第36話 白炎と黒爪
荒野の闇が、暴力的な白光に塗り潰されている。
光源は、無数の巨大な火球。
豪雨のように、破壊の塊が降り注ぐ。
ドォォォォォォォォンッ!!!!!
大地が悲鳴を上げ、岩肌が蒸発する。
鼓膜を叩き続けるのは、終わらない爆発音。
「……ッ、はぁ、はぁ……ッ!」
ヴィオラの荒い息遣いが耳元で響く。
俺たちは爆風の中を転がった。
身を守る盾はない。
今の彼女は魔力障壁を展開できない。
ジュッ
火球の余波で大気が燃える。
猛烈な熱風が頬を掠める。
焼けた鉄を押し付けられたような激痛が走った。
髪の毛がチリチリと焦げる臭いが鼻をつく。
ヴィオラは俺を抱えたまま、身体能力だけで回避を続けている。
だが、限界が近い。
彼女のメイド服は焼け焦げ、白く美しかった肌には覆い尽くすように火傷が刻まれている。
喉が焼ける。
吸い込む空気が熱波と化している。
肺まで焼き尽くされそうだ。
頭痛も酷い。
酸素濃度が低下しているのか、意識が朦朧としてきた。
「……クソッ!」
俺は吐き捨てる。
いつまで続くんだ、このイカれた爆撃は。
脅威は上空だけではない。
ガルノフを筆頭に、地上からは帝国軍も迫ってきている。
前門の魔女。
後門の獣王。
世界のどこにも、俺たちの逃げ場はない。
「アハハハハハハッ! 踊りなさい! もっと無様に!」
俺たちの頭上から、狂気に満ちた高笑いが響いてくる。
エレアノールは無数の火球を従え、空中で燃え盛っている。
目が眩む。
ヴィオラは肩で息をしながら、屈辱と怨嗟に満ちた目で上空を睨みつけている。
朦朧とする意識と揺らめく視界。
俺はこの地獄の中で、必死に光明を探っていた。
◇
数キロメートル後方。
帝国軍進軍地点。
先頭を往くのは、皇帝直属の親衛隊隊長、ガルノフ・バーゼント。
その右腕は既に治癒魔法で完治している。
ふと、ガルノフは足を止め、手を上げる。
それに呼応して全軍の行進が止まる。
ガルノフは鼻をひくつかせる。
風に乗って、焦げた匂いが漂ってくる。
視線の先。
遥か彼方の夜の闇、その一点だけが真昼のように明るく輝いている。
「……冗談だろ?」
ガルノフは驚愕し、舌打ちした。
この異常な光景を作り出せるのは、この世でただ一人しかいない。
それに、あの不快な炎の色。
見間違えるはずもない。
「あのババア……! ここは帝国領だぞ! 王国は何を考えてんだ! いや、ババアの独断か……?」
状況が飲み込めないガルノフ。
ヴィオラを相手にするのも御免こうむりたいのに、激昂した皇帝の命令で、渋々ここまで来た。
だが追いついてみれば、目の前には帝国の怨敵、王国最強の魔術師がいる。
皮肉なことに、最悪な気分なのはガルノフもマコトも同じだった。
だが、しかし。
王国の『火葬の魔女』が。
騎士たるガルノフの目の前で国境を侵し、破壊を撒き散らしている。
その事実に、彼に流れる獣の血が怒りで沸騰する。
彼は振り返り、部下たちに告げた。
「全軍撤退だ。至急帝都へ帰還し、この事態を報告しろ!」
「た、隊長!? しかし賊の追撃は……」
「賊を討つどころの話じゃねぇ。これは他国による侵略行為だ」
続けてガルノフは一喝した。
「あの魔女相手に、頭数を揃えても無駄に犠牲が増えるだけだ。お前らは足手まといなんだよ!」
突き放すように、事実を断言する。
部下たちが動揺する。
ガルノフ一人を残してはいけないと、口々に叫ぶ。
だが、ガルノフは牙を剥き出しにしてニカリと笑った。
獰猛に、豪快に。
「心配するな。孫の顔を見るまで俺は死なんさ! ガハハハ!」
彼はそう笑い飛ばすと、部下たちの背を叩き、歩を進める。
その足取りに迷いはない。
戦場へ向かう彼の背中は、山のように大きく見えた。
◇
爆音が、不意に止んだ。
静寂。
耳鳴りだけがキーンと響く。
マコトは岩陰から顔を覗かせた。
熱気が渦巻く荒野。
その向こうから、一つの影が近づいてくる。
軍勢ではない。
たった一人だ。
見覚えのある赤毛の獣人。
ガルノフだ。
マコトの思考が高速で回転する。
軍勢は撤退させたのか。
僥倖だ。
今のヴィオラが軍を相手取るのは不可能だ。
あの性格だ、戦闘に巻き込んで犠牲が出るのを嫌ったのだろう。
俺たちの運はまだ、尽きていない。
上空には王国の魔女。
地上には帝国の獣王。
ガルノフからしてみれば、エレアノールは国境侵犯と破壊行為の現行犯だ。
俺は結論を導き出す。
奴らを潰し合わせる。
その混乱に乗じて、戦域を離脱する。
これしかない。
「ここは帝国領だぞ!!!」
ガルノフの怒声が、大気を震わせた。
腹の底から響く咆哮。
「王国の『魔女』様が、こんなところで何をしている!!!」
◇
はるか上空。
エレアノールは視界に映る影を見下ろした。
「あら」
彼女は唇を歪めた。
「その品のない鳴き声は……帝国のワンちゃんじゃない」
瞬間。
ガルノフの毛が逆立つ。
即座に戦闘態勢に突入。
「【野生回帰】!!!」
魔祭司のスキルを発動。
全身の赤い剛毛が鋼の硬度に変わる。
筋肉が膨張し、軍服が張り裂ける。
紳士然とした騎士の姿とは真逆の、暴を纏った巨大な獣人態へと変貌した。
ドンッ!!
踏み込みで地面が陥没する。
巨体が大地を踏みつけ、大気を蹴って足場にし、跳躍、更に跳躍。
一瞬で、彼は空中のエレアノールの元へ到達する。
白銀の刃と化した十本の爪が、獲物を切り裂かんと襲い掛かる。
だが、エレアノールは眉一つ動かさない。
彼女は手にした杖を軽く振るう。
空中の両者に割り込むように、瞬時に火球が発生。
盾となり、刃を受け止める。
ドガァァァンッ!!
空中で爆炎が炸裂した。
(今だ!)
マコトは動いた。
思惑通り、両者が揉めてくれている。
彼らの意識が逸れている今が好機だ。
俺はヴィオラを抱える。
もはや全身に力が入らないのか、ぐったりと俺にもたれかかる。
「今のうちに、ここを抜ける……!」
ヴィオラに肩を回しながら、地面を低く這う。
熱い。
熱した鉄板の上を這っているかのようだ。
膝が擦りむけ、腕が焼ける。
それでも進む。
あの岩場の陰へ。
あそこに入れば、死角になる。
あと十メートル。 五メートル。
いける。
俺がそう思った瞬間――
◇
「顔見知りに挨拶も無しなんて、相変わらず野蛮ね。躾が行き届いていないのかしら?」
「黙れ。その減らず口ごと全身切り刻み、ここを貴様の墓場にしてやる」
空中で肉薄する二人の人外たち。
「あら、怖い怖い……ふふっ、でもいいのかしら?」
エレアノールが冷たく微笑む。
「……獲物は私じゃなくて、あっちでしょう?」
ガルノフの動きが止まる。
エレアノールは、顎で地上をしゃくった。
その視線の先。
マコトたちが目指していた大岩。
そこを目がけ、エレアノールが杖を振るう。
ドオンッ!!!!!
爆音が轟く。
火球が着弾し、大岩が消滅した。
粉々になって吹き飛んだ、最後の逃げ場所。
後に残ったのは、煙を上げるクレーター。
そして。
何もない荒野に晒された、地を這いつくばる無様な二人。
マコトは絶望した。
足が止まる。
呼吸が止まる。
「主演のお出ましよ!」
アッハハハハハハ!!!
エレアノールの嘲笑が、荒野に響き渡る。
その声に、心臓が握りつぶされそうになる。
終わった。
一縷の希望が、跡形もなく消し飛ばされた。
◇
ガルノフは軽やかに着地した。
ドンッ、と重い音が鳴り、大地を震わす。
彼の目が、大きく見開かれる。
「……あ?」
視界には、ボロボロのメイドと、それを庇う少年。
今の彼女の姿に、かつての圧倒的な覇気はない。
ただの手負いの獲物だ。
「あの化け物が……ここまで追い詰められているのか?」
ガルノフは驚愕と困惑を隠せない。
あの女に勝てる者など、この世に存在しないと思っていたのだから。
「当然よ」
エレアノールが高度を下げ、巨獣と化したガルノフに目線を合わせる。
彼女は自慢げに小さな胸を張った。
「私の術式で、やつの力を根本から封じたの。今のヤツは、ただの人形よ」
ガルノフは息を呑んだ。
あの理不尽なまでの強者が、人形だと?
エレアノールは再び高度を上げ、ガルノフを見下ろす。
口角を吊り上げ、言葉を切り出した。
「私の獲物に手出しは無用、と言いたいところだけど……特別に許可してあげるわ」
彼女は地に這いつくばる二人を指差した。
「トドメくらいは刺させてあげる」
それはマコトたちにとって、最悪の提案だった。
あまりにも傲慢な言葉。
ガルノフは拳を握りしめた。
爪が掌に食い込み、血が滲む。
不快だ。
この状況も、魔女の横暴も、その言い草も、弱った敵をいたぶることも。
だが、彼は知っている。
エレアノールは話の通じない魔法狂いだが、だからこそ彼女の言葉には信憑性がある。
ガルノフはヴィオラを見た。
彼女はまさに人形のように、力なく地にへたり込んでいる。
だが、その瞳の奥には、未だ底知れぬ闇が見える。
(ここで逃せば、世界が終わる、か……)
あの女は危険すぎる。
いずれ始末せねば、彼女は帝国に破滅をもたらす。
それは手合わせを願い出て、力の差を感じた時から憂慮していた事態だ。
そして、この老婆の言葉が真実ならば、今は千載一遇の好機。
ガルノフは決意する。
帝国を守る騎士として。
最強のミスリル級魔祭司として。
破滅をもたらす悪魔を殺すことを。
大義の前では、個人の感情など些末なことだ。
沈黙。
数秒の葛藤の後。
ガルノフは重く息を吐き出した。
「……貴様の指図を受けるのは不快だが、いいだろう」
彼はマコトたちへ向き直る。
その瞳から、迷いは消えていた。
「確かにあれは……この世界を破滅させる災厄だ」
◇
最悪の同盟が結ばれた。
マコトは歯を食いしばる。
奥歯が砕けそうなほど噛み締める。
ふざけるな。
何が世界だ。
何が災厄だ。
「【暴獣激昂】!!!」
ガルノフが咆哮と共にスキルを放つ。
バヂヂヂッ!!
全身の赤毛が逆立ち、身体が更に巨大化する。
太い牙が、完全に口からはみ出している。
長剣ほどの長さに伸び、漆黒に変化した両の爪。
その鋭さは、黒曜石を想起させる。
もはや人ではない。
殺戮のために設計された怪物だ。
上空では、エレアノールが無数の火球を展開している。
白い火球が、満点の星空のように闇夜を彩る。
「勘違いするなよババア。奴を仕留めたら⋯⋯次は貴様の番だ」
ガルノフはエレアノールに釘を差す。
剥き出しの牙が唸りを上げ、全身から殺気がほとばしる。
「あら、それは楽しみね」
エレアノールはガルノフの殺気など意に介さず、不敵に微笑む。
「⋯⋯フンッ」
ガルノフが一歩、俺たちに向かって足を踏み出した。
その巨体が、大地を揺らす。
「傷つき、無力な少女を一方的に殺めるのは心が痛むが……」
彼の声は低く、重い。
そこには嘘も、欺瞞もない。
混じり気の無い、正義の殺意だ。
「帝国のため、世界のため、ここで死んでいただく。ヴィオラ殿」
逃げ場はない。
策もない。
マコトの視界が塗り潰される。
天を覆う白い火球。
地を駆ける黒い爪。
二色の死が、同時に迫っていた。




