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第29話 救いの手

 テレシアは後退する。


 地を蹴り、大きく距離を取る。  


 逃走ではない。誘導だ。


 彼女の視線は、肩越しに背後の市街地に向けられている。  


 一般市民への被害を避けるため、戦場を移そうとしているのだ。


 ヴィオラは淡々と追う。  


 その顔に焦りはない。  


 彼女はあえて、その誘導に乗っているのだ。


 二つの影が、屋敷の正面で交差する。  


 そこには、広大な庭園が広がっていた。


 周囲一帯に市民はいない。  


 ここなら誰の巻き添えも気にせず、テレシアは剣を振るえる。


 テレシアが足を止めた。  


 呼吸を整え、剣を構え直す。  


 その顔に、微かな安堵が浮かぶ。


 守るべきものをこの悪魔から遠ざけた。  


 これで全力を出せる。  


「ここなら全力を出せますよね?」


 唐突に、ヴィオラの冷ややかな声が響く。


 ヴィオラは大剣をだらりと下げたまま、嘲るように口角を上げた。


 誘導されたのではない。  


 ヴィオラは待っていたのだ。  


 テレシアが万全の状態になり、全力を放つ瞬間を。


 その上で叩き潰す。  


「守るものが足枷になったから負けた」という泣き言すら許さない。  


 主人に散々不快な思いをさせたこのゴミは、ただ殺すだけでは生温い。


 その精神ごと、徹底的に破壊したうえで殺す。


 そんなヴィオラの思惑が伝わったのだろう。


 テレシアの顔から血の気が引く。    


 だが、動揺は一瞬。


 即座に精神を整え、気合いを入れなおす。


 迷いは消えた。


 彼女の意志のすべては、目の前の悪魔を討ち滅ぼすことだけに向けられていた。  


 テレシアの全身から、凄まじい闘気が立ち上る。


 ◇


 テレシアは、聖盾を背負い、聖剣『ヴァルキュリア』を両手で握り締める。


 命を燃やす。  


 比喩ではない。  


 彼女の肌が白く輝き、生命力が光となって剣へと吸い上げられていく。


 これが、国宝の伝説級アーティファクト『聖剣ヴァルキュリア』の真の力。  


 使い手の生命力を糧に、絶対的な浄化の光を放つ諸刃の剣。


「おおおおおおおッ!!!!!」


 裂帛の気合い。  


 剣身が太陽のように煌めく。


 ヴィオラは動かない。  


 ただ、うっとおしそうに目を細めているだけだ。


「【極限閃撃マキシマム・ブレイク】!!!!!」


 テレシアの第二の奥義。

 ミスリル級戦士(ウォリアー)の、最強の攻撃スキル。


 テレシアが渾身の力で大地を踏み込む。  


 聖剣から光が溢れ、闇夜が白一色に染まる。  


 テレシアの精神力、生命力、肉体能力、スキル、聖剣の魔力、その全てが重なり、極限の一撃が放たれた。 


 雨粒が蒸発し、夜の闇が完全に消滅する。


 直撃。  


 誰が見ても、そう確信するタイミングだった。


 ――しかし


 その絶対的な白の世界の中で。  


 あってはならない声が聞こえた。


「……少し、眩しいですね」


 テレシアの思考が凍りつく。  


 光はまだ、晴れていない。  


 ◇


 雨粒が蒸気と化し、白煙のように漂っている。


 視界が晴れたテレシアの眼前に、ヴィオラは平然と立っていた。


 無傷だ。  


 服の裾すら焦げていない。 


 彼女は右手で、聖剣の刀身を鷲掴みにしていた。


 テレシアの目が見開かれる。  

  

 ありえない。


 呼吸が止まる。


 ギチッ、ギチチッ……


 異音がした。  


 乾いた音ではない。  


 もっと粘度のある、嫌な音だ。


 ヴィオラの細い指が、聖剣の刀身にめり込んでいく。


 国宝。伝説の聖剣。  


 リブラ共和国の至宝。  


 その絶対硬度を誇る刃が、ヴィオラの握力に負け、悲鳴を上げている。


 ギギギギ……ッ!


 空間が歪む。  


 刀身が飴細工のようにひび割れていく。


「想定より、多少は頑丈な粗大ゴミでしたね」


 ヴィオラがつまらなそうに呟くと、手首をクイッと捻る。


 バキンッ!!


 限界を迎えた聖剣が、遂にへし折られた。  


 刀身の上半分が吹き飛び、庭園に突き刺さる。


「あ……」


 テレシアの喉から、掠れた音が漏れる。  


 呆然と立ち尽くす彼女の腹部に、ヴィオラの足がめり込んだ。


 前蹴りだ。


 テレシアは反射的に聖盾で防御した。  


 だが、無意味だった。


 ガシャァァァァン!!


 粉砕音。  


 最強の盾が、ガラスのように砕け散る。  


 粉々になった国宝の破片があたりに舞い散る。


 聖盾もヴィオラとの戦闘で、すでに耐久の限界を迎えていたのだ。


 テレシアの身体はその衝撃を受け止めきれず、空中に吹き飛ばされる。


 途方もない滞空時間の末に墜落し、地面を転がり、ついに全身が動かなくなる。


 格が違う。  


 次元が違う。  


 共和国最強の自分がまるで歯が立たない。


 勝ち目が見えない。


 この悪魔を止められる者は、この世に存在しないのではないか。


 テレシアは己の無力を嘆き、間もなく訪れるであろう死を覚悟した。


 ◇


 マコトは、敗北したテレシアに歩み寄り、地に伏した聖女を見下ろす。


 彼女は血と泥にまみれ、仰向けに倒れていた。  


 鎧はひしゃげ、剣は折れ、盾は砕けた。  


 焦点の合わない目が、虚空を見つめている。


 俺は懐に手を入れ、金箔の押された上質な封筒を取り出す。


 かつて検問所で、彼女が俺にくれたもの。  


 それは聖女の、無償の善意の証。  


「あんたは立派だよ」


 俺は彼女を見下ろしながらつぶやく。


「この腐った国で、正しくあろうとする姿だけはな」


 テレシアの目がわずかに動き、俺を見る。


「……だが」


 俺は両手に力を込めた。


「それだけじゃ、何も守れない」


 ビリッ


 手にした封筒を破る。  


 二つに。  


 四つに。  


 さらに細かく。


「正しいだけじゃ、本当に大切なものは守れないんだよ」


 俺は手を広げた。  


 白い紙吹雪が、風にさらわれ、闇夜へと散っていく。


「あんたの手がなくても、生憎と、俺はもう救われてるのさ」


 傍らのヴィオラの肩を抱き、引き寄せる。


「……この悪魔にな」


 ヴィオラが頬を染め、恍惚とした表情で俺に寄り添う。


 テレシアの瞳から、涙が溢れた。  


 絶望が、彼女の顔を覆い尽くす。


 俺たちは彼女に背を向け、歩き出した。


 ヴィオラは当然のように、返り血一つ浴びていない。


 まさに最強の怪物だ。


 俺は彼女の手を取る。  


 冷たくて、儚げで、血塗られた、小さな手だ。  


 この怪物だけが、俺の手を握り返してくれる。


 何があろうとも、世界のすべてを敵に回しても。


 背後から、聖女の絶望に満ちた慟哭が、夜風に乗って聞こえてくる。  


 俺たちは二人きりで、深い闇の中へと消えていった。

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