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第11話 共和国の聖女

 国境の検問所には、欲望が腐敗したような甘ったるい悪臭が充満していた。


 リブラ共和国。  


 王を持たず、商人が議会を牛耳る自由の国。  


 そう謳えば聞こえはいいが、実態は「金こそが正義」と信じて疑わない拝金主義者の巣窟だ。


 入国審査の列に並んで二時間。


 ようやく回ってきた窓口で、俺たちは足止めを食らっていた。


「――おいおい、通行料が足りないんじゃないかね? これじゃあリブラの門は重くて開かねえなぁ」


 検問官の男が、下卑た笑みを浮かべて机を指で叩く。  


 俺が積んだ金貨は、正規料金の倍はある。公然の賄賂要求だ。


「規定の額は払いました。これ以上は持ち合わせがありません」


 嘘だ。


 マコトの懐には、村を襲っていた兵士の亡骸から「徴収」した金貨がまだずっしりと残っていた。


 死人から金を奪うことに抵抗がないわけではない。だが、生きるために綺麗事は言っていられない。


 俺が淡々と告げると、男の濁った瞳が俺の背後――ヴィオラへと粘り着いた。


「金がないなら、別の方法でもいいんだぞ? ……例えば、そっちの連れに、別室で『身体検査』をさせてもらうとかな」


 あからさまな劣情。

 

 弱者から搾取することに慣れきった、ハイエナの目。


 以前の俺なら、この理不尽に震え、絶望していただろう。  


 だが、今の俺が感じるのは、恐怖ではなく――諦めに似た徒労感だけだ。


(……はぁ。どこの国も変わらないな)


 俺は冷めた目で男を見た。  


 背後で、空気が凍りつくのが分かった。


「……マコト様」


 ヴィオラの声から、温度が消える。


 彼女にとって目の前の男はすでに「障害物」として認識されていた。


「不快な人間ゴミですね。手足を引きちぎって、すり潰してもよろしいですか?」


 ヴィオラの指先が微かに動く。  


 彼女がその気になれば、この検問所ごと男を肉塊に変えるのに一秒もかからないだろう。


「よせ、ヴィオラ」


 俺は短く制した。


「ここで騒ぎを起こせば入国できなくなる。……殺すな。黙らせるだけでいい」


「……御意」


 ヴィオラが目を伏せる。


 キィィィィィィィン……


 検問所の空間が、見えない万力で締め上げられたように歪んだ。


「ひ、あ……、が……ッ!?」


 男の顔から血の気が引いていく。  


 ヴィオラが殺意の切っ先を、針のように細く絞って男の心臓に突き立てたのだ。  


 生物としての格の違いを本能に直接叩き込まれ、男は白目を剥いて痙攣し始めた。


 よし、これなら大人しく通すだろう。  


 そう俺が判断した、その時だった。


「――そこまでにして頂けますか」


 ふわり、と。  


 殺伐としていた空間に、清廉な風が吹き抜けた。


 音もなく、気配もなく。  


 いつの間にか俺たちの背後に、一人の女騎士が立っていた。


 白銀の全身鎧に、身の丈ほどの巨大なタワーシールド。  


 長く艶やかな銀髪と、宝石のように澄んだ碧眼。


 その存在感は、この腐敗した国においてあまりに場違いな清廉さを帯びている。


(……いつの間に?)


 俺もヴィオラも、接近に気づかなかった。  


 彼女はヴィオラが放った一瞬の殺気を数キロ先から感知、その超人的身体能力で飛来し、風のように舞い降りたのだ。


「公務員への暴行は感心しませんね。……もっとも、その男に守られる価値があるかは疑問ですが」


 彼女――テレシア・レイ・ユースティアは、聖母のような微笑みをたたえたまま、静かに検問官を見下ろした。


「あ、あぁ……ユ、ユースティア様……ッ!?」


 ヴィオラの威圧から解放された男が、その姿を見てさらに絶望的な悲鳴を上げた。  


 無理もない、共和国の治安維持局長が目の前にいるのだ。


「な、なぜこんな所に……!?」


「なにやら禍々しい気配を感じましてね。飛んできたのですよ」


 そして、テレシアは穏やかに目の前の男に向かって告げる。


「国家公務員法、第13条違反。収賄および職権乱用。……現時刻をもって、貴方の職務権限を凍結します」


「は……?」


「すみやかに王都の本局に連絡します。貴方の銀行口座および資産はすべて凍結されるでしょう。監査も入ります。……ご家族への言い訳は、今のうちに考えておきなさい」


 暴力など使わない。怒りもしない。  


 彼女が行使したのは、法と権力による慈悲なき社会的抹殺だった。


「そ、そんな……いやだ、俺は、俺はァッ!!」


 男はその場に崩れ落ちた。  


 臓腑を殴られるよりも深く、重い一撃。


 彼のリブラでの人生は、この瞬間に終わったのだ。


 ◇


 男が連行されていくと、テレシアはゆっくりとこちらに向き直った。


 碧い瞳が、俺とヴィオラを射抜く。


 笑顔だ。彼女は美しい表情を崩していない。  


 だが、俺の肌は粟立っていた。


 彼女の全身から放たれるのは、研ぎ澄まされた鋼のような、冷たくて硬質な秩序の気配。  


 ヴィオラが「混沌の闇」なら、この女は「絶対的な光」だ。


(……化け物め)


 その存在感は、先日遭遇したあの大魔法使いを彷彿とさせた。


 テレシアの視線が一瞬だけヴィオラに向けられる。


 瞬間、彼女の背筋を冷たいものが走った。


(底が見えない……この黒髪の女、下手をすれば国一つ飲み込む災害級ね)


 このメイドは危険だ。


 本来なら入国を許可すべきではないのかもしれない。


 だが、その結果ここで戦闘になればどうなる?  


 テレシアの戦士としての直感が最大級の警鐘を鳴らしている。


 自分が勝てる確証はない。


 仮に勝てたとしても、その余波でこの国境地帯は地図から消滅し、多くの犠牲が出るだろう。


(水際で止めるのは不可能。……刺激して暴発させれば、取り返しがつかない)


 彼女の視線が、マコトへと移る。


 その瞳から険しさが消えた。


 そこにいたのは、今にも壊れそうなほどに震え、世界すべてを拒絶している一人の青年だった。


(……なんて悲しい目をしているの)


 彼女には見えたのだ。  


 彼の心にこびりついた深い闇が。  


 誰にも信じてもらえず、誰の手も借りられず、孤独に凍えている魂の姿が。


 背後のメイドは危険だ。  


 だが、目の前のこの青年を見捨てることは、彼女の正義が許さなかった。


 困っている人がいれば手を差し伸べる。

 

 泣いている人がいれば涙を拭う。


 それが彼女の信じる正義なのだから。


 それに、あの女が彼の言葉一つで殺意を収めたのを見逃していなかった。


(彼が手綱リード、か)


 テレシアは瞬時に判断を下した。  


 ここで拒絶して野放しにするのは悪手だ。


 彼女はマコトの前に歩み寄ると、その目をのぞき込む。


「随分と深い絶望を背負っていますね」


「……放っておいてください。俺たちはただの旅人です」


 マコトは警戒心を露わにして一歩後ずさる。  


 その拒絶さえも、彼女には助けを求める悲鳴のように聞こえた。


「放っておくことなど、できませんよ」


 テレシアは柔らかく微笑み、懐から上質な封筒を取り出した。  


 金色の箔押しがされた、特別な書状だ。


「これを持っていくといいわ。私からの紹介状です。これがあれば役所での手続きもスムーズに進むでしょうし、不当な扱いを受けることも無いはずです」


「……どうして、そんなものを?」


 マコトは困惑し、後ずさる。  


 見ず知らずの他人に、国の要人が便宜を図るなど、裏があると疑うのが当然だ。


「俺たちを監視するためですか?」


「いいえ」


 テレシアは即答した。  


 その碧眼には、一点の曇りも、計算もなかった。


「貴方の旅が、少しでも平穏なものであるように。……ただの、私のお節介ですよ」


 それは、混じり気のない純粋な善意だった。


 彼女は知っている。


 この国にはまだ、先ほどのような腐敗が残っていることを。  


 だからこそ、傷ついた彼がこれ以上この国で悪意に晒されないよう、自らの名という盾を貸したのだ。


 背後のメイドがどれほど危険であろうと、それとこれとは話が別だ。


 彼女は聖女として、目の前の迷える仔羊に手を差し伸べることを選んだ。


「……っ」


 マコトは言葉を失った。  


 疑おうとした。


 裏を探ろうとした。  


 だが、彼女の瞳があまりに眩しすぎて、自分の汚れた猜疑心が恥ずかしくなった。


 彼は震える手で、その封筒を受け取った。


「……感謝します、ユースティア様」


「お気になさらず。良い旅を」


 ◇


 検問所を抜け、街道を歩き出しながら、俺は一度だけ振り返った。


 遠く、白銀の騎士がまだこちらを見送っているのが見えた。  


 その姿は神々しく、そして恐ろしかった。


「マコト様」


 隣を歩くヴィオラが、不意に足を止めた。  


 彼女はハンカチを取り出し、俺の肩を払い始める。


「肩に砂埃が付いております」


 彼女は丁寧に、愛おしそうに俺の肩を拭う。


 振り返らない。  


 彼女は、あのテレシアを一瞥もしなかった。


 共和国のトップ? 


 ミスリル級の聖女?  


 そんなものは、彼女の視界には存在しないも同然だった。


 彼女が気にしていたのは、俺の肩についた汚れだけ。


「……綺麗になりました。やはりマコト様は、この世で最も美しい」


 その徹底した無関心さに、俺は戦慄し、同時に奇妙な安堵を覚えた。


 テレシアの光は眩しすぎて、すべてを見透かされるようで息が詰まる。


 だが、ヴィオラの闇は心地いい。


 彼女は世界中がどうなろうと、俺のことしか見ていない。  


 この狂気だけが、俺の味方だ。


「……行こう、ヴィオラ」


「はい、マコト様。どこまでもお供いたします」


 俺たちは歩き出した。    


 それは救済への道ではない。    


 秩序の番人である「光」と、俺を愛する「闇」が、この国を舞台に衝突する――その発火点へと続く道だった。

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