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第14話 市場にて

 街に朝日が昇る。


 窓から差しこむ心地よい光で、俺は目を覚ました。


 俺たちが宿泊しているのは、ベルファストの貧民街に近い、駆け出し冒険者御用達のボロ宿だ。  


 壁は薄く、床は歩くたびに軋み、天井には雨漏りのシミがある――はずだった。


 だが、俺が今身を起こしたのは、最高級のシルクで織られたシーツの上。  


 身体を包み込むのは、雲のように柔らかい羽毛布団。  


 頭上には豪奢な刺繍が施された天蓋が垂れ下がっている。


 六畳一間の狭く薄汚い部屋の中に、そこだけ切り取られたように王宮の寝室が存在していた。


 ヴィオラの仕業だ。  


 彼女は【虚空の武器庫(ヴォイド・アーモリー)】から、俺の睡眠環境を整えるためだけに、最高級の調度品一式を展開しているのだ。


 腐った床板の上に敷かれた、ペルシャ絨毯。  


 カビ臭い壁を隠すように張り巡らされた、真紅のベルベット。    


 窓の外からはスラム特有の怒号やドブの臭いが漂ってくるのに、この部屋の中だけは極上のアロマが焚かれ、静寂に包まれている。


 外はスラム、中は王宮。  


 この歪でチグハグな空間こそが、今の俺たちの生活そのものだった。


「おはようございます、マコト様。本日の寝顔も、大変麗しゅうございました」


 ベッドの脇に、ヴィオラが直立不動で立っていた。  


 彼女は一睡もしていない。一晩中、俺の寝顔を監視していたのだ。


「……おはよう、ヴィオラ。また片付けないといけないな」


 俺はため息交じりに起き上がる。  


 宿の主人や他の客に見られたら説明がつかない。


 チェックアウトのたびに、この豪華絢爛なセットを虚空へ収納し、またボロ部屋に戻す作業が必要になる。


 以前、俺は彼女に提案したことがあった。  

『こんな高級な家具があるなら、売れば一生遊んで暮らせる金になるんじゃないか?』と。


 だが、ヴィオラは珍しく俺の言葉を拒否した。


 『駄目です。これはマコト様の安眠を守るための至高の品。たとえ国が買える額を積まれようと、マコト様の快適な睡眠には代えられません』


 彼女にとっては経済価値などよりも、俺の寝付き具合の方が優先順位が高いのだ。  


 その狂気的な献身のおかげで、俺は冒険者稼業の底辺にいながら、王族以上の快適な夜を過ごしている。


「昨夜は寝返りが4回、寝言が2回ございました。全て記録済みです……ふふふっ」


「……そうか。ご苦労」


 俺は彼女の報告を淡々と受け流し、着替えを済ませた。

  この異常な過保護にも慣れつつある自分が怖い。


「マコト様、本日のご予定はいかがなさいますか?」


「ん? ああそうだな。朝飯を食ったら、今日はギルドじゃなくて買い物にでも行こうと思ってる」


 俺達は今、リブラ共和国の大都市ベルファストで、冒険者としてひっそりと目立たずに生きていくことを目標としている。


 そのためにも、下級冒険者らしく力を隠しながら安全なクエストをこなしていきたいのだが、ギルドには常に薬草採取などの安全なクエストばかりが張り出されている訳ではない。


 立場をわきまえて下級のものに絞るが、いずれモンスター討伐をしなくてはならないこともあるだろう。


 正直、ヴィオラさえいれば俺の安全は保証されているようなものだ。


 王国の大魔法使いに襲われたときですら毛先が焦げる程度の被害で済んだ。


 だがモンスター討伐となると油断はできない。多数のモンスターに全方位を囲まれ、ヴィオラが俺を守りきれない状況に陥ることがあるかもしれない。


 いや、正直そのような事態になっても、彼女は地形ごとモンスターの群れを吹き飛ばして俺を無傷で守り切るだろう。それは彼女と行動を共にしたこの何日かで確信している。


 しかし、この世界にはヴィオラですら知らない未知の脅威が潜んでいるかもしれないのだ。用心に越したことはない。

 一度死んだ俺が言うのもなんだが、死ねばすべて終わりなのだから。


「これからモンスター討伐をすることも考えると、俺の服や装備も貧弱だし、一式揃えておこうと思ってな」


「マコト様は何もせずとも私がお守りします。そのようなものを買う必要は――」


「お前がそう言うのは分かってるし信頼もしてる。だがこれは俺の判断だ。従ってくれるか?」


「⋯⋯畏まりました。メイドの分際で出過ぎた発言をしました。誠に申し訳ありません」


「気にするな、お前の気持ちはありがたく受け取っとくよ。さ、飯にしようぜ」


 俺達はそんな会話を交わし、ヴィオラが用意してくれた極上の朝食を済ませると、宿を出て商業地区へと向かった。



 ◇


 武具屋で買ったのはチェーンメイルとレザーの革鎧を上下一式、それに歩きやすい靴。


 最低限の装備だが、俺達が相手にする下級モンスターならこれで十分だろう。


 武具屋の親父が武器はいらんのかとしつこく聞いてきたが、手持ちがもうあるのでと言って断った。


 俺にはすでに、この世でおそらく最強の武器ヴィオラがついている。いや、こいつの場合武器というより兵器と言ったほうが正しいか。


 親父はヴィオラにも「お嬢さんも冒険者なのか? なんだその服は? なんで冒険者がメイド服なんぞ着とるんだ?」と質問攻めをしていたが、ヴィオラは平然とすべての言葉を無視していた。


 当たり前だが、彼女にとって俺以外の人間は背景でしかないのだ。


 彼女は魔術師であり、その服も一見ただのメイド服だが本当は魔力を増幅させる効果があるのだと俺が苦しいフォローをして、渋々親父は納得した。


 実際、彼女のメイド服にシワがついたり汚れたりしたところを見たことがないので、魔法の服という言い訳はあながち間違っていないのかもしれない。


 装備を整えた俺たちは、市場へ向かって歩いていた。    


 活気に満ちた大通り。  


 色とりどりの果実、スパイスの香り、行き交う人々の喧騒。


 平和だ。  


 これこそが、俺が求めていた日常の風景だ。


 だが、どうも様子がおかしい。


 雑踏の中、俺たちの周囲だけぽっかりと空間が空いている。  


 すれ違う人々が、青ざめた顔で道を譲り、壁際に張り付くようにして避けていくのだ。


 まるで、見えない猛獣が通り過ぎるのを恐れるかのように。


「……ヴィオラ」


 俺は隣を歩くメイドを横目で見た。  


 彼女は涼しい顔で歩いているが、その全身から針のように鋭い殺気を全方位に放っていた。


 一般人には知覚できないレベルの、しかし生物としての本能を刺激する拒絶のオーラ。  


 それが、「マコト様の半径二メートル以内に近づくな」と警告を発しているのだ。


()()、今すぐやめろ」


 俺は小声で命じた。


「なぜですか。このようなむさ苦しい雑踏……有象無象の呼気がマコト様の肌に触れることすら、私には耐え難いというのに」


「忘れたのか?俺たちは『普通』に生きるんだ。目立つなと言ったろ」


「しかし、万が一マコト様にぶつかるような不届き者がいれば、その場で四肢をもぎ取らねばなりません」


「だから、その過剰防衛をやめろと言ってるんだ」


 俺は足を止め、ヴィオラに向き直った。  


 ここで強く言っておかないと、いつか本当に街中で虐殺を始めかねない。


「……少し、頭を冷やせ」


 俺は通りの向こうにある広場のベンチを指差した。


「俺はあそこの店で買い物をしたい。お前がいると店主がビビって商売にならないから、あそこのベンチで待ってろ」


「え……?」


 ヴィオラの顔が凍りついた。


「マコト様、まさか……お一人で?」


「すぐ目の前だ。何かあれば呼ぶ。……これは命令だ。そこに座って、俺が戻るまで動くな」


 俺はあえて冷たく突き放した。  

 これは、主従の境界線をはっきりさせるための線引きだ。


「めい、れい……」


 ヴィオラはよろめくように後退り、顔に絶望を浮かべながら俺を見た。


「マコト様からの『待て』の命令……。ああ、私のような愚物には、放置という罰がお似合いなのですね……」


 彼女はフラフラとベンチへ向かい、力なく腰を下ろした。  


 膝を揃え、両手を置き、うつむく。  


 その背中からは、この世の終わりかのような悲壮感が漂っていた。


 捨てられた子犬?  


 いや、そんな生易しいものではない。  


 主に見放されたことで、生きる意味を見失い、ただ呼吸するだけの人形になり果てたような、重苦しい絶望。


 俺はその姿を一瞥し、背を向けて歩き出した。


(……言い過ぎたか?)


 一瞬、そんな思いが胸をよぎる。  


 この人混みの中、彼女を一人にする不安もある。

 もし誰かが絡んだりしたら、絡んだ相手が消し飛ぶことになるだろう。


 だが、俺は振り返らなかった。


「……ま、少しは頭を冷やさせないとな。これは調教の一環だ」


 自分に言い聞かせるように、独り言ちる。


 甘やかしてばかりでは、彼女の暴走は止まらない。  


 俺が主導権を握っていることを、定期的に分からせる必要がある。


 俺はあえてゆっくりと、彼女の視界から外れるように路地へと入っていった。


 鼓動が少し早まるのを無視しながら。  


 本当は、俺の方が彼女なしでは不安で仕方がないという事実を、必死に押し殺して。

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