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第22話 誤算

 昼下がりの冒険者ギルド。


 普段なら、依頼達成を祝う荒っぽい笑い声や、ジョッキがぶつかり合う音で満たされているはずの時間帯だ。


 だが今、この空間を支配しているのは、針の落ちる音さえ響きそうな静寂だけだった。


 俺がジョッキを傾ける音だけが、やけに大きく聞こえる。


 ゴトッ


 木製のテーブルにジョッキを置く。  


 琥珀色の液体が波打つ。


 周囲の席に座る冒険者たちは、誰一人としてこちらを見ようとしない。  


 彼らは不自然に視線をテーブルへ固定し、押し黙って食事を続けている。


 だが、肌を刺すような視線だけは、全身に降り注いでいた。  


 横目で、肩越しに、彼らは俺たちの動向を必死に探っている。


  警戒。恐怖。  


 (……居心地が悪いな)


 俺は大きくため息を吐いた。


 周囲の冒険者たちの肩がビクッと跳ねる。  


 白金級を返り討ちにした代償がこれだ。


 俺の横の席にはヴィオラが控えている。  


 彼女は周囲の空気など意に介さず、優雅に最高級の紅茶を嗜んでいた。


 湯気と共に、茶葉の香りが漂う。  


 場末の酒場には似つかわしくない、洗練された香りだ。


 ヴィオラが俺の耳元に唇を寄せた。


「マコト様」


 鼓膜を撫でるような、柔らかな声。  


「先ほどから人間ゴミどもの視線が鬱陶しいですね。……掃除いたしましょうか?」


 彼女の紫の瞳が、店内の冒険者たちを舐めるように一巡する。  


 その瞬間、またもや冒険者たちの肩が跳ねた。


 中には身体を震わせている者もいる。


「よせ」


 俺は小声で制した。


「今すべきなのは掃除じゃない。……引越しだ」


 ◇


 あの戦闘の翌日。  


 俺たちはギルドマスターの執務室にいた。


 重厚な黒檀の机を挟んで、ギルドマスターが座っている。  


 その顔色は死人のように青ざめていた。


 俺は対面のソファに深々と腰掛け、足を組む。


 背後にはヴィオラが立っている。


 ただ立っているだけだ。  


 武器も持たず、殺気も放っていない。


 だがギルドマスターは、ヴィオラの視線が動くたびに、怯えて身体を震わせる。


 『銀翼の竜剣』がどうなったか、彼はすでに報告を受けているからだ。


「……白金プラチナ級パーティーの敗北を、首都へ報告せねばなりません」


 男は、渋い顔をしながら言葉を発する。


「軍と治安維持局に兵も要請します。これほどの事態だ、隠し通せるものでは……」


「報告?」


 俺は鼻で笑った。


「必要ない」


「な……しかし、シリウスたちが重傷を負って戻ったことは、すでにギルド中に知れ渡って……」


「……オッサン。あんたも組織の人間だ。自分の首も、部下の命も大事だろう?」


 動揺するギルドマスターに向けて、俺は優しく諭すように語りかける。


「で、報告書にはなんと書くつもりだ……?」


 俺は短く問いかけた。


 答えなど一つしかない、簡単な問いだ。


 彼の視線が、俺の背後のヴィオラへと吸い寄せられる。


 僅かな逡巡の後、彼は何かを決心したかのように、乾いた喉から答えを絞り出した。


「プ、白金プラチナ級パーティー、『銀翼の竜剣』は……」


 脂汗が、書類の上にポタリと落ちた。


「ほ、本日付けで……長期遠征に……出発いたしました……」


「奇遇だな。俺も受付でそう聞いていたよ」


 俺は満足げに頷いた。


 ◇


 食事を済ませた俺たちは、石畳の路地を歩いていた。


 懐には、ギルドから巻き上げた多額の慰謝料が入っている。  


 これで当面の資金には困らない。


「明日、ベルファストを発つぞ」


 俺はヴィオラに告げた。


「行き先はこの国の首都、メリクスだ」


「首都、ですか? かしこまりました。マコト様」


 ヴィオラは理由も聞かず、即座に肯定する。


 この都市で俺たちは目立ちすぎた。  


 だが、首都の雑踏ならば話は別だ。  


「冒険者なんかやめだ。今度は身分を偽って、普通の一般市民になりすまそう」  


 これだけの金さえあれば、身分の偽造などどうにでもなる筈だ。


 それだけが、この国唯一の美点なのだから。


「誰にも邪魔されず、平穏に暮らす。……今度こそ、理想の生活を手に入れるんだ」


 俺の言葉に、ヴィオラがうっとりとした表情で頬を染める。


「はい、マコト様。あなた様が望むなら、私はどこへでもお供します」


 俺たちは顔を見合わせ、頷き合った。


 完璧な計画だ。  


 過去は清算した。金はある。


 輝かしい第二の人生が、俺たちを待っている。


 ◇       


 リブラ共和国首都、メリクス中央区。


 治安維持局の本部。


 その最上階にある執務室で、一人の女性が書類を広げていた。


 窓から差し込む陽光が、彼女の白銀の髪を照らし出し、女神のような神々しさを演出している。


 テレシア・レイ・ユースティア。


 この国の治安を一身に預かる、若き英雄。


 彼女の視線の先には、冒険者ギルド、ベルファスト支部から届いた一通の報告書があった。


『白金級パーティー『銀翼の竜剣』、本日より長期遠征任務に出立』


 簡潔な一文。  


 だが、書類をめくるテレシアの指先は止まっていた。


「……ありえない」


 彼女は静かに呟いた。


 シリウス・アーサーという男を、彼女はよく知っている。  


 彼は生真面目すぎるほどの堅物だ。  


 白金プラチナ級冒険者は、その存在が国力にすら影響を及ぼす。


 彼はそのことを深く認識していたはずだ。


 そんな彼が、治安維持局への事前申請もなしに、行き先不明の長期遠征に出る?  


 絶対にありえない。


 ならば、この報告書は何か。


 虚偽だ。  


 ギルドマスターが、何らかの圧力を受けて書かされた、偽りの報告。


 テレシアは論理を組み上げていく。


 白金級が、動けない。  


 あるいは、動けない状態にさせられた。  


 それを隠蔽しなければならないほどの「何か」が起きた。


 瞬間、彼女の脳裏に、国境の検問所で出会った異様な二人組の姿がよぎった。


 闇を抱えた黒髪の青年と、規格外のメイド。


「見つけましたよ」


 テレシアは確信した。  


 ベルファスト。そこに、彼らがいる。


 彼女は目を閉じる。  


 瞼の裏に、青年の姿が浮かび上がる。


 彼はなぜ、あの凶悪なメイドと共にいるのか?


「……哀れね」


 テレシアの口から、深い慈悲の言葉が漏れた。


 彼はメイドに脅されているわけではない。


 二人の関係はあの場で理解できた。  


 彼がその心に抱えているのは、根深い、魂の病。


 世界に絶望し、傷つき、誰も信じられなくなった孤独な男。  


 だからこそ彼は、ヴィオラという絶対的な存在に依存し、その力に溺れることでしか、自分を保てなくなっているのだ。


 それは歪んだ共依存だ。  


 偽りの安らぎだ。


 このままでは、彼はヴィオラという闇に完全に飲み込まれ、人の心を失ってしまうだろう。


 それを見過ごすことはできない。


 ギシッ、と、椅子が軋む音がした。  


 テレシアが立ち上がる。


 彼女は窓へと歩み寄り、遥か西方――ベルファストのある方角を見つめた。  


 その碧眼には深い使命感が宿っていた。


「私が救いましょう」


 彼女は決意を固める。


「待っていてください。闇に囚われた、哀れなる青年よ──」


 彼女はマコトを断罪する気など微塵もなかった。  


 ただ、正しい道へ引き戻したい。  


 あの悪魔のようなメイドから引き剥がし、陽の当たる場所へ導いてあげたい。


 それが、彼女の正義。  


 マコトにとって最大の誤算となる、純粋無垢な善意だった。

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