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第26話 不合格

 部屋の中を支配しているのは、硬い秒針の音だけだった。


 カチッ、カチッ、カチッ、カチッ


 マコトの持つ懐中時計が無機質なリズムを刻む。


 窓の外から雨音が聞こえ始めた。  


 雨粒が石畳を叩く湿った音に混じり、衣擦れの音がする。  


 金属と革が擦れ合う、独特のノイズ。


 包囲されている。


 俺は椅子に深く腰掛けたまま、足元に視線を落とした。


 そこには、一つだけ荷物が置かれている。  


 古びた革のトランクだ。  


 持ち手の革は剥げ、金具は錆びついている。  


 俺がこの異世界で手に入れた、数少ない私物だ。


 中には必要最低限の生活用品が入っている。


 テレシアの介入。  


 法による秩序。  


 そんなものが機能するなら、俺はこのトランクを持って裏口から消えていただろう。


 だが、現実はこれだ。


 背後に気配が立つ。  


 芳醇な香りが鼻腔をくすぐった。


 ヴィオラが紅茶を注いでいる。  


 最高級のアッサムの香りが、安宿特有の饐えた油の臭いと混じり合う。  


 時計の文字盤を凝視する。


 俺は少しだけ期待していたのかもしれない。  


 この腐った国にも、まだ話の通じる理性が残っていることを。


 カチッ


 秒針が止まる。  


 同時に、俺の中の何かが冷たく冷え固まった。


 失望ではない。  


 やはりか、という諦めだ。


 日付が変わる音が引き金となった。


 ドォン!!


 正面のドアが弾け飛ぶ。  


 同時に、左右の窓ガラスが粉砕された。


 雨風と共に、黒い奔流が雪崩れ込んでくる。  


 ザガンの私兵団だ。  


 彼らは無言だ。


 統率された無駄の無い動きで、部屋の空間を埋め尽くしていく。


 俺は身じろぎもしない。


 足元のトランクから視線を外す。  


 もう二度と、それを見ることはないだろう。


 俺は目の前の兵たちを見据え、言い放つ。


「時間切れだ。結局、不合格だったな⋯⋯」


 そして彼らに、死を宣告した。


「ヴィオラ。『掃除』の時間だ」


「御意」


 メイドの可憐な声が響く。


 この瞬間を待ちわびていたかのようだ。


 ヴィオラが俺の前に出た。  


 虚空へ右手を突き入れる。


 ズズズ……ッ


 空間が軋む、不快な重低音。  


 彼女が引き抜いたのは、身の丈を超える巨大な漆黒の大剣。


 光を吸い込む黒い刃。  


 それは室内で振るうには、あまりに大きすぎる。


 だが、彼女は構わず横に薙いだ。


 ヒュン――


 風切り音は、驚くほど静かだった。


 大剣が壁を通過する。  


 タンスを通過する。  


 そして、兵士たちの胴体を通過する。


 抵抗がない。  


 まるで空間ごと切ったかのように、黒い刃はすべてをすり抜けた。


 一瞬の静寂。


 前列にいた五人の兵士の上半身が、斜めに滑り落ちた。  


 背後の壁も、家具も、同じ角度で切断されている。


 ドサッ


 肉塊が床に落ち、鮮血が噴き出した。


 切られた本人たちは、死んだことに気づいていない表情のまま転がっている。


 悲鳴が上がらない。  


 異常な死の光景に、後続の兵士たちが凍りついているからだ。


 だが、すぐに怒号が飛ぶ。


「ひ、怯むな! 数はこっちが上だ!」


「押し込め! 圧殺しろ!」


 恐怖を怒りで塗りつぶし、兵士たちが殺到する。  


 狭い部屋が、殺意と肉体で埋め尽くされる。


 ヴィオラは一歩も動かない。  


 俺が腰かける椅子の前で、ただ大剣を振るう。


 ブンッ


 右から迫る兵士が、ハエ叩きで潰された羽虫のように壁に叩きつけられる。


 グチャッ


 左から迫る兵士が、剣の腹で床に押し潰される。


 飛び散る血肉。  


 千切れた手足が宙を舞う。


 俺はテーブルの紅茶を手に取った。  


 眼前の惨劇を眺めながら、カップを傾ける。  


 冷めた紅茶が喉を通る。


 飛び散る血の一滴すらも、俺には届かない。  


 ヴィオラの見えない障壁が、全ての汚れを弾いている。


「……ゴミが多すぎますね。不愉快です」


 ヴィオラが不機嫌そうに呟いた。


 際限なく湧いてくる敵に、苛立ちを覚えたらしい。


「まとめて処分いたします」


 彼女は大剣の切っ先を、敵集団の中心へと向けた。  


 大剣が闇のオーラを纏い、剣先に黒い球体が発生する。


 重力が狂う。  


 床の破片が浮き上がる。


「【黒蝕の崩渦エクリプス・フォース】」


 ゴォォォォォォォォッ!!


 部屋の中に、大嵐が発生したかのようだった。  


 猛烈な吸引力。  


 掃除機に吸われる塵芥のように、兵士たちの身体が暗黒の球体――虚空の穴へと引きずり込まれる。


「ぎ、ぎゃあああ!?」


「は、離せ! うわぁぁぁッ!!」


 数十人の男たちが、もつれ合い、重なり合い、中心へ圧縮される。


 グシャアアアアッ!


 鈍い音が響く。


 断末魔は一瞬で途絶えた。


 後に残ったのは、赤黒い球状の肉塊だけ。  


 かつて人間だったモノの残骸だ。


「少し散らかったな」


 俺は空になったカップを置き、淡々と感想を述べた。


 部屋には血の匂いが充満している。


「換気するか」


 俺の言葉に、ヴィオラが頷く。  


 彼女は大剣を真上へ突き上げた。


 ズドォォォォォォン!!


 衝撃波が建物を貫く。  


 宿屋の屋根と壁が、弾け飛んだ。


 視界が開ける。  


 頭上には、雨雲に覆われた夜空。  


 激しい雨が、瓦礫の山となった部屋に降り注ぐ。 


 雨粒は俺たちの頭上で見えない傘に弾かれ、周囲へ流れていく。


 俺は立ち上がり、足元を見る。


 トランクが瓦礫に潰され、口が開き、中身が泥と血にまみれている。


 俺は迷わず、それを踏みつけた。  


 革が軋む感触が靴底から伝わる。


 俺は瓦礫の山を降りていく。


 外には、まだ敵の残党がいた。  


 後方で指揮を執っていた男――ガレインの姿もある。


 彼はへたり込み、腰を抜かしていた。  


 目の前で宿屋が吹き飛び、部下たちが肉団子になって転がり落ちてきたのだ。  


 理解が追いつかない。


「な、なんだ……あれは……」


 ガレインの周りにいた護衛たちが、震える手で武器を構えようとする。


 ヴィオラが、大剣の切っ先を彼らに向け、振るう。


 ヒュッ


 ただ、それだけ。  


 剣の軌跡が、衝撃波と化して彼らの身体を吹き飛ばし、肉片に変える。


 カラン


 誰かの剣が落ちた。  


 それを合図に、兵士たちは膝から崩れ落ちた。  


 一瞬で、残った兵らの心は折られた。


 俺はガレインの前に立つ。  


 彼は泥水の中を後ずさり、俺を見上げた。  


 その顔は恐怖で引きつり、涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。


「た、助けてくれ……!」


 ガレインが悲鳴のような声を上げる。


「金なら出す! いくらでも払う! 望むものは何でも差し出す! だから……!」


 俺は何も答えない。  


「あ……ぅ……」


 ガレインが情けない声を漏らす。


「案内しろ」


 俺は短く告げた。


 ヴィオラが動く。  


 彼女は大剣を武器庫に収納すると、片手でガレインの足首を掴んだ。


 そして、そのまま歩き出す。


 ガレインはうつ伏せのまま、後頭部や顔面を石畳に擦りつけながら引きずられていく。


「ひぎっ!?」


 まるでゴミ袋でも扱うように引きずっていく。


 俺は冷たくガレインに言い渡す。


「まだ死ぬなよ。お前は大事な案内役だ」


 背後から、押し殺しきれない悲痛な呻き声が聞こえる。


「行くぞ。本丸への挨拶だ」


 雨脚が強くなる。  


 雷光が走り、一瞬だけ俺たちの影を長く伸ばした。


 ヴィオラが、恍惚とした表情で俺の背中を見つめる。


「はい。最高に素敵な夜になりそうですね、マコト様」 

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