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悪役令嬢、断罪されたので男になりました!?   作者: 雨水卯月


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16-4.悪役令嬢、聖女と最終対決をする

空気は、黒土の冷たさを孕んでいた。

死海からの風が塩の匂いとともに頬を撫で、地面に貼りついた黒い土をざらつかせる。

聖女エリスはそこに立っていた。皮膚は崩落し、瞳だけが狂気のように光る。


「聖女エリス、決着をつけよう」


ルドの声は震えながらも決然としていた。

アギトが一歩前に出る。剣が暗い空気を切る音がする。

エリスは嗤い声を吐き、片手を掲げた。


その動作に合わせ、黒い波動が周囲を裂いた。触れた石が煤のように剥がれ、空気が粘りつく。呪いは物理を超えて空間を噛むように広がる。


最初の衝撃が来た。


呪いの波は刃にも結界にも容赦なく襲いかかる。

アギトの剣が黒い泡を掻き割り、衝撃を受け止める。だが呪いは同時に精神へも侵攻する。幻影が蠢き、ルドの目に――高校の教室、笑うエリカ、刺された自分の腹が――錯綜する。


ルドの足が止まる。


脳裏に高校時代の笑顔と夜道の冷たさが重なり、胸が凍る。刃を振るう手が震えた瞬間、エリスの囁きが空間を回る。


「琉瑠…やっぱり、私のものにならないのね……」


迷いが刃を鈍らせる。隙ができる。黒い斑点がルドの皮膚に這い、冷たい痛みが走る――幻か現か。アギトの声が届く。


「ルド、来い。頼む、目を逸らすな!」


その言葉に、ルドはぎゅっと目を閉じる一瞬を捨て、深く息を吸った。胸の底から何かが決壊する。――自分はここで何を守るために立っているのか。答えが剣先に戻る。


「オレは……お前を、エリスを、倒す!」


ルドが叫ぶ。

ルドの銀色の魔力は光魔法によく似ている。魔力を放出すると

呪いの黒はその光に鋭く切り裂かれ、一時的に退く。


アギトはその瞬間を見逃さない。ルドの作り出した裂け目に身体を滑り込ませるように、疾風の如く踏み込み、剣を振るった。刃は黒い筋を裂き、肉体ではなく呪いそのものを切り刻む。エリスの叫びが、凍てつく野に木霊する。


だがエリスは執拗だった。


退けられても、両腕を広げて霧のような触手を生ませる――接触すれば感染し、肉を腐らせ精神を蝕むその力。接近戦は危険を孕む。


「ルド、離れろ。俺が抑える。」


アギトの声が低く、冷たい刃のように響く。彼は前に立ち、何度も斬り返してはルドの詠唱時間を稼ぐ。血と黒い塵が飛び散る。アギトの肩や腹にも黒い跡が付くが、彼はひるまない。視線はただ一つ、ルドの安全だけを追っている。


ルドは胸の中で魔法の輪を完成させる。声は小さいが、確かに波紋を描いた。ルドはエリスを直視する。そこに残るのは確かに、かつての面影の残滓だ。しかしそれはもはや人ではない。


「これで終わりだ、聖女エリス。」


ルドが最後の詠唱を吐き出す。その言葉と同時に、エリスの中の白の魔王の魔力が迸るように爆ぜた。白と銀の光が混じり合い、直径数メートルの球状結界となってエリスを包み込む。結界の中で黒い風がもがき、唸り声が高まる。エリスは叫びながら手を伸ばすが、結界は揺るがない。


アギトがその隙に一閃した。

刃は結界に届かずとも、結界の層に泥棒のように差し込まれた細い隙間を突き、そこへルドの詠唱の余波を結びつける。二人の行為が合わさった瞬間、白い光線が真上へと走り、残留する呪いを引き剥がすように引き上げた。


エリスの体は、死海へ沈む。

最後に瞳だけが一瞬ルドを見据えた――そこには理解でも憎しみでもない、ただ深い疲労だけが残っていた。


エリスの瞳はもはや焦点を結んでいなかった。だが、その奥底にはなお燃え残るものがあった。


「……こんな世界なんて……大嫌い……」


喉から絞り出される声は、怨嗟に塗れていた。


「……聖女になんて……」


黒い血が滴り落ちる。彼女は天を仰ぎ、最後の力で世界を呪う。


「でも、あの世界にだって……救いなんて……どこにも……ありはしない……」


そのとき、ほんの刹那、彼女の視線がルドを捕らえた。

瞳の奥に浮かんだのは、憎悪ではなく――かすかな執着の影。


「……琉瑠(るる)……だけは……」


その続きを言う前に、黒い泡が彼女の口を塞いだ。

声は潰え、形もろとも死海へ沈んでいく。


琉瑠(るる)”という言葉にルドは反応した。エリスに手を伸ばす。

死海の死霊たちがエリスの体に群がると、エリスの体はどんどん小さくなっていった。

ルドは縋るようにアギトを見た。アギトが静かに首を振る。


「もう存在そのものが呪いになってしまっている」

「そんな……エリカ…」


ルドは死海の中のかけらを拾おうと掬い上げたが、

エリスだったはずの小さなかけらは泡のように消えてしまった。


「どうして…最期まで…」


(分かり合えなかった。せめて魂だけは救いたかったのに)


ルドは膝をつき、両手に残る光の余韻を感じながら震えた。想像していた勝利とは違った。勝ったはずなのに、得られたのは虚しさと重さばかりだ。アギトが静かに膝まづき、ルドの両肩を掴む。


「……大丈夫か?」


ルドは首を振る。言葉が出ない。

やがて、ゆっくりと顔を上げると、アギトの黒い瞳が熱を帯びて潤んでいるのが見えた。

その瞳は、ほかの誰でもない、ただルドを見つめていた。

アギトはルドの手を取り、掌の光をそっと払うように撫でた。


「二度と、ひとりにするな」


と短く囁く。


ルドは涙をこらえきれず、こぼした。戦いは終わった。だが代償が、心のどこかに深い刻印を残した。ルドは震える指先でアギトの胸を掴み、その温もりを確かめる。

風が通り、黒土に虹が薄くかかる。

虚鯨の潮はもう遠くで沈み、死海は静かに泡を打っている。

勝利の余韻は静謐で、重かった。


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