第172話 己の望みのために世界を変える傲慢
「迷宮に維持に、王への謁見? なんのために、そんなことをする必要がある? この迷宮は、お前たちの世界にとっては異物だ。消えて無くなるのが自然だ。そしてそうなれば、リンガブルームとの繋がりも無くなる。国交を結ぶことも不可能だろう」
アルミエスは、いかにも不可解だとばかりに眉をひそめている。
「その繋がりを、無くしたくないからだ。おれたちの国は迷宮の出現で、ちょっぴり変わってしまった。でも、今更その迷宮が消えたからって、元通りになりはしない!」
おれの言葉に、フィリアも言葉を重ねてくれる。心を重ねるように。
「ここでの生活を望み、ここでの日々を愛している人々がいるのです。この国の他の場所では、居場所を得られなかった方々も……。それを、自己の目的を果たしたからと奪い去ってしまうのは、あまりに無責任です」
ロザリンデも一歩前に出る。
「そして、その結果、愛する人を失う者が出てくるわ。少なくとも、一度愛する人を失ったあなたには、それがどれだけ残酷なことか、わかるでしょう?」
「……そうか。そうだな、お前たちの言う通りかもしれん」
「では、お義姉様、迷宮は維持してくださるのですか?」
「してやる……と言いたいところだが、私の魔力も無限ではない。今のままでは、10年も持たないうちに崩壊する」
「どうにかならないのか?」
「方法はある。術式を書き換え、迷宮すべてをリンガブルームの一部だと世界に認識させればいい。リンガブルームに満ちた魔素が、迷宮を支えることだろう。ただし……世界は変わるぞ」
「どう変わるっていうんだ?」
「この迷宮の一部は、お前たちの世界のものだ。それを、リンガブルームのものにしてしまうということは、わずかながら世界を融合させることに他ならない。ふたつの世界は、迷宮によって永遠に繋がってしまう」
「望むところだ」
「本当に、望むところか? 私が制御していたときとは違うぞ。融合が進めば、異世界同士を繋ぐ道は、ひとつではなくなる。お前たちの世界と私たちの世界のあちこちで、世界を繋ぐ迷宮が現れることになる」
覚悟を問うように、アルミエスはこちらに視線を向けてくる。
「この迷宮に関わる人間が、どれほどいるかは知らんが、世界全体からすればごくわずかだろう。そのわずかな人数のために、ここにいる数人の判断で、ふたつの世界を大きく変えることになる。本当に、それを望むのか」
「ああ、望む」
おれの即答に、丈二は目を丸くする。
「一条さん、そんなあっさり答えていいことではないでしょう?」
「いや、丈二さん。悩んだところでおれは結局、同じ答えを出すよ。どうせ、みんなの居場所を守るにはこれしかないし。それに、誰かのおこないが世界を変えてきたことなんて、おれたちの世界には、いくらでもあるじゃないか」
古くは、火の活用。最近のものならばインターネットや、スマホの発明。誰かの許しを得て世界を変えてきたわけじゃない。望む未来を手にしようとした結果、世界が変わっていったのだと思う。
異世界では、魔法を普及させる手伝いだってした。世界が変わっていくことに、恐れなどもうない。
「だからと言って、即答できてしまうのは……。さすがは異世界で伝説になった英雄といったところですか」
「今度は、こっちの世界でも伝説になっちゃうかな?」
くすりと笑ってから、おれはまたアルミエスを見つめて頷く。
「頼む、やってくれ」
するとアルミエスも、ふっ、と微笑んだ。
「いいだろう。己の望みのために世界を変える傲慢さ、嫌いではない。お前のような男になら、フィリアを任せてもいいのかもしれんな」
「お前に褒められると不思議な気持ちになるな、魔王アルミエス」
「よく噛みしめることだな。私は滅多に他人を称賛などしない」
「フィリアさんとのやり取りを見る限り、それも怪しいもんだ」
「おい、敬意を払えよ。メイクリエ王の許しが出たら、お前は私の義弟になるのだぞ」
「それも複雑な気分だけれど……。お義姉さんのお墨付きがあるのは心強いな」
そっと目を向けると、フィリアはほんのりと頬を染める。
「はい。両親に伝えるときには、ぜひお義姉様も一緒に……」
「でも、その話はもう少しあとにしなくちゃな」
すると意外そうにアルミエスは首を傾げる。
「うん? 王への謁見は、結婚の許可を取るためではないのか?」
「違う。今、この迷宮は他国の侵攻を受けつつある。それを止めるために、協力して欲しいことがあるんだ」
「ならば私が案内してやる。そこの扉を出れば、完全にリンガブルームだ」
「助かるよ」
さっそくアルミエスが先導しようとするが、フィリアはその白衣の裾を掴んで止めた。
「なんだ、フィリア? なぜ止める?」
「お義姉様、行く前にせめて顔を洗ってきてください」
アルミエスの口元には、まだよだれのあとがついていたのだった。
◇
アルミエスの研究室を出ると、そこは城下町だった。
魔素で満ちた空気。懐かしい匂い。行き交う人々の言語。どれもこれもが、リンガブルームのものだと実感させる。
そこから王宮への道すがら、ロザリンデはアルミエスに話しかけていた。
「ところで、あなたの研究は実ったの? 普通の人間を長命に変えて、同じ時を生きたいと願っているのでしょう?」
「実った……と言えるかは微妙だな。竜のエッセンスで体質を強化した上で、適切な合成生物化手術を施せば、長命に作り変えることができることはわかった。だが成功率にはまだ課題があるし、それを克服したとしても、相手が人外になることを承服するかどうか……。完璧な方法ではないということだ」
「そう……。わたしもあなたと同じ悩みを抱えていたものだから。良かったら教えてもらおうかと思っていたのだけれど」
「……少なくとも、あの迷宮に集めたサンプルではこれが限界だ」
「吸血鬼の要素は使えなかったの?」
「ああ、人に応用できる部分が少なすぎた。だが……私と同じ想いを抱く者として、意見は聞きたい。お前なら、短命の伴侶とどうやって生きる?」
「生きている間に、精一杯幸せを共有するわ」
「……やはり、それだけしかできないのか?」
「いいえ。ずっと考え続けて、できることがもうひとつあると見つけたわ。あなたにも、教えてあげる」