第24話 決裂
逆光を受け、背後の太陽すら味方につけたかのように、彼女――テレシア・レイ・ユースティアは輝いていた。
カフェの空気が凍りつく。
賑やかだった談笑が消え、カップを置く音さえ止まる。
本能的な忌避。
眩しすぎる光は、薄汚れた庶民にとっては恐怖の対象にすらなる。
客たちは次々と席を立つ。
逃げるように店を出ていく。
あっという間に、カフェにいる客は俺たち三人だけになった。
「相席、よろしいですか?」
拒否権などない。
彼女は返答を待たず、優雅に俺の正面へ腰を下ろした。
「……またお会いできましたね、マコトさん」
碧眼が俺を射抜く。
その瞳には、一点の曇りもない。
正義は必ず悪を――いや、迷える子羊を見つけ出す。
そんな彼女の信念が、圧力を伴ってのしかかってくる。
俺は冷めたコーヒーを一息に口に含む。
味などしない。
声を絞り出すために喉を潤したかった。
「人違いじゃないですか? 私はジョ……」
俺の言葉を遮るように、一枚の紙片がテーブルに置かれた。
王都中央銀行のロゴ。
取引明細書の写しだ。
「ベルファストのギルドが振り出した高額小切手。その換金記録がメリクスの銀行にありました」
淡々とした、事務的な口調。
「日付は三日前。場所はここから二区画圏内」
言い逃れはできない。
魔法ではない。
地道な捜査による、冷徹なロジックでの包囲網。
「お金の使い方には、もう少し気を配るべきでしたね」
テレシアがからかうように微笑む。
「アシがつきますよ」
グニャリ
異音が、静寂を裂いた。
俺の隣、ヴィオラの手元からだ。
その手に握られていたフォークが、飴細工のようにひしゃげている。
指先から溢れ出す、どす黒いオーラ。
肌を刺すような冷気。
こちらに向かっていた給仕の女性が恐怖で腰を抜かした。
膝が震え、トレーを落とす。
ガシャン!
派手な音が店内に響く。
だが、テレシアは瞬き一つしない。
この状況下で、ヴィオラを一瞥すらしていない。
彼女にとって、ヴィオラは対話不能な「災害」だ。
人間として認識していない。
事実、その判断は正しかった。
「話し合いましょう、マコトさん」
テレシアは震える給仕に目配せし、追加の注文をする。
リンゴのタルトとコーヒー。
ベルファストで俺が好んで注文していたメニューだ。
そこまで調べ上げているのか。
背筋を冷たいものが這い上がる。
「……何の真似だ」
「私は貴方たちを今すぐ捕縛することもできます。ですが、そんなことはしたくない」
テレシアは身を乗り出した。
「ベルファストでの件については、私が直接話を聞きました。先に手を出したのはギルド側だということも把握しています」
意外な言葉だった。
「その点においては、情状酌量の余地があります。しかし、貴方たちはやりすぎました。白金級冒険者を再起不能にしたことは、どうしても見逃せません」
彼女の声は、どこまでも澄んでいる。
「どうか、法の下で罪を償ってください。私が証言台に立てば刑期は大幅に短縮されます」
彼女は言葉を続ける。
「その後は、私の監督下で保護観察処分とします。住居も仕事も手配しましょう。過去を清算し、真っ当に人生をやり直すのです」
それは完璧な提案だった。
慈悲深く、合理的で、常人ならば涙を流して縋りつくような救いの手。
だが、俺の心は冷え切っていた。
ベキベキベキッ
隣から異様な音がした。
ヴィオラが、手に持っていたコーヒーカップを砕いた音だった。
カップが彼女の手のひらにすっぽりと収まり、尋常ならざる握力で握りしめられ、音を立てて砕け、砂に変わる。
開かれた手から、砂がテーブルにさらさらと零れ落ちる。
異常な光景だ。
ヴィオラの放つ敵意がボルテージを増していく。
とっくに逃げ出したのか、いつの間にか店員の姿も消えていた。
それでも、テレシアはヴィオラを見ようとしない。
頑として俺だけを見つめている。
俺はテレシアを一瞥し、鼻で笑った。
「真っ当な人生? ……刑務所の中で、カビ臭いパンを食うのがか?」
「法は貴方を守ります。社会復帰を支援します」
「その法が、前の世界で俺が寒さに死にかけていた時に、何をしてくれた!?」
「前の世界⋯⋯?」
テレシアの顔が疑問の色を浮かべるが、俺は構わず言葉を吐き散らす。
「冒険者共に殺されそうになった時、誰が助けてくれた!? あんたの言う法とやらは、いつも遅すぎる。役に立ったためしがない」
「それは……」
「綺麗事は聞き飽きたんだよ、聖女様」
テレシアの俺を見る目が変化する。
痛ましいものを見る目だ。
「それでも……彼女という力に依存するのは間違っています」
テレシアは核心を突いてきた。
初めて、テレシアの視線がヴィオラの方へ向く。
だが、それは人間を見る目ではない。
「麻薬と同じです。安易な力に溺れれば、いつか貴方は破滅する」
図星だった。
ヴィオラは劇薬だ。
いつか俺自身を焼き尽くすかもしれない。
そんなことは、最初から分かっている。
俺は口の端を吊り上げた。
「破滅? 上等だ」
喉の奥から、乾いた笑いが漏れる。
「俺は、あんたが管理する安全な檻より、こいつと行く自由な地獄を選ぶ」
テレシアの目から、光が消えた。
カフェの空気が、ピリピリと張り詰める。
陽だまりのような暖かさが消え、肌を刺すような冷気が漂う。
「言葉では、届かないのですね」
彼女は静かに立ち上がった。
「ならば、実力を行使してでも、貴方からその闇を引き剥がさなければなりません」
物理的な武力の行使。
彼女の背後には、この国の全戦力が存在する。
ミスリル級の彼女一人でさえ脅威だ。
さらに治安維持局や軍が総動員されれば、逃げ場はない。
詰みだ。
テレシアが、白く美しい手を差し伸べる。
「これが最後の機会です。私の手を取ってください」
最後通告。
「……さもなくば、この国の総力をもって、貴方たちを捕縛します」
この手を取れば、楽になれるのだろう。
ヴィオラから離れ、テレシアの庇護下で、まっとうな人間として生きる。
それが、おそらく正解なのだろう。
だが。
俺は隣を見た。
ヴィオラは楽しそうに、笑顔で俺を見つめている。
どうやら俺の心の内はお見通しのようだ。
(ああそうさ……俺が求めているのは、救済じゃない)
俺が欲しいのは、俺と同じ地獄を見てくれる共犯者だ。
「ははっ、……傑作だ」
俺はテーブルの上の伝票を掴んだ。
ぐしゃりと握りつぶし、差し出されたテレシアの手のひらに落とす。
「長々とつまらないお説教を聞いてやったんだ。もちろん奢ってくれるんだろ? 聖女様」
明確な拒絶の意思表示。
テレシアの目が見開かれる。
俺たちは席を立った。
「勘違いするなよ。あんたの言う法や道徳が、俺を守ってくれたことなんて一度もない」
出口へ歩きながら、背後のテレシアを見ずに、淡々と言葉を紡ぐ。
「この世で本当に信じられるのは、神でも法でもない」
そして俺は言い捨てる。
「……圧倒的な、暴力だけだ」
そのまま店を出る。
ヴィオラが俺の後ろに続く。
その表情は、主人への崇拝と恍惚に満ちていた。
「行くぞヴィオラ。この店は客層が悪い」
◇
取り残されたテーブル。
冷めたコーヒーと、握りつぶされた伝票。
一人残されたテレシアは、店を出て通りを歩くマコトの背中を見つめている。
その目は憐憫に満ちていた。
「……可哀想に」
無人の店内に、彼女の独り言が響く。
「彼女の毒は、そこまで回っているのですね⋯⋯」
彼女の碧眼に、暗く、重い炎が灯る。
もはやそれは慈愛などではない。
聖女の、狂気じみた使命感。
「いいでしょう。私が必ず貴方を救ってみせます。どんな手を使ってでも――」




