第四幕:錦に色づく山袖
導き、引き、結い、形作られる。
ここには存在しないけれど、きっとすべてに触れていたのかと思った。
鍵の音はいやに虚しく、喧騒だった朝の方が幾分ましに思えた。
「ただいま〜」
「おかえり」
思わず”えっ”と呟いた。
「ん?どうしたんだ、目をひん剥いて」
「いいや、なんでも...」
リビングの電気はついていたけれど、なぜかそこが暗く思えた。
「じゃ、プリントここに置いていくから」
「待て」
グイッと腕をひかれ、全身に悪寒が走った。
”なんで俺が動いてお前が動かないんだ!”
あの頃の喧騒が蘇る。
心音がバクバクと響き、視界は弾けて真っ白だった。
「ばぁさんが祭礼の準備やるから来いとさ。行くのか?」
父の手が離れた。
無言で僕は家から出た。
どうやら滝汗を流していたようで、コンクリ舗装の地面の色は濃くなっていた。
とにかくここから離れたくてできるかぎりの早足で階段を駆け下りた。
自転車に跨り、舗装済みとは思えない険しい山道を駆け上がると、やけに開けた場所があるのに気がつく。
そこへ向けてハンドルを切って入ると、そこには街の家とは一線を画すほど大きな神社とそれに引けを取らない平屋の和風建築が併設されていた。
玄関近くに自転車を止めると、縁側にあった影が少し動いた。
「悠里ちゃんかい?」
しわがれた、やさしい声が響いた。
「こんにちは、ばぁちゃん」
「今日は早いね。お茶持ってくるからちょっと待っててね」
縁側に座ると、何かを察したように祖母は家の影に入っていった。
言葉を交わさない感じはどこか懐かしくもあり、僕を落ち着かせる。
街の対に立って眼の前を見下ろすと、夜の闇の中で、あの2つの山の作る影が、思ったよりも深く大きいことに気づかされる。
夜風は朝と同じようだったが、先ほどの嫌悪感が残っているせいか不快さはなかった。
「なんだか辛気臭いねぇ」
ばぁちゃんは気づけば隣に座っていて、さっきの自分と同じように向こうにある2つの山を覗いていた。
「今日は結構遅いし、祭礼の衣装合わせだけしたら帰りなさい」
湯呑みから湯気も出なくなるとおもむろにばぁちゃんは立ち上がって手招きをした。
家に入ると龍脳の香りが漂い、廊下を挟んだ向こうには達筆過ぎて読めない札やら陶器やら升やらの祭具が月明かりに照らされて僅かに見えた。
軋んだ音を立てる階段を上がって手前の障子を開けると、2階の半分を使った巨大な空間が姿を見せる。
そのぴったり中央に姿見とまるで生物のような艶を放つ衣装が頑固に佇んでいた。
ばぁちゃんは流麗な手つきで衣装を解き、一片のシワもなく畳に広げた。
制服を脱いでそこに置いたが、まったくそれに敵う気はしなかった。
「ほれ」
なんともなく持ち上げられた分厚い絹地に片腕ずつ袖を通す。
ばぁちゃんは帯を締め、襟元を整える。
「はい、前向いて」
姿見に映った私は着物の光のせいかどこか艷やかだった。
「ほんと、藍にそっくりねぇ」
そう言ってゆっくりと頭に冠を乗せると、馬子にも衣装というべきか、この神社によく似合う巫女が出来上がっていた。
少し動くと、それは制服よりもよく馴染み、また自分もそれに馴染んでゆく。
「大丈夫そうかね。じゃあ、脱いで今日は帰りなさい」
先ほどとは逆に、だが変わらず手早く服を流し、僕は戻る。
新調したはずの制服は不格好でいやに荒く感じた。
「また手紙入れとくから、今度はあの男に気づかれんようにね」
衣装を丁寧にたたみ終えて、ばぁちゃんの肩がストンと落ちた。
「だから、また来なさいね」
ばぁちゃんと別れて自転車に跨ると、わかっていたが山道は思った以上に暗く、ガタガタと岩が掛かる感覚がやけに鋭く感じた。
山道から出ると、遠くに薄く光る桜が見える。
”この街のあの桜、この坂の桜。とてもいいじゃないか”
何度も見てきた景色のはずなのになんで今日はやけに見入ってしまうのか?
そんな疑問を抱きながら、行きよりもずっと楽に坂を下り、鍵を揺らしながら鍵穴を押し回す。
家はひっそりと息を潜め、ゆったりと流れる空気に導かれるまま言葉も発せず冷蔵庫を開け、部屋で夕飯を摂り、風呂で汗を流し、また戻って床についた。
食器と制服を洗い忘れたことに気付いたが、眠りは妙に深く、僕をどこかへと、ここではない場所に連れていった。
まさかの年越し。
流石にまだ死ねないのでご勘弁を...許さない?頼みますって!!




