6-3.悪役令嬢、告白される(アギト視点)
黒土の風は鈍い音を立てて砂を擦らせる。
(精霊が騒いでいる…)
何か予感のようなものを感じ、急き立てられるように黒土をうろつく。用もないのに、何かを探すように。ふと、いつもなら気にも留めない岩肌の窪みに向かう。その先に倒れている男がいた。肌は高熱に浮かされ、呼吸は荒い。サムターンの呪い――目にした瞬間に分かった。呪術師特製の“目“で見れば、黒く蠢く呪いに体中が蝕まれている。
(可哀想に。さぞ辛かっただろう)
焚き火を起こし、水を温め、体温を戻す支度をする。目が開けば飲ませる。閉じたままでも、しばし待つ。銀の睫毛が時折震えた。瞳の色はどんなに美しいだろう。焦がれるように、眠るその姿を見つめた。
やがて、長い睫毛が震え、菫の瞳が炎の色を映した。
「目が覚めたか」
喉の渇いた獣のような警戒心が一瞬走り、すぐに驚愕と混乱に塗り替わる。
「あ、あなたは…?ここは…?」
火に薪を一本落とし、湯気の立つ器を手渡す。
「…行き倒れているところを見つけた。飲め。体が温まる」
「あ、ありがとう。」
両手で器を包む指が震えている。慎重に一口。喉が働きだすのを見届ける。名を問われたとき、俺はいつも通りに答えた。
「アギト」
その名を、相手は胸の中で転がすように反芻した。黒い瞳を凝視された。懐かしい、とでも言いたげな、遠い場所を見る目。ここでは誰も黒を懐かしがらない。けれど、この男はアギトの頬に手を添え、菫色の綺麗な瞳から涙を落として、頭を抱いた。
拒む理由はない。こんなに綺麗な生き物は見たことがない。
火がはぜる音だけが、ふたりの間にあった。
**
相手の目が覚める気配がして、こちらも意識を起こす。
一晩かけて、じっくりと呪いを染み込ませた体は、呪いの進行を少しだけ遅らせたようだった。昨夜、気絶するように眠っていた彼は跳ね起き、声を裏返す。
「えっ!?はっ?…な、に!?」
(驚いている、ということは、誰にでもああするわけではない…?)
「あの…なんで?」
「お前がそのまま寝てしまったから、一緒に寝た。」
アギトは事実だけを答える。
「えっと…ごめんなさい」
「謝ることはない。悪くなかった。」
何が、とは言わない。彼は何か察したようでそれ以上追及してこなかった。しかし、すぐに真面目な顔に変わる。自ら患部を晒し、まるで神に懺悔するように告解する。
「サムターンの呪いにかかっているのに…」
「知っている。」
「え?」
鎖骨の下を示す。古い痕がある。乾き、沈み、そこだけが時間の経過を語る。
「あ…!それ!!」
手が伸び、途中で怯む。アギトはそれを握り、導き、触れた感触を確かめさせる。
「ちょっと!」
指は震えているが、温かい。
「大丈夫だ。触れてもうつらない。」
彼は撫で、確かめ、問いかける。
「これって…!?」
「ああ、完治している。治す方法も知っている。」
「ほ、本当?…治るの?」
しかしそれをこの場で説明するのは困難だった。口下手は自覚している。よく言葉が足りないと非難されることも。彼がそれを厭わなければ良いが、という言葉が浮かんでは沈んだ。
「ついてこい。」
半歩後ろに気配がつく。少し辛そうではあるが、一晩かけて馴染ませた呪いが効いているようだ。銀色の少年はアギトの後ろを子犬のようについて歩いた。
**
やがて、水平線が開ける。黒土の真ん中に海がある。彼は子供のように走った。
「わあー!海―!!うみだー!!」
立ち止まる逡巡が微笑ましくて、つい、いたずら心が湧いた。抱え上げ、放る。
「え…わぷっ……ひ、酷っ!!」
「いっ!痛っ!いたたたたたた…!」
「ここは死海だ。死んだ霊が宿る海。」
「サムターンの風は、呪いだ。解呪するには術をかけた当人か、呪いを吸い取ってくれる媒体が必要だ」
「死霊ってなに!?こわっ!」
「怖がる必要はない。呪いを喰らうだけだ。」
「いやいや、怖いって!」
呪術師であるアギトにははっきりと、海の中の死霊も、ルドに触れて、呪いを喰らっている死霊も、昇華していく霊も、すべて見える。しかし、ルドにすべてを言う必要はない。白い煙を指して言った。
「死霊は呪いを喰って、天に帰る」
「ここに一か月も居れば、癒えるだろう」
「い、いっかげつぅ!!」
ルドのいちいち大げさな挙動は見ていて面白かった。呪術師の里にはそんな者はいない。ルドと一緒にいると、まるで自分が呪術師でないただの人間のような気がしてくる。それが心地よい。
「そういうことは、先に言ってよ」
「呪いとか、死霊とかさ…」
「先に言ったら何か変わるか?」
「変わんないけど…変わんないけどさあ!心構えとか色々出来るじゃん!」
「心構えが必要か?」
「アギトには必要ないかもだけど、オレには必要ですぅ!」
口元が緩む。はじめて、名前で呼ばれた。
「それでいい」
「え?」
「名前、初めて呼んだな」
「あ、うん。アギトって呼び捨てしていいってこと?」
「それがいい。お前には名前で呼ばれたい」
笑う。彼は固まって、頬を染めた。アギトはそれが熱のせいではないと知っている。




