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第2話 規格外のメイド

 眼前に立つ美女は、スカートの裾を優雅につまみ、恭しく一礼した。


「はじめまして、ご主人様。私の名はヴィオラ。マコト様にお仕えするためだけに存在する奴隷。職業クラス暗黒騎士ブラックガードでございます」


 奴隷。暗黒騎士。  


 不穏な単語の羅列に、俺の脳髄が冷える。


(……奴隷?暗黒騎士?)


 俺は眉間に皺を寄せ、目の前の女――ヴィオラを観察した。    


 常軌を逸した美貌。  


 森の泥濘をものともしない、一点の汚れもない漆黒のメイド服。  


 そして何より、その紫色の瞳に宿る光。


 そこにあるのは、俺という存在に対する、狂気的なまでの陶酔と執着。


 演技ではない。あるいは、狂人の妄執か。


 俺は乾いた唇を舐め、慎重に言葉を選んだ。


「その、奴隷というのは……俺が命令すれば、何でも言うことを聞くという意味か?」


「はい、マコト様。たとえばマコト様が『今すぐに死ね』と仰せであれば、この手で胸を切り裂いて心臓を差し出します」


 ヴィオラは即答した。  


 その声音には一ミリの躊躇いもなく、むしろそれを望んでいるかのような恍惚ささえ滲んでいる。


(……会話が通じる相手じゃないな)


 俺は瞬時に判断した。

 

「というか、ここはどこなんだ? 俺は死んだはずだが……」


「ここはマコト様が元いた世界とは別の世界です。私はマコト様の願いによって生み出された存在です」


 別の世界。願いによって生み出された存在。


 その言葉で、俺の脳裏に最期の記憶が蘇る。


 冤罪。裏切り。凍死。  


 そして、最期に願った――『自分を裏切らず、愛してくれる人が欲しい』という、惨めな願い。


(なるほど、やはりこれは……異世界転生、というやつか⋯⋯?)


 あまりにも都合が良すぎる夢だ。

 

 だが、頬を撫でる森の湿った空気も、土の匂いも、妙にリアルだ。


 理由はわからないが、死ぬ間際の『愛されたい』という俺の願いが叶ったことだけは確かだ。


 現状は悪くない。  


 俺は無力で、ここは未知の場所だ。手駒は多いほうがいい。


 たとえそれが、多少狂った少女だとしても。


「分かった。ヴィオラ、と言ったな。とりあえず、現状を把握したい。人里へのルートは分かるか?」


「はい。ここから北へ進めば、王国領の村があります」


「よし、案内してくれ。……それと、奴隷という呼び方はやめろ。俺の美的感覚に反する。これからは『メイド』と名乗れ」


 誰かを搾取する側の人間にはなりたくない。それは俺の、最低限のプライドだった。


「畏まりました。マコト様の専属メイド……なんと甘美な響きでしょう」


 ヴィオラは頬を紅潮させ、うっとりと身を震わせた。

 ……やはり、重い。


 ひとまず、まずは人里へ行き、状況を確認する。

 

 そして、もし本当にこれが二度目の人生ならば――


 俺は空を見上げた。


(今度こそ、平穏に生きるんだ。誰にも裏切られず、誰の目にも怯えず……ただ静かに、普通の生活を送りたい)


 英雄になどならなくていい。


 金持ちになどならなくていい。


 ただ、暖かいスープを飲み、清潔なベッドで眠り、裏切りに怯えず、明日殺される心配をせずに暮らす。  


 そんな当たり前の平穏を、俺はこの手で掴みたい。


「畏まりました。ではこちらへ。私が先導致します」


 ヴィオラがスッと前に出る。


 その背中は華奢だが、どこか近づきがたい威圧感を放っていた。


 ◇


 ヴィオラを先導役に、俺たちは鬱蒼と茂る原生林を進み始めた。


 歩き始めて三十分。  


 俺の身体は、早くも悲鳴を上げていた。


(……おかしい)


 肺が焼けるように熱い。足が鉛のように重い。

 

 運動不足のレベルではない。重力が地球より強いのか、それとも大気中の成分が違うのか。


 一歩踏み出すたびに、体力がごっそりと削り取られていく感覚だ。


 対して、前を行くヴィオラはどうだ。  


 ヒールのある靴で、木の根が張り巡らされた悪路を、平然と歩いている。  


 呼吸一つ乱さず、足音すら立てない。


「はぁ……はぁ……ッ!」


 ついに俺の膝が笑い、木の幹に手をついた。  


 その瞬間、ヴィオラが弾かれたように振り返る。


「マコト様!?」


 彼女は瞬時に距離を詰め、俺の体を支えた。

 

 至近距離で嗅ぐ彼女の匂い。


 森の草いきれではない、冷たく澄んだ、夜の華の香り。


「申し訳ありません! 私の配慮が足りず、主の玉体にこれほどの疲労を……! ああ、私はなんと愚かな……!」


「いや……俺の体力がないだけだ……」


「いえ! マコト様に非などありません! 悪いのはこの森、この世界、そして配慮を欠いた私です!」


 ヴィオラの瞳が、危うい光を帯びて揺れる。

 

 彼女は俺の全身を検分し、何かを決意したように頷いた。


「これ以上の歩行は危険です。失礼いたします」


「え?」


 視界が反転した。  


 ふわり、という擬音が似合うほど軽々と、俺の体は宙に浮いていた。


「……おい」


 お姫様抱っこだ。  


 成人男性である俺が、自分より華奢な少女に抱えられている。


「降ろせ。男として、これはあまりに情けない」


「却下させていただきます。マコト様の安全が最優先です」


 俺は抵抗しようと身じろぎし――そして、止まった。


(……なんだ、この感触は)


 俺を支える彼女の腕。  


 見た目は白く細い女性の腕だ。


 だが、その感触は、まるで鋼鉄のフレームに、極上のシリコンを被せたかのようだった。    


 俺が暴れても、びくともしない。  


 体幹がブレない。


 地面の凹凸による衝撃が、彼女の膝と腰で完全に吸収され、俺には振動すら伝わってこない。


(人間離れしているなんてもんじゃない。精密機械か、あるいは……)


 俺は羞恥心を一旦脇に置いた。


 今意地を張って自力で歩いても、野垂れ死ぬだけだ。


 ならば、この異常なスペックを持つ乗り物を利用するほうが合理的だろう。


「……分かった。村が見えるまでは任せる」


「はい! お任せください!」


 ヴィオラが満面の笑みを浮かべる。  


 俺は彼女の胸に抱かれながら、周囲の警戒を続けた。


 楽観はできない。

 

 こんな高スペックな護衛が必要なほど、この森は危険だということの裏返しなのだから。


 そしてその予感は、すぐに現実のものとなった。


 不意に彼女の表情が硬化した。


 ピクリ、と彼女の眉が動く。


「……マコト様、私の後ろへ」


 ズゥゥゥゥン……!


 不意に、腹の底に響くような振動が大気を揺らした。


 鳥たちが一斉に飛び立ち、森が静まり返る。

 

 風向きが変わった。

 

 鼻をつくのは、腐った肉と、古びた鉄のような血の臭い。


 ヴィオラが足を止める。  


 彼女は俺を抱えたまま、微動だにせず正面の藪を見据えた。


 バキバキバキッ!!


 巨木が爪楊枝のようにへし折られ、その怪物は姿を現した。


 デカい。  


 全長十メートルは下らない。


 全身が赤黒い剛毛に覆われた、直立する巨大熊だ。  


 その腕は俺の胴体よりも太く、鎌のような鉤爪が鈍い光を放っている。


「グルアアアアアアアアアア!!!!!!」


 咆哮。  


 衝撃波となって叩きつけられた音圧に、鼓膜が悲鳴を上げる。


 生物としての格が違う。  


 俺の本能が警鐘を鳴らす。戦ってはいけない。逃げてもいけない。


 ただ捕食されるのを待つだけの圧倒的な弱者。それが今の俺だ。


 口の中が渇き、喉が引きつる。


 だが、俺を抱える腕は、震え一つ起こしていなかった。


赤暴熊レッドウルスス……。下等生物如きが、誰の許可を得てマコト様の前で呼吸をしているのですか?」


 ヴィオラの声温度が、氷点下まで下がる。  


 さきほどまで俺に向けていた甘い声色は消え失せ、そこにあるのは無機質な殺意のみ。


 彼女は俺を片腕で抱えたまま、空いた右手で何もない空間を掴んだ。


 ズズズ……ッ


 空間が歪む。  


 耳障りな重低音と共に、世界に黒い亀裂が走る。


 俺がその亀裂の正体を分析する間もなく、彼女は「それ」を引き抜いた。


 漆黒の大剣。

 

 彼女の身の丈を超える巨大な鉄塊。

 

 物理法則を無視した質量を、彼女は箒のように軽く構える。


「掃除の時間です」


 赤暴熊が迫る。  


 その巨体に見合わぬ敏捷性。


 振り下ろされる爪撃は、俺たちを肉塊に変えるには十分すぎる破壊力を秘めている。


 死ぬ――そう認識するよりも早く。


 ヴィオラが大剣を一閃させた。


 ――ッ!


 速すぎる。  


 視覚情報が追いつかない。  


 ただ、黒い軌跡が空間を走ったことだけが知覚できた。


 ドサッ、と重い音が響く。


 迫りくる熊の巨体が、空中で上下にズレていた。  


 鮮やかな斜めの切断面。  


 怪物は自分が死んだことすら理解できず、その勢いのまま地面に崩れ落ちる。


 プシュウウウウッ!


 遅れて、切断面から血の噴水が上がった。  


 降り注ぐ血の雨。


「チッ」


 ヴィオラが短く舌打ちし、大剣を振るう。  


 その風圧だけで、俺たちに降りかかるはずだった血液が弾き飛ばされ、周囲の木々を赤く染めた。


 圧倒的だ。


 俺は、転がる熊の死骸と、平然と佇むメイドを見比べた。


 この熊一匹で、武装した兵士一個小隊は壊滅するだろう。  


 それを、片手で。


 しかも俺という荷物を守ったまま、一撃で葬った。


(……化け物だな)


 俺は冷静に事実を受け入れた。  


 この女は、俺の手に負える存在ではない。

 

 だが、同時にこうも思った。


 こいつがいれば、この理不尽な世界で生き残る確率が跳ね上がる、と。


「マコト様、お怪我はありませんか? 汚らわしい血の臭いがついていないでしょうか?」


 ヴィオラが心配そうに覗き込んでくる。  


 その顔は、先ほどの修羅から一転、忠実なメイドのそれに戻っていた。


「ああ、問題ない。……助かったよ、ヴィオラ」


「勿体ないお言葉です! 害虫駆除は私の務めですので!」


 俺は小さく息を吐いた。  


 どうやら俺は、とんでもない爆弾のスイッチを握ってしまったらしい。


 俺は大人しく彼女の腕に身を委ねながら、ぼんやりと思った。

 


 俺の望む「平穏な生活」への道のりは、とてつもなく険しいかもしれない。


 そしてその予感は後に的中することになる。


 俺はまだ知らなかった。


 この森の先に、魔獣よりも遥かに醜悪な、人間の悪意が待ち受けていることを。

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