第31話 国賓
雲ひとつない、突き抜けるような青空。
帝国首都、迎賓館の庭園。
俺は最高級の磁器カップを傾け、紅茶を喉に流し込んだ。
芳醇なダージリンの香り。
口の中で広がる爽やかな風味。
目の前のテーブルには、山盛りの焼き菓子が並べられている。
食欲をそそる、焼きたての香ばしい匂いだ。
「マコト様、お代わりはいかがですか?」
ヴィオラがポットを抱え、完璧な立ち振る舞いで控えている。
そのメイド服には、一分の乱れもない。
数日前までの逃亡劇が、まるで遠い昔の夢のようだ。
俺はカップを置く。
カチャリ、と小さく硬質な音がした。
脳裏にあの日の記憶が蘇る。
共和国の国境付近。
テレシアを倒し、追っ手を撒きながら闇に紛れた俺たちの前に、影が現れた。
帝国の間者だ。
『我が国は、聖女を打ち倒した貴殿らの力を高く評価する』
そして用意されたのは、窓のない漆黒の馬車だった。
俺たちはその中に押し込まれ、極秘裏に国境を越えた。
揺れる車内。
重い空気。
俺たちを運んでいたのは、善意の手ではない。
「兵器」を輸送する、冷徹な計算によるものだ。
そして今。
俺は豪奢な庭園で、国賓として茶を飲んでいる。
この落差。
あまりに不自然で、そして白々しい。
「……味がしないな」
俺は呟いた。
「監視の視線がスパイスになりすぎてる」
視線を感じる。
屋根の上。
植え込みの影。
回廊の柱の裏。
風もないのに揺れる枝葉。
装飾に紛れたレンズの光。
至る所に、監視の目が光っている。
「ご不快でしたら、掃除いたしましょうか?」
ヴィオラが静かに問う。
彼女は俺の斜め前に立ち、さりげなく射線を遮っている。
彼女は、俺が命じれば即座に虚空を引き裂く準備を整えている。
「いや、俺たちは招かれた客だ。今のところは、な」
俺は首を横に振り、彼女の提案を否定する。
ヴィオラが微笑む。
「英雄であるマコト様へ敬意を向けるにしても、少し熱視線が過ぎますね」
彼女の皮肉に、俺は苦笑する。
英雄、か。
俺は空を見上げた。
どこまでも青く、高い空。
だが、俺にはそれが巨大な蓋に見える。
「結局、どこへ行っても同じだ」
俺は独りごちた。
王国では、騎士殺しの罪で追われた。
共和国では、正義を掲げた狂気に襲われた。
そして帝国。
今回の手引きも、善意などではない。
ただ強力な兵器を、自国の駒として確保したかっただけだろう。
俺たちは便利な道具か、排除すべき敵。
そのどちらかにしかなれない。
悟る。
この世界のどこにも、俺たちを受け入れる器はないのだと。
喉が渇く。
紅茶では癒せない、心の渇き。
平穏とは、誰かに与えられるものではない。
世界から奪い取るものだ。
俺が改めて覚悟を固めていた、その時だった。
ザッ
監視たちの気配がざわついた。
緊張が走る。
庭園の入口から、一人の大男が歩いてくる。
俺は目を細めた。
人間ではない。
狼の頭部を持ち、全身が赤毛に覆われた、獣人の大男だ。
その身長はゆうに二メートルはあるだろうか。
服の上からでも分かる、鍛え上げられた肉体。
獰猛な獣の眼光、ちらりと覗く鋭い牙と鋭利な爪。
その身に纏っているのは、貴族のような洗練された礼服だった。
野蛮なはずの獣の肉体と、品性を象徴する着衣。
そのアンバランスさが、奇妙に調和していた。
だが、彼が放つ覇気だけは隠しきれてない。
ただ歩いているだけで、周囲の空気が彼に道を譲るようだ。
ヴィオラがピクリと反応する。
彼女は無言で、俺の前に半歩出た。
警戒レベルが上がる。
男は俺たちの前で足を止めた。
そして、気さくな態度で片手を上げる。
「よう。うちのネズミ共の手際はどうだった? 乗り心地は悪くなかったろう」
男がニカっと笑う。
鋭い牙が、太陽の光を受けて白く輝く。
俺は悟った。
こいつはただの出迎えじゃない。
俺たちの密入国作戦を指揮した、軍の中枢にいる人間だ。
「俺はガルノフ。この国の番犬頭だ」
ガルノフと名乗った男の鋭い目が、俺を射抜く。
その目は笑っているが、奥底には冷徹な観察眼が光っていた。
獣の顔を持つ、知性ある武人。
俺の背筋に、冷たいものが走る。
帝国の本性が、牙を剥き始めていた。
第三章にして最終章、開幕です。
どうぞ最後までお付き合いください。




