 ドォォォォォン!!


 爆音と共に、先頭集団の数百体が蒸発した。  


 悲鳴を上げる暇すらない。  


 圧倒的な熱量が、肉も骨も鎧も、一瞬で灰へと変える。


「ギ、ギャアアアアッ!?」

「あ、あいつだ! あいつが現れたぞ!」

「魔女だ! 炎の魔女! 火葬の……!!」


 生き残ったオーガたちが空を見上げ、絶望の叫びを上げる。


 恐怖に歪んだ形相。武器を捨て、我先にと逃げ惑う醜態。


 亜人たちにとって、その空飛ぶエルフの少女は戦いの相手ではない。


 ただ一方的にこちらに死を与える、災害そのものだ。


 『火葬の魔女エレアノール』


 彼女は敵対するあらゆる勢力から、恐怖と呪詛を込めてそう呼ばれていた。


 後続のオーガたちが足を止め、絶望に顔を歪めて空を見上げる。

 

 太陽を背にして浮かぶその姿は、まるで彼らに死を告げる天使のようだった。


「汚らわしい。私の視界に入れないで頂戴」


 彼女が再び杖を振るうと、今度は無数の小さな火球が、まるで意思を持った猟犬のように襲いかかった。  


 逃げ惑うオーガの背を正確に貫き、内側から爆ぜさせる。


 鼻をつく肉の焼ける臭い。断末魔の合唱。


 もはやこれは戦闘ではない。  


 空からの、一方的な清掃作業だ。

 

 これほどの威力と精度を兼ね備えた炎魔法を連射できるメイジは、この世界でも――ただ一人の例外を除いて―─彼女しか存在しない。


 彼女の炎魔法は、属性という枠組みを超えている。


 マナを極限まで効率よく熱エネルギーへと変換するために、彼女独自の魔法理論に基づいて練り上げた破壊の術式。


 それを可能にするのは、400年という悠久の時をかけて蓄えられた知識と、研鑽によって鍛え上げられた膨大な魔力。


 ◇


 数分後。    


 黒い灰だけが舞う静寂の中で、エレアノールは音もなく地上へ――足元が汚れないよう魔法で乾燥させた岩場の上へ――優雅に舞い降りた。


 椅子に座り直し、すっかり冷めた紅茶を飲み干す。


「……ぬるい」


 不機嫌そうに呟く彼女のもとへ、一人の伝令兵が転がり込むように走ってきた。

   

 泥だらけの軍服。極限まで疲弊した顔色。

 

 王都から不眠不休で馬を飛ばしてきたことが見て取れる。


「エ、エレアノール様ッ! 王都より『特級伝令』です!!」


 伝令兵は震える手で、王家の獅子の紋章が入った書簡を差し出した。


 それは、国家存亡の危機を意味する、最高レベルの緊急命令書だ。


 エレアノールは眉をひそめ、それを片手で受け取ると、乱雑に封を切る。 

   

 中身を一読した彼女の目が、微かに細められた。


「……あら?」


 そこには、信じがたい事実が記されていた。


 『後方支援部隊ガストン隊、全滅。生存者なし。現場には巨大なクレーターのみが残存』


「ほ、報告によれば……」


 伝令兵が、恐怖を押し殺すように言葉を継ぐ。


「金級のガストン隊長が一瞬で……たった二人の賊に討ち取られたとのことです……直ちに王都へ帰還し、この脅威を排除せよと……」


 金級が、一瞬で殺された。

   

 常人ならば戦慄する報告内容だ。  


 だが、エレアノールは口元を手で覆い――クスクスと笑い始めた。


「ふふ……あはハハハッ! 傑作ね」


 その反応に、伝令兵が凍りつく。


(笑っている⋯⋯自国の精鋭部隊が壊滅し、国家が揺らいでいるというのに⋯⋯)


 エレアノールの瞳に宿っていたのは、危機感ではない。    


 狂気的なまでの、知的好奇心。


「金級を消し飛ばす火力……白金級か、それ以上ということね……いいわ、とてもいいわね」


 エレアノールは、燃え盛るような真紅の瞳で東の空を睨んだ。


「ちょうど退屈してたところなのよ。こんな泥臭い場所で、燃えやすいゴミを処理するだけの作業には飽き飽きしていたの」


 彼女は愛おしそうに杖を指でなぞる。

 

 そこにいるのは、国を守る英雄などではない。  


 自身の力を試す機会を渇望する、一人の狂った研究者だった。


「私の魔法理論が完成した今、それをぶつけるための頑丈な素材が欲しかったのよ。……せいぜい、私を楽しませて頂戴ね?」


 その邪悪さすら感じる笑みに、伝令兵は腰を抜かし、ただ目の前の魔女への恐怖で震えることしかできなかった。

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