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第3話 殺意

 日が西に傾き、森の色彩が茜色から濃紺へと沈殿していく。  


 次第に視界が悪くなる中、なおもヴィオラの歩速は落ちない。  


 俺を抱えたまま、時速六〇キロ近い速度で木々の間を縫うように疾走している。


(……バイク並みか)


 俺は冷静に彼女のスペックを分析していた。

   

 これだけの速度で走りながら、俺への振動はゼロ。  


 体幹の強さ、動体視力、空間把握能力。


 どれをとっても人間の限界を超えている。    


 この戦力があれば、物理的な脅威からは守られるだろう。  


 だが、今の俺はただの荷物だ。  


 主導権を握るには、俺自身がこの世界に適応し、情報を集めなければならないだろう。


「マコト様。日没です。野営の準備をいたします」


 唐突にヴィオラが停止した。  


 慣性の法則を無視した急停止。


 だが俺には一切の負担は無い。


「ああ。頼む。だが、寝床はどうする? テントも寝袋もないぞ」


「ご安心ください。マコト様に、地べたを這う虫のような真似はさせません」


 ヴィオラは涼しい顔で、一歩前に出る。  


 彼女は何も無い虚空へ――大剣を取り出した時と同じように――スッと右手を差し入れた。


 ズズズ……ッ


 空間が歪む、あの不快な重低音が響く。  


 世界に黒い亀裂が走り、そこから何かがせり出してくる。


(また武器を? 迎撃準備か!?)


 俺が身構えた次の瞬間。


 ドスン、と重い音を立てて地面に置かれたのは、豪奢な装飾が施された、革張りのアンティークソファだった。


「……は?」


 俺の思考が一瞬、空白になる。

 

 だがヴィオラの手は止まらない。    


 ズズズ、ズズズと空間から次々と吐き出される品々。  

 

 磨き上げられた銀のティーポット。  

 純白のテーブルクロスがかけられた丸テーブル。    


 そして極めつけは、フカフカの羽毛布団が敷かれた、天蓋付きのキングサイズベッド。


「……」


 数秒前までただの鬱蒼とした森だった場所が、一瞬にして王族の寝室のような空間に書き換えられていた。  


 頭上には枝葉が茂り、足元は土。その真ん中に、不自然に輝く最高級家具の数々。  


 あまりにシュールで、異様な光景だ。


「私のスキル、【虚空の武器庫(ヴォイド・アーモリー)】でございます」


 ヴィオラは何事もなかったかのように、テーブルにティーカップを並べながら答える。


「本来は武器や鹵獲品を収納するためのスキルですが、マコト様の快適な旅路のために、家具一式や生活用品も収納しておきました」


「……武器庫に、寝具が入ってたのか?」


「はい。マコト様の安眠は、一国の存亡よりも優先される事項ですので」


 ヴィオラの目は本気だ。  


(……デタラメだな)


「……なぁ、ヴィオラ」


「はい、何でしょう? お気に召しませんでしたか?」


 不安げに小首を傾げる美女。

 

 俺は眉間を押さえ、目の前の光景を指差した。


「……おかしいだろ、これ」


 俺は泥濘んだ地面の上に鎮座する、きらびやかな絨毯を指差した。


 森の中に突如現れた王族の寝室。  


 ジャージ姿の俺には、あまりにシュールで居心地が悪すぎる。


「俺はただの一般人だぞ。こんなの逆に落ち着かねえよ」


 俺がドン引きしながら訴えると、ヴィオラは真顔で首を横に振った。


「恐れながら、認識が間違っております。マコト様」


 彼女は俺の手を取り、熱っぽい瞳で見つめてくる。  


 その瞳孔は開いていた。


「これでもまだ、不十分なのです。マコト様という至高の存在を収めるには、この世界ですら狭すぎるのですから」


(……ダメだ、話が通じない)


 俺は戦慄した。    


 彼女の愛の基準は常識の彼方にある。  


 この快適さは、彼女の狂気の上に成り立っているのだ。


 観念して、おれはふかふかのソファに深々と身を沈める。


 泥と草木の匂いがする森の中で、ここだけが別世界のように優雅だ。


 そういえば、


「ヴィオラは……食事とかはいいのか?腹は減ってないのか?」


 ヴィオラが淹れてくれた紅茶を飲みながら尋ねると、彼女は首を横に振った。


「不要です。私は虚空から汲み上げた『闇のマナ』を循環させて稼働しております。生理現象としての食事や睡眠は必要ありません。24時間365日、不眠不休でマコト様をお守りできます」


「……ブラック企業も真っ青だな」


 便利すぎる。そして、人間離れしすぎている。


 彼女は本当にどういった存在なのだろうか。


「ですが、マコト様が『一緒に食事をしろ』と命じてくださるのであれば、喜んでご一緒させて頂きます。マコト様と同じ行為を共有することは、私にとって至上の喜びですので」


 ヴィオラが頬を赤く染めながら、純情な乙女のような言葉を口にする。


「あ、ああ……じゃあ、一緒に食べようか。一人で食っても味気ないしな」


「はい! 喜んで!」


 パアァッ、と背景に花が咲くような満面の笑顔。

 

 俺たちは焚き火を囲み、奇妙な夕食を共にした。


 状況はカオスだが、少なくとも今の俺は、前の世界で死にかけていた時よりも、ずっと「生きている」気がした。


(……この平穏が、ずっと続けばいいのに)


 俺は心底そう願った。


 だが。異世界の現実はそう甘くはなかった。


 ◇


 翌朝。  


 俺たちは森を抜け、開けた場所に出た。


 不意に、風に乗って、焦げた臭いが鼻腔を刺激する。  


 木材が焼ける臭いだ。そして、錆びた鉄のような――血の臭気。


「……村があるな」


 俺は目を細める。  

 遠くに見える集落から、黒煙が上がっている。


「マコト様、敵性反応が多数。迂回を推奨します」


 ヴィオラが警告する。  

 だが、俺は首を横に振った。


「いや、行くぞ。情報が必要だ。地図、通貨、この世界の常識……それに、俺の着替えもな」


 俺の格好は、薄汚れたジャージだ。


 このままでは、この世界では不審すぎるだろう。

 

 多少のリスクを冒してでも、現地人と接触する必要があった。


「畏まりました。私の半径二メートル以内から離れないようお願いします。あらゆる脅威からマコト様をお守りします」


 俺たちは慎重に、村へと近づいた。


 ◇


 村の広場は、凄惨な状況だった。    


 村人たちが広場の中央に集められ、地面に座らされている。  

 

 それを取り囲むのは、屈強な兵士たち。二十人ほどか。


 全員が獅子の紋章の刻まれた鎧を装備している。


 後に知ることになるが、彼らはこの地を治める大国、レガリス王国の正規兵だった。


「おい貴様ら! 隠してる食糧はこれで全部か!? 虚偽の報告をすれば指を一本ずつへし折るぞ!」


 男の一人が、村長の顔を靴底で踏みつけ、グリグリと捻っている。  


 子供の泣き声。女性の悲鳴。    


 典型的な略奪だ。  


 胃が重くなる。見たくない光景だ。


(……関わりたくない)


 本音を言えば、回れ右をして逃げ出したい。     


 だが、ここで逃げれば情報は手に入らない。


 俺は深呼吸をして、腹を括った。  


 ここは現代日本じゃない。だが、交渉の余地はあるはずだ。


 相手も人間だ。金目のものを渡すなり、こちらの情報を提供するなりすれば、事情くらいは聞けるかもしれない。


「ヴィオラ、俺が言うまで絶対に手出しはするなよ。まずは俺が交渉を試みる」


「……御意」


 不安そうにヴィオラが頷く。  


 俺は両手を上げ、敵意がないことを示しながら、男たちの前に進み出た。


「あ? なんだお前ら」


 見張りの男が、気だるげに槍を向けてくる。


「すみません、俺たちは通りがかりの旅人です。道に迷ってしまいまして……少し道を教えていただきたいのですが」


 俺は努めて卑屈に、愛想笑いを浮かべて頭を下げた。  


 社畜時代に培った、トラブルを回避するための処世術だ。


 男の視線が、俺のジャージを舐めるように見る。  


 そして、その背後にいるヴィオラへと移った瞬間、男の目が卑猥に歪んだ。


「へぇ……てめえは奇妙な服だが、連れは極上じゃねえか」


 男が下卑た笑い声を上げ、仲間に合図を送る。  

 ゾロゾロと、兵士たちが集まってきた。


「おい、この姉ちゃん置いてけよ。そうすれば見逃してやる」


「い、いや、彼女は私の連れでして……」


「あぁ? 聞こえねえな」


 ドンッ、と肩を突き飛ばされた。  

 俺は無様に尻餅をつく。


 泥の味が口の中に広がる。  

 兵士たちがゲラゲラと笑う。


「なんだこのもやしっ子。弱すぎんだろ」


「おいおい、そんなナリでこんなイイ女連れてるとか、分不相応だぜ?」


 リーダー格の男が歩み寄り、俺の頭を無造作に掴んだ。  


 髪を引っ張られ、無理やり顔を上げさせられる。


「いいか、兄ちゃん。この世はな、強い奴が正義なんだよ。お前みたいな弱そうな平民が、こんな上玉を独占していいわけねえだろ?」


「……話し合いをしましょう。金なら、後でなんとでも……」


 俺はまだ、言葉による解決を諦めていなかった。  


 暴力を振るえば、後戻りできない。

 

 殺し合いになれば、俺は人としての何かを失う気がした。


 だが。


「うるせえよ、ゴミ」


 ドゴォッ!!


 鳩尾に強烈な蹴りが入った。

 

 呼吸が止まる。視界が白滅する。


 俺はボロ雑巾のように地面を転がった。


「が、はっ……」


「マコト様ッ!!!」


 ヴィオラが動こうとする気配。


 俺はそれを手で制した。


 まだだ。まだ耐えられる。


 男が俺の顔の前にしゃがみ込み、唾を吐きかけた。  


「お前みたいな社会の底辺はな、俺たちみたいな強者にすべてを貢ぐために生きてるんだよ。役に立たねえゴミは、黙って死んでろ」


 ――プツン


 俺の中で、何かが切れる音がした。


 『ゴミ』


 『社会の役に立たない』


 『黙って死んでろ』


 その言葉は、俺が前の世界で、散々浴びせられた言葉だった。  


 冤罪を着せられた時。  

 誹謗中傷された時。  

 再就職を断られた時。


 誰も俺の話を聞かなかった。  


 誰も俺を人間として扱わなかった。  

 

 ここでも、同じか。  


 世界が変わっても、弱者は踏みにじられるだけなのか。


 俺は震える手で、地面を握りしめた。    


 話し合い? 交渉?  


 馬鹿か、俺は。

 

 言葉が通じるのは、人間相手だけだ。  


 こいつらは人間じゃない。


 俺の尊厳を奪う、ただの害獣だ。


 ならば、害獣には、害獣に相応しい末路を与えるべきだ。


 覚悟を決める。


 俺はゆっくりと顔を上げた。  


 痛みは引いていた。


 代わりに、脳髄は凍りつくほど冷たく澄み渡っていた。


「……ヴィオラ」


「はい、マコト様」


 俺の呼びかけに、彼女は即座に応えた。


 その声は歓喜に震えているようだった。


 彼女はずっと、この瞬間を待っていたのだ。


「命令だ。……塵一つ残すな」


「畏まりました。――そのお言葉、待ち焦がれておりました」


 男が「あ?」と間の抜けた声を上げた瞬間。


 世界が、反転した。


 ドンッ!!


 爆音。  


 男の上半身が、赤い霧となって弾け飛んだ。


 俺の目の前に立っていたはずの男が、下半身だけを残して消滅していた。  


 俺たちに降り注ぐ血の雨を、見えない壁が弾く。


「な……ッ!?」


 周囲の兵士たちが、状況を理解できずに硬直する。


 ヴィオラは優雅にスカートをつまみ、血の海の中で一礼した。


「我が主を愚弄した罪、万死に値します。【虚空の武器庫(ヴォイド・アーモリー)】、展開」


 空間が割れる。  


 現れたのは、あの漆黒の大剣。


 俺は立ち上がり、先程まで人間だった《《それ》》を冷ややかな目で見下ろした。  


 恐怖はない。罪悪感もない。  


 ただ、胸のすくような爽快感だけがあった。


「あ、ああ……」


「ば、化け物……!」


 兵士たちが悲鳴を上げて逃げ惑う。  


 だが、もう遅い。


 俺は平穏を望んだ。  


 それを脅かす者がいるなら、俺は喜んで修羅になろう。


「やれ」


 短い命令と共に、一方的な虐殺が幕を開けた。


 俺は覚悟を決め、ヴィオラの背中を見つめる。


 これは、俺が選んだ道だ。


 理不尽に屈するくらいなら、世界を敵に回してでも、俺はこの最強の怪物と共に生きる。


 ◇


 ひゅん、と大剣が風を切る音がした。


 それだけで、前列にいた三人の兵士が、鎧ごと両断されて崩れ落ちた。


「ひ、ひいいいいッ!」


「助けてくれ! 悪かった! 見逃してく――」


 兵士たちの悲鳴が、次々と途絶えていく。


 ヴィオラが剣を振るうたびに、人が物言わぬ肉塊へと変わっていく。


 もはやこれは戦闘などではない。


 作業だ。ゴミ掃除だ。


「貴様らァァァ!!」


 その時、村の奥から一際大きな怒号が響いた。


 現れたのは、全身を輝く黄金の鎧に包んだ男だった。

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