みじかい小説 / 032 / モーニング
「アイスコーヒーひとつ、無糖で」
今日も俺はいつもの喫茶店でアイスコーヒーを頼む。
暦は10月になったとはいえ、家から喫茶店までの道のりを歩くと、軽く汗ばむ陽気だ。
「モーニングセットはおつけいたしますか?」
「いや、いい」
朝食は家で軽く食べてきたので、いつも断ることにしている。
俺は入り口近くの専用コーナーから適当な新聞を取ってきて、自分の席で広げた。
今日は何か目新しいニュースでもあるだろうか。
今時スマホもあるのだが、老眼のため、より目に優しい新聞に頼ってしまう。
しばらく新聞を読んでいると、隣のボックス席に男性3人組がやってきた。
和気あいあいとした雰囲気で、高校生以来の友人がそのまま定年を迎えたような仲の良さだった。
俺にもああいった友人がいたらなぁ、と思うが、いないのだから仕方がない。
3人の声を背中で聞きながら、俺は再び新聞に目を落とした。
家に帰ると妻がベランダで布団を干していた。
「あら、おかえりなさい。いつものとこ?」
妻が尋ねる。
「そう、いつものとこ」
と俺は答える。
この年になると夫婦の会話も減ってきて、話題はいつも同じものになってしまう。
そういえば、もうすぐ妻の誕生日だ。
何か特別なことがしたいが、妻は一体何に喜んでくれるだろう。
そう思い、妻の背中に「誕生日、何が欲しい?」と率直に尋ねてみた。
すると「何もいらわないわよ。あなたと過ごせれば」という声が聞こえた。
そう言われると少々照れ臭いが、そうは言っても何かプレゼントを渡したい。
「じゃあ、一緒にいつもの喫茶店に行くか」
と、俺はなんとなく思いついて、そう口にしていた。
誕生日の朝、俺と妻は喫茶店のボックス席にいた。
「アイスコーヒー二つ、無糖で」
二人とも家から歩いてきて息があがっていた。
「それから、モーニングもお願いします」
俺はそう言うと、妻と目を合せ、にかっと笑った。
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