第38話 絆の形
漆黒の甲冑が、荒野に佇んでいる。
ただそれだけだ。
それだけで、空間が歪み、軋んでいく。
超重力に耐えかねた大地が、ヴィオラを中心にヒビ割れていく。
世界から、音が消えた。
荒野に吹く風の音さえも、その黒い装甲がすべて吸い込んでいるかのようだ。
ガルノフは本能で悟った。
勝てない。
これは、生物ではない。
装甲を纏った『死』そのものだ。
「なんなのよ、その力は……!」
エレアノールの全身が震え、恐怖で後ずさる。
絶対的捕食者を目の前にした小動物のように、その顔から血の気が失せている。
◇
ガルノフは己の死を悟る。
だが、騎士として、敵に背を向け逃げ出すことはできなかった。
彼は体内の全生命力を、強引に魔力へと変換する。
それは使用者を死に至らしめる、禁忌のスキル。
「【暴獣激昂・最終形態】──!」
バギギギギッ!
筋肉が異常膨張する音が響く。
骨格が軋み、体躯が更に巨大化する。
ガルノフはヴィオラをゆうに見下ろすほどの、巨大な赤き狼の魔獣へと変貌した。
(すまない──)
勝つためではない。
せめて、一矢報いるためだけの、捨て身の特攻。
ガルノフの巨拳が鉄槌のごとく振り下ろされる。
オリハルコンの塊をも粉砕する圧倒的質量攻撃。
だが、ヴィオラは動かない。
防御も、回避する素振りもない。
彼女は黒い大剣を、無造作に縦に振るった。
ズッ
その手に抵抗感はない。
ただ空気を斬ったかのような、軽すぎる感触。
ガルノフの天をつく巨体が、頭頂部から股下まで、綺麗に両断されていた。
視界が割れる。
左右に分かれていく自分の身体。
その隙間から、ヴィオラの無機質な紫の瞳が見えた。
ガルノフの意識が遠のく。
最期に脳裏をよぎったのは、帝都で帰りを待つ家族の笑顔。
そして──
(いつの日か⋯⋯この悪魔が滅びることを⋯⋯)
ドサァァァッ!
真っ二つになった巨大な肉塊が地に落ちる。
断面から溢れ出した鮮血で、荒野に血の海ができる。
だが、ヴィオラの黒い鎧には返り血一つない。
血も何もかも、すべてを飲み込み、さらに黒く、妖しく、輝きを増していた。
◇
「ありえない……!」
エレアノールがパニックに陥る。
「なんなのよ、そのデタラメな力は!」
理論が通じない。
数値化できない。
ヤツの力は、確かに解析し、封印したはずだ。
それなのに、なぜ⋯⋯!
ヴィオラは無言のまま、首を回してエレアノールを見る。
エレアノールが一緒、瞬きをした。
その瞬間、彼女の視界からヴィオラが消えた。
「なっ!?」
エレアノールは咄嗟に反応する。
彼女の背後に、音もなくヴィオラが現れていた。
エレアノールが至近距離で火球を放つ。
しかし、ヴィオラはそれを無視する。
ジュッ
火球はヴィオラの手に触れた瞬間、闇に飲まれ、消滅する。
エレアノールが追撃の火球を生成すべく杖を構える。
だが、ヴィオラは杖を握るその手を、杖ごと強引に握りつぶした。
バキッ グチュッ ボキッ
杖が折れ、骨が砕け、肉が裂ける鈍い音。
そのままヴィオラの黒い手甲が、エレアノールの頭を鷲掴みにする。
周囲の重力が急加速する。
音速を超えた落下速度で、エレアノールは地面へ叩きつけられる。
◇
地面が間近に迫る。
エレアノールは咄嗟に、眼前に防御殻を多重展開した。
何重もの防殻。
だが、圧倒的な重力と腕力の勢いは止まらない。
バリンッ!バリンッ!バリンッ!!!
何重もの防殻が、ガラス板にハンマーを叩きつけたように粉々に砕け散る。
そして、丸裸になったエレアノールの顔面が、大地に叩きつけられた。
ドオオオオン!!!
衝撃で地面がひび割れ、顔中の骨が砕ける。
エレアノールは悶絶し、四肢をビクビクとのたうち回らせる。
しかし、激痛に悶えながらも、彼女は必死で身体を捻り、仰向けになる。
その顔は、すでに原形を留めていない。
鼻は折れ、眼球は飛び出し、陥没し、前歯は砕けている。
美しかった少女の面影は微塵も残っていない。
ヴィオラが足を高く上げる。
エレアノールの顔面を踏み砕くつもりだ。
「死ねぇぇぇッ!!」
エレアノールは、最後の力を振り絞る。
全魔力をこの一撃に注ぎ込む。
彼女の奥義【パイロブラスト】を進化させ、完成させた、真なる最終奥義。
さらなる研鑽を経て辿り着いた、彼女の魔術の到達点。
「【パイロブラスト・フォルテッシモ】!!!」
レーザーのように圧縮された、プラズマの光線が放たれる。
だが、ヴィオラは止まらない。
ドォン!!
光線ごと足底で踏み抜く。
熱も、光も、圧殺する。
ヴィオラの踵が、エレアノールの頭部を捉えた。
グチャッ!!!
新鮮な果実を、無理やり叩き潰したかのような音と感触。
エレアノールの頭部が破裂し、血と脳漿がドロドロと流れる。
頭部のない肉人形が出来上がった。
二人の英雄は、またたく間に物言わぬ肉塊と化した。
◇
ヴィオラの装甲が霧散する。
その姿は元のメイド服に戻っていた。
彼女は俺に駆け寄る。
「マコト様!」
意識が薄れる中、俺は感じる。
失った左腕の断面から、ヴィオラの纏っていた『闇』が、体内へ流れ込んでくるのを。
痛みはない。
代わりに、冷たい泥が血管を巡るのを感じる。
心臓を無理やり動かされている感覚。
ドクン、ドクン
闇が血肉となり、俺を生かしている。
俺はもう、人間ではなくなったのかもしれない。
ヴィオラは俺の左肩を見て、涙を流す。
「申し訳ありません……! 私が至らないばかりに……こんな⋯⋯! 取り返しのつかないことに⋯⋯!」
彼女の力の本質は、「破壊」。
失った腕は戻らない。
再生などできない。
「この命をもって、謝罪させて頂きます──」
彼女は闇の塊をナイフに変え、流れるように己の喉元に突き立てようとした。
だが、俺は残った右腕で彼女の頬に触れて、止めた。
そして、優しく笑った。
「いいんだ、ヴィオラ。もう済んだことだ──」
この傷こそが、俺たちの不変の絆の証だ。
彼女は、俺のすべてを肯定してくれる。
ならば俺は、ヴィオラの闇を、そのすべてを受け入れよう。
◇
地平線から、朝日が昇る。
鮮烈な光が俺たちを照らす。
その足元は血でドロドロにぬかるんでいた。
惨劇の痕跡の中、俺は立ち上がる。
左袖が、風に揺れている。
体内を循環する『闇』が、ドクンと脈打った。
「さあ、行こうか──」
俺たちは血の海を踏みしめ、前を見据える。
帰る場所などない。
平穏などない。
「地獄の果てまで──」
その言葉に、ヴィオラは深く頭を下げた。
「はい、マコト様。どこまでもお供します──」
俺たちは朝日の中、赤い足跡を荒野に刻みながら歩き出す。
次回、最終話です




