第20話 迫る刃
石造りの巨大な墓標。
旧ギルド管理棟を見上げた俺の脳裏をよぎったのは、そんなイメージだった。
西の空が赤錆色に焼け爛れている。
分厚い石壁は夕陽を吸い込み、冷たく乾いた灰色の陰影を地面に落としていた。
廃墟特有の、カビと湿った埃の臭い。
そこに微かな鉄錆の香りが混じり、鼻腔を撫でる。
「……こちらです」
案内役の職員は、重厚な鉄扉の前で立ち止まり、深く頭を下げた。
その額には脂汗が粒となって浮き、ドアノブを握る指先は小刻みに痙攣している。
彼は扉を開けると、逃げるようにその場を離れた。
まるでこれから始まる殺戮の席順から外れるように。
開かれた闇の奥から、冷気が足元へ這い出してくる。
俺は隣を歩くヴィオラに視線を流した。
彼女は漆黒のメイド服の端を指先で摘み、優雅に一礼する。
その唇の端が、数ミリだけ吊り上がっていた。
俺たちは闇の中へ、靴の音を響かせながら踏み込んだ。
ダンッ!!
背後で空気が爆ぜたような轟音が響く。
鉄扉が閉ざされ、施錠される金属音が反響する。
同時に、ホール全体の空気が変質した。
ブォン
重低音と共に、床、壁、天井に刻まれた幾何学模様が青白く発光する。
肌にまとわりつくような、粘度の高い空気。
鼓膜がツンと張り詰め、エレベーターで急降下したときのような不快感が脳を揺らす。
外部との音、光、そして魔力の流れが遮断された閉鎖空間。
完璧な密室が完成した。
俺が息を吐こうとした、その瞬間。
ヒュッ――
ホールの暗がりから、不可視の風圧が二つ。 俺の両眼めがけて飛来する。
皮膚が裂けるような殺意の突風。
だが、それは俺の顔面に届く直前で弾け飛んだ。
パァン
乾いた破裂音。
ヴィオラが俺の前に立ち、飛来した何かを、鬱陶しい羽虫でも払うように素手で叩き落としていた。
床に、砕けた矢尻と、風魔法の残滓である真空の渦が転がる。
「……随分と性急な挨拶ですね」
ヴィオラが紫の瞳を細める。
その視線の先、ホールの最奥から四つの影が浮かび上がった。
ガシャッ ガシャッ
フルプレートメイルの擦れる金属音が、静寂な空間に冷たく響く。
白銀色の輝き。
竜の意匠が施された盾。
中央に立つ男は、氷河を削り出したかのような、透き通る銀色の竜鱗の鎧を纏っている。
兜は被っていない。
短く刈り揃えられた黄金の髪が、結界の燐光を受けて輝いている。
年齢は二十代半ば――二十四、五といったところか。
貴公子然とした爽やかな美貌は、絵物語に出てくる勇者そのものだ。
その優男は身の丈ほどもある長大な大剣を、軽々と片手で構えていた。
彼こそがベルファスト最強の白金級パーティー、『銀翼の竜剣』のリーダー。
魔装騎士のシリウス・アーサーだ。
彼らは一言も発さない。
ただ、リーダーであるシリウスが、顎をわずかにしゃくっただけだ。
それを合図に、四人が散開する。
戦士が正面から床を踏み砕いて突進。
狩人が影に溶けるように視界から消える。
後方の魔術師が杖を掲げる。
流れるような連携。
殺す手順が完全に構築された、超一流のプロフェッショナルの動きだ。
ヴィオラが右手を虚空へとかざした。
いつもの動作だ。
空間を切り裂き、亜空間から愛用の大剣を引き抜くための予備動作。
だが。
カツッ
硬質な音が、虚空から返ってきた。
ヴィオラの細い指先が、何もない空中で止まる。
まるで、透明なガラスの壁に突き当たったかのように。
「……おや?」
ヴィオラが首を傾げ、もう一度、空間を掴もうとする。
指先に力が込められる。
いつもなら、空間そのものが濡れた紙のように破けるはずだ。
だが、空間は鋼鉄のように硬直し、ビクともしない。
黒い亀裂は走らず、ただ虚しく空を切るだけ。
「魔力固定、完了」
後方の魔術師が、事務的に告げる。
「対象の魔力を解析。マナ接続パスを遮断。――やれ」
感情の抜け落ちた冷酷な声。
その宣告に合わせて、ヴィオラの足元の床が青白く明滅する。
この領域そのものを何本もの魔力杭で縫い止め、対象の魔法の発動そのものを阻害する結界魔法だ。
ゴブリンロードの死体――あの鏡のような切断面と、異常な圧縮痕。
彼らはそこから「敵の能力は未知の魔法である」と分析し、その手を封じるための舞台を作り上げていたのだ。
「どうやら武器庫の扉が開かないようですね」
ヴィオラが他人事のように呟く。
その手の中は空っぽだ。
黒い大剣はない。
空間を切断する刃はない。
重力で押し潰すプレスも発動しない。
丸腰のメイド。
その無防備な姿が、英雄たちの殺意の引き金を引く。
「潰れろッ! 化け物!!」
戦士の大盾が、ヴィオラの視界を塞ぐように迫る。
それは囮だ。
ヴィオラの意識が盾に向いた、コンマ一秒の隙。
キィィィン!
耳をつんざく高音と共に、シリウスが加速した。
音速の踏み込み。
石畳が爆ぜ、白金の残像が伸びる。
狙いはヴィオラではない。
彼女の背後に立つ、ただの人間。
この怪物の手綱を握る、司令塔の首。
俺の視界が、白銀の一色に塗り潰される。
迫り来る切っ先。
回避行動など取れない。
思考するよりも速く、死の気配が喉元に触れる。
大剣が纏った魔力が、刀身から冷気を放つ。
俺は瞬きすらしなかった。
ただ、迫りくる鋼鉄の輝きを、網膜に焼き付ける。
刃と首の距離、あと数センチ。
世界がスローモーションのように引き伸ばされる。
俺の瞳に、勝利を確信した男の獰猛な笑みが映り込んだ。
(ふっ、いい顔だ)
俺は心の中で、彼に賛辞を送る。
その純粋な殺意のこもった笑みは、まさにこの都市の英雄に相応しいものだった。
本日夕方に後半を投稿します⋯⋯!




