第171話 これ、本当におれが戦った魔王かなぁ?
第7階層――いや、階層というには、そこはあまりに小さかった。部屋と言ったほうがしっくり来る。
分厚い本が並ぶ本棚。資料で散らかった机に、魔道具が乱雑に置かれている木箱。簡素な厨房には、洗っていない食器が放置されている。
その様子を見て、フィリアは確信したようだ。
「間違いありません。義姉はここにおります!」
「魔王が? おれには、だらしない独身女性の部屋にしか見えないけど」
フィリアは苦笑する。
「否定できません。普段は綺麗で格好いい方なのですが……義姉はなにか研究したいことがあると、ひとりで閉じこもって、このような生活をしてしまうのです。それでいて、家の者が見かねて片付けようとすると怒るのです。置いておいた資料がない! とか、意味があって並べておいたのに! とか」
「魔王の私生活って、こんなんだったのか……。それで、肝心の本人はどこだろ」
フィリアは、勝手知ったる他人の家といった感じで、ずかずかと踏み込んでいく。
「この様子ですと……義姉はきっとこちらに!」
隣の部屋に繋がる扉を勢いよく開け放つ。
そこはどうやら寝室らしい。これまた衣服や下着が脱ぎ散らかされている。部屋の中央にあるベッドに、白衣を着たままうつ伏せに寝ている女性がいる。
尖った耳。赤く長い髪。小麦色の肌。整った美しい顔立ち。
この容貌、間違いない。魔王アルミエスだ。
いや、間違いないか? 口からよだれ出しながら、だらしなく寝てるけど。隙ありすぎだけど。
これ、本当におれが戦った魔王かなぁ?
フィリアは遠慮せず、ベッドのシーツを手にし、思いっきり引っ張り上げた。
「白衣を着たまま寝てはダメだと言ったではないですかぁあ!」
「うぉおお!?」
アルミエスはベッドから転がり落ちた。
「うぅ、誰も入るなと言ったはず――何者!?」
おれたちを認識するや否や、アルミエスは両手に魔力を集中させた。その魔力量、収束速度ともに桁違いだ。
一気に背筋に緊張が走る。この力、間違いなく魔王だ!
おれは咄嗟に背負った竜殺しの剣に手をかける。
が、それより早く、アルミエスはフィリアのほうを二度見した。
「う、ん? フィリア……? フィリアか!?」
「お久しぶりです、アルミエスお義姉様」
アルミエスが臨戦態勢を解いたので、おれも剣から手を離す。
というか、顔に枕のあとがついていたり、口元によだれがつきっぱなしの様子を見たら、戦う気だって薄れる。
しかし緊張はする。フィリアの隣に立ち、おれは慎重に言葉を選ぶ。
「おれも久しぶりだな。そちらからすれば、200年ぶりだろうか」
「お前……見覚えがある。そう……ショウの仲間だった者か。なぜお前が、フィリアと一緒に? いや、その前にフィリア、今までどこへ行っていたんだ!? 急に消えて、みんながどれだけ心配したと思っている!?」
おれのことは二の次とばかりに、フィリアに駆け寄るアルミエスだ。
そんな彼女に、フィリアはジト目を向けた。
「わたくしが消えていたのは、お義姉様のせいだと思うのですけれど……」
「なに? どういうことだ?」
「リンガブルームのいくつもの土地を切り取り、異世界に迷宮を作っておりましたでしょう?」
「ああ……。研究のために必要だったのでな。なぜ知ってる?」
「わたくしも、その異世界に転移していたからです! お義姉様が迷宮を作った影響なのではないのですか!?」
「ま、まさか? 確かに私の研究室や切り取った土地の周辺には時空に歪みが発生してしまっているが、それに巻き込まれて異世界に行ってしまう確率など、数百万分の一以下だぞ」
「それでも、数千万人いれば数人は異世界へ転移してしまう数値でありませんか? わたくし以外にも、何人も異世界へ渡ってしまい、それはとても難儀してしまったのですよ」
「すまん。理屈ではその通りだ。まさかお前が、巻き込まれていたとは……。不覚だった。その可能性は一切考慮していなかった……」
「お義姉様のことですから、研究に没頭していて、ろくに検証なさらなかったのでしょう?」
「……すまん」
しょぼん、と肩を落とす魔王アルミエスである。
「しかし、ということは、そうか。お前……『破滅を払う者』タクト。お前は転移者だったな。時空間魔法の研究の初期段階で、巻き込んでしまっていたらしいな」
「おれの転移もお前のせいだったのか……。じゃあ、おれが帰還できたのは……」
「私が封印されたからだろう。魔力の供給が完全に途絶えるまでは、リンガブルームにいられただろうが」
「こちらでは同じ時代にいるのに、フィリアさんたちはおれが異世界にいた頃より200年も後の時代から来てる。この差はなんだ?」
「この迷宮を作る際の、時空間座標は研究初期から変えていないからだろうな。多少の誤差はあるが……。まさか、このようなことになっていようとはな」
眉をひそめるアルミエスだが、フィリアは優しく首を振る。
「いえ、もう過ぎたことです。そのお陰で、素晴らしい出会いもありましたから」
フィリアがおれの手を握ってくる。微笑んで握り返してあげる。
アルミエスは目を見開いた。
「な! まさか貴様、私の義妹に手を出したのか!? 身の程も知らずに!」
「ずいぶん立派な義姉ぶりじゃないか。やっぱり昔とは違うな。結婚して、丸くなったのか」
「丸くなどなっていない。ただ、以前より満たされているだけだ」
その言葉に、おれはカチンと来てしまう。
「ショウさんを死なせておいてよく言う。彼が、どれだけお前に恋い焦がれていたのか、知らなかったわけじゃないだろう」
言い返してくるものと思っていたが、アルミエスは意外にもうつむいた。
「そのことは私も後悔している。だが……お前は信じないかもしれないが、彼は生まれ変わって会いに来てくれると約束してくれて、それを果たしてくれたのだ。素晴らしい日々を、私にくれているよ」
「生まれ変わり……?」
フィリアは頷いて肯定する。
「わたくしの兄ハルトが、そうらしいのです。話を聞く限りでは、わたくしもそうなのだと思っております」
「フィリアさんが信じてるなら、いい。ショウさんが生まれ変わって恋を成就させたというなら、おれがなにか言うのも野暮だ。それに、今は他に優先すべきことがある」
おれはアルミエスに強い視線を向けた。
「おれたちがここに来たのは、迷宮の維持と、メイクリエ国王との謁見を成し遂げるためだ」