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第5話 特急非常事態

 広場に転がっていた兵士たちの死体は、跡形もなく消えていた。


 ヴィオラが【虚空の武器庫(ヴォイド・アーモリー)】で、肉片の一欠片に至るまで収納したからだ。


 後に残されたのは、広場の中央を抉り取った巨大なクレーターと、鼻をつく血の臭いだけ。  


 夕暮れの茜色が、底知れぬ穴の闇を不気味に縁取っている。


 静寂が戻った村に、歓声はなかった。


 村人たちは家々の陰から、怯えた小動物のようにこちらの様子を窺っている。  


 その視線に含まれるのは、救世主への感謝ではない。


 自分たちを蹂躙した兵士を一瞬で消し去った、未知の怪物に対する生存本能的な恐怖だ。


 村長がおずおずと歩み出てくる。


「……あ、あの、ありがとうございました……旅の方」


 深く刻まれた皺の奥にある瞳が、小刻みに揺れていた。


 彼は俺たちの足元――兵士がいたはずの場所と、俺たちの顔を交互に見ている。


「彼らは……その、帝国との戦のために兵糧を徴収しに来た正規兵でして……我々も、逆らえば村が焼かれると分かってはいたのですが……」


 村長の声は湿り、震えていた。    


 正規軍殺し。  


 それは、この国に対する明確な宣戦布告を意味する。  


 村人たちにとって俺たちは、圧政から救ってくれた英雄であると同時に、国軍の報復を引き寄せる死神でもあった。


 『あいつら、早く出ていってくれないか』  

『巻き込まれるのは御免だ』


 彼らの沈黙が、雄弁にそれを物語っている。


(……ふん、分かっていたことだ)


 俺は、俺の平穏のためにヴィオラという引き金を引いた。それだけだ。  


 見返りも、賞賛も要らない。


「今夜一晩、雨露をしのげる場所を貸してくれ。それだけでいい」


 村長は喉を鳴らし、ひきつった笑みを貼り付けた。


「は、はい! もちろんです! む、村で一番良い部屋を用意させますので!」


 ◇


 案内されたのは、村長の自宅にある客間だった。    


 一番良い部屋という触れ込みだったが、建て付けの悪い窓からは隙間風が鳴り、壁の隅には蜘蛛の巣が張っている。  


 ベッドには、黒ずんだ藁が敷き詰められていた。


 埃っぽい空気が澱んでいる。


「……不愉快です」


 ヴィオラが低い声で呟く。  

 

 途端に、部屋の空間がギチリと悲鳴を上げた。  

 重力が増したかのように、舞っていた埃が床に押し付けられる。


「マコト様を、このような家畜小屋同然の場所に通すなど……あの人間、今すぐ首をねじ切ってしまいましょうか? それとも、この薄汚い村ごと更地にしますか?」


 ヴィオラの瞳に漆黒の炎が宿る。  


 本気だ。


 彼女は俺が命じれば、瞬き一つする間にこの村を地図から消滅させるだろう。


「よせ……俺たちはどうせ、明日には出ていく」


 俺は彼女の怒りを制した。


 そして、あえて硬い藁のベッドに腰を下ろす。

 

 ガサリ、と乾いた音が立つ。


 今の俺たちには、この冷遇がお似合いだ。  


 人間の社会というシステムから弾き出された異物。


 バグのような存在。


 俺は隣に座るヴィオラを引き寄せた。

 

 彼女はとろけるような笑みを浮かべ、俺の肩に頭を預けてくる。


「マコト様……」


 彼女から漂う甘い香りだけが、殺伐とした世界から俺を切り離してくれる。


 世界中が俺を拒絶しようと、彼女だけは俺を肯定してくれる。

 

 それは麻薬のような共依存かもしれない。


 だが、今の俺にはこの劇薬ヴィオラが必要だった。


「おやすみ、ヴィオラ」


「はい。良い夢を、マコト様」


 窓の外では、夜風が不穏な唸りを上げていた。


 ◇


 翌朝。    


 俺たちは日が昇ると同時に村を出た。


 村人たちが差し出してきたのは、簡素な衣服と、硬い黒パンと干し肉の包み。  

 

「これを持って、さっさと出ていってくれ」

「二度と戻ってくるな」    


 そんな無言のメッセージと共に渡されたそれを、俺は無造作に受け取った。


 背中に突き刺さる、数多の視線。


 それは猛獣が檻から出ていくのを見届けるような、安堵と恐怖の入り混じったものだった。


 ヴィオラは一度も振り返らなかった。  


 彼女にとって、俺以外の人間は路傍の石ころと同義なのだ。


 俺たちは足を速めた。  


 国境まではあと数日。立ち止まるわけにはいかない。


 ◇


「……共和国に入ったら、まずは冒険者ギルドへ行くぞ」


 泥のぬかるんだ街道を歩きながら、俺は方針を伝えた。


村人から聞き取った情報や、ヴィオラの持つ知識から考えて決定したものだ。


「冒険者、でございますか?」


 ヴィオラが小首を傾げる。

 

「ああ。リブラ共和国は金と商人の国らしいが、ギルドだけは違うらしい。過去の経歴も、家柄も問われない。問われるのは実力だけだ」


 俺は懐の硬貨を弄びながら続ける。


「今の俺たちは、ただの住所不定の不審者だ。宿を借りるにも、街で暮らすにも、信用がなさすぎる」


 圧倒的な力があっても、社会的な信用がなければ平穏な暮らしは手に入らない。  


常に衛兵に追われる生活など御免だ。


「冒険者という肩書きがあれば、身分のない俺たちでも社会に溶け込める。手っ取り早く身分と信用を買うには、それが一番だ」


「なるほど。力ある者が正当に評価され、愚民の上に立てるシステム……素晴らしいですね。マコト様に相応しい⋯⋯」


 ヴィオラは独自の解釈で納得し、うっとりと頷いた。


「分かりました。では、そのギルドとやらを速やかに支配し、マコト様の支配の礎といたしましょう」


「……支配はしなくていいからな。普通に登録するだけだぞ。俺は平穏な生活を送りたいんだ」



 レガリス王国北部――対ヴァルザード帝国の最前線基地。


 石造りの執務室には、ピリついた空気が充満していた。    


 北部戦線を指揮する将軍、ジルナール・ディ・セリッグは、積み上げられた報告書の山を前に、こめかみを指で押し込んでいた。


「……戻らん、だと?」


 地を這うような低い声に、報告に立った部下が肩を跳ねさせる。


「は、はい⋯⋯後方支援部隊……ガストン隊との連絡が途絶えて、丸二日が経過しました」


「ガストンがか? 奴は『ゴールド級』だぞ。たかが村一つからの徴収任務に手間取るなどあり得ん」


 ジルナールは苛立ちを隠さずに吐き捨てた。


 帝国との戦線は膠着状態にある。前線の兵士を維持するためには、後方からの物資調達が生命線だ。

 

 だからこそ、強引な取り立てに反発する村人を黙らせるため、腕の立つガストンを送ったのだ。


 それが、音信不通。


「女に現を抜かしているのか、それとも途中で野盗狩りでも楽しんでいるのか……」


「そ、それが……」


 部下は言い淀み、青ざめた顔で一枚の羊皮紙を差し出した。  


 早馬で届いたばかりの、偵察隊からの報告書だ。


「予定時刻を過ぎても帰還しないため、斥候を出しました。部隊は、全滅した模様です⋯⋯」


「全滅!?」


 バンッ!!  


 ジルナールが机を叩き、インク壺が揺れる。


「ガストンが率いていたのは一個小隊だぞ!? しかも奴自身が戦術級の戦力だ。それが全滅だと? 帝国の別動隊か!?」


「いえ……死体は、ありませんでした」


「……は?」


「現場となった広場には、巨大なクレーターだけが残されており……兵士たちの装備品、馬車、そしてガストン隊長に至るまで、すべてが消滅していたと……」


 部下の言葉に、執務室の空気が凍りついた。


 死体がない。  


 戦闘の痕跡が、クレーターのみ。


 それは、戦闘と呼べるものですらなかったことを意味する。一方的な蹂躙。あるいは、掃除。


「……目撃者は」


「村人が数名。……ですが、全員が錯乱状態にあり、要領を得ません。『黒い女が空間を消した』『一瞬で隊長が潰された』と、うわ言を繰り返すばかりで……」


 ジルナールは椅子に深く沈み込んだ。  


 背筋を冷たいものが伝う。


 村人の証言が妄想だとしても、ガストンが帰還しない事実と、現場の痕跡は嘘をつかない。


 ゴールド級の実力者が、一瞬で消し飛ばされた。    


 そんな芸当ができる存在など、この国に何人いる?


「……直ちに討伐隊を編成しますか? 近隣に駐屯している銀級の部隊を集めれば……」


「馬鹿を言え」


 ジルナールは部下の提案を一蹴した。


「金級が瞬殺された相手に、銀級を何百人送ろうが肉の壁にもならん。ただの無駄死にだ」


「で、では、前線から白金プラチナ級の隊長を呼び戻し……」


「それも下策だ!」


 ジルナールは叫び、乱暴に頭を掻きむしった。


 白金プラチナ級は、帝国軍と睨み合う前線の要だ。


 一人動かせば、そこから戦線が崩壊しかねない。


 だが、放置すれば後方の補給線がズタズタにされ、それこそ敗北に直結する。


 確実に対処でき、かつ、単独で事態を収拾できる戦力が必要だ。

 

 中途半端な戦力の逐次投入は、被害を拡大させるだけだ。


 相手は、常識の範疇を超えた「怪物」の可能性がある。  


 ならば、ぶつけるべきは――


 ジルナールは、重い沈黙のあと、呻くように決断を下した。


「……王都本部に連絡を入れろ」


「は? 本部に援軍要請ですか? しかし、白金級以外となると、まさか⋯⋯」


 ジルナールは血走った目で、部下を睨み据えた。


「『ミスリル級』だ。……《《あのお方》》の出動を要請しろ」


「なッ……!? まさか、たかが賊の討伐に、王国の最高戦力を!?」


「賊ではない! これは特急非常事態だ!!」


 ジルナールの怒号が室内に響き渡る。


「ガストンを一撃で消し飛ばす存在だぞ!? 白金級ですら、勝てる保証はない……確実に止められるのは、英雄の領域を踏み越えた『怪物』しかおらん!」


 それは、軍人としての理性と、将としての長年の勘が弾き出した、苦渋の決断だった。


 だが、彼らは何も知らなかった。  


 その判断ですら、まだ手ぬるかったということを。  


 動き出した厄災は、主のためなら国一つを更地に変えるほどの、怪物を超えた存在であることを──

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