ⅩⅨー3 十五歳たちの謎解き
■断崖に立つ人
カイの部屋でカイの帰りを待ちながら、リトはふと思い出した。
かつてカイの帰りを待って夜の天月に目を凝らしていたとき、だれかが鳥を空に放った。その人物が立っていた場所が、サキが撮って戻った断崖の岩に似ているような気がする。でも確かとは言えない。
晩餐会を終えて戻ってきたカイに言うと、顔色を変えた。明日の夜、そこに立って、カムイを放してみるから、一度だけ目を凝らしてほしい――カイはリトにそう頼み、カムイは小さくなったリトとクロを乗せて櫻館に戻った。
次の夜。菜園の木に登り、リトは天月を見た。あのときと同じように姿が見える。カイに間違いない。カイが鳥を飛ばした。カムイは一度旋回して闇に消えた。
翌早朝、櫻館に戻ってきたカイに、リトはやはりあのときと同じだったと伝えた。今回は、はっきりとカイであることまで確認できたという。
カイは黙り込んだ。
あの断崖の岩に立つことができるのは、銀麗月カイのみのはず。ほかにあの場に立つことができる者は……銀麗月に匹敵する力を隠して天月に潜んでいる者だ。
――まさか、弦月?
天月仙門の本山には数千人が暮らす。それらのすべてを確認するのは事実上無理だ。めずらしくカイが頭を抱えた。セイが助け船を出した。
「月読族は、香華族より弱いとはいえ、よく似た香りがいたしまする。弦月は、聖香華に匹敵する者――これゆえ、香りそのものを消すこともできまする。じゃが、いずれにせよ、何らかの異能を使ったあとはごく短い時間でござりますが、香りがいたします」
レオンが言った。
「数日後、天月に行く予定です。天月宗主がラウ伯爵をお招きなのです。わたしも伯爵に同行します。あくまでラウ伯爵家のレオンとしてですが……。そのとき、できるだけ香りに注意します。都合良く異能発揮の場面に出くわすことはないかもしれませんが」
■おくるみと木片
アイリは、分析結果をはじきだした。やはりエル宗主の木片は朱鷺要の木片とまったく同じ。文字の墨も同じだ。おくるみの模様は違うが、布材も中綿も朱鷺要のものと同じだった。
古書と古地図の分析は容易ではなかった。古地図には、大陸東部と蓬莱群島が描かれている。ずいぶん古いようだ。紙ではなく、羊皮紙だ。なんと、古書は木片に書かれたもので、木片はおくるみにつけられたものと同じ材質。だが、見知らぬ文字で書かれていた。
一同が絶句した。天月宗主エルは、単なる木片どころか、木片をつなぎあわせた古巻物を持っていた。天月の文化資料館に保存されている木片の存在も知っていると見て間違いあるまい。
では、エルは木片をどのように使おうとしているのか? 資料館には、ほぼそのまま多くの木片が残されており、最近、エルが訪れた形跡はない。
文字はどこの文字だ? 古今東西の文字に強い風子にもさっぱりわからない。うーと唸っていると、うしろでなにやら声がする。オロだった。文字が読めないオロが、巻物のさっぱりわからない文字を読んでいる。
「なんでっ、わかるのっ?」と、風子が叫んだ。
「だって、オレの目には数字と図形に見えるんだ。文字は読めないけど、数字と図形なら意味がわかる」
「ホントッ? で、なんて意味?」
「一、五、○、△、二、三、×、□……」
「さっぱりわかんないよう! ねえ、なんて意味?」
大騒ぎする風子のそばに、レオンもカイもサキも近寄ってきた。巻物に書かれたものがオロには数字や記号に見えるらしい。アイリはハッとして、紙を取り出した。
「おい、も一回、最初から言え!」
オロがもう一度言い直す。それをアイリが紙に書き取っていった。紙に複雑な数式が書き留められていく。シュウが食い入るように見つめた。すべてを書き取ったとき、シュウが興奮して言った。
「これって……、まさか、〈ルナの数式〉?」
「そうだ」とアイリが答えた。
サキが急かした。
「わたしらにもわかるように言え!」
「これは、古代から伝わる未解決の難問の一つで、〈ルナの数式〉と言われるものです。それがなぜこの巻物に書かれているのか? しかも、普通は読めない形で……」
「しかも、これには解が書かれている」とアイリが放心したように言った。
「で、そのなんやらの数式は何を意味するんだ?」とサキがまた催促した。数学に弱いサキにはさっぱり意味がわからない。もちろんリトにもわからない。
「宇宙の始まりと終わりに関する数式だ」
「へ?」
サキがリトと顔を見合わせた。いかん。数学音痴同士で顔を見合わせても何にもならん。
「レオンさん、カイ修士。意味はわかるか?」
カイが神妙な表情で告げた。
「ルナ神話の「はじまりとおわりの物語」を数式に示したものでしょう」
「は?」
ますますわからなくなった。サキは助けを求めるようにレオンを見た。
「天志教団の教義の根幹に関わる内容です。ビッグバンから宇宙が誕生し、さまざまな元素を生み出しながら、宇宙が膨張し、ある時期から収束に向かうということでしょう」
「ビッグバンは聞いたことがあるが、それは最近の説じゃないのか? これは数千年前の巻物だぞ」
「ええ。ルナ神話は、数千年前にビッグバン説を語っていたことになります。しかも、数式で」
みなが硬直した。
「ちょっとすごすぎて、頭がついていかん」とサキが頭を横に振った。
カイはレオンに耳打ちした。レオンがかすかに頷いた。
――あれ?
リトは驚いた。カイとレオンの密着に、いつもなら激しく嫉妬する彪吾がカイに嫉妬を見せない。レオンに縋るようにして、いっしょにカイを見つめている。
レオンはオロの方を向いてこう言った。
「オロくんは文字を読めませんが、わたしたちには読めないものを読み解く力があるようです。その力は天が与えたたぐいまれな力です。この地図もおくるみの模様も何か意味があるかどうか、見直してみてくれませんか?」
オロの顔が上気した。これまで識字障害と言われ、さんざん学校生活で苦労してきた。だが、レオンはそれを「天が与えたたぐいまれな力」と言ってくれる。
――はじめてだ! はじめて、人に褒められた!
オロはルンルンで地図を見直した。地図上の文字を見ながら、オロが数字と図形を言い始めた。アイリが書き取っていく。
羊皮紙の古地図とはまるで違う図形が描かれた。アイリがそれをスキャンし、倍率を変えながら、古地図の上に重ねていく。ある時点でぴったりと尺度があった。古地図の中央に丸い大きなくぼみがあらわれ、そこから縦横に線が延びている。
「まてよ!」とアイリが言いながら、別の地図を呼び出して、重ねた。ルナ神殿の配置図だ。
ルナ神殿は、古地図上の大きなくぼみの外周上に点在していた。その一つに、例の島のウル遺跡がある。ウル遺跡の場所からはオロがいつも行く浜辺と〈蓮華〉に向かって線が延びていた。
みなが絶句した。
レオンが続けて言った。
「アイリさん。ルナ石板の画像を呼び出してください」
アイリが大急ぎでパソコンを操作した。白い壁にルナ石板が大写しになった。
「オロくん。このルナ石板もさっきと同じように読んでもらえませんか?」
オロがじっとルナ石板を見つめた。オロは、今度は自分で紙に書き取った。どうやら図らしい。図と思って見ると図にしか見えないが、文字と思って見直すと、オロの頭の中でいくつかの図形がくっついたり離れたりして別の図になるらしい。
五枚の石板はそれぞれ次のような図になった。ルナ神殿の見取り図、ルナ神殿の配置図、大きな船のような図形、迷路のような地図、そして、二つの渦巻き模様。
一枚目、二枚目までは予想がついた。だが、三枚目からはまったく意味不明だ。
――船? 迷路? 渦巻き模様?
レオンがオロとアイリに向かってお辞儀した。
「ようやく五枚の石板を読み解くことができそうです。すべてオロくんとアイリさんのおかげです。ありがとうございました」
つられて、アイリもお辞儀しようとしてすんでのところでやめた。オロの得意満面の顔が目に入って、ケッと舌打ちした。
「だけど、何を意味するかわかんないじゃないか!」
「その通りです。三枚目からはまったく意味不明です。ですが、いずれはわかるはずです。ともかく、いま分かっている二枚の石板に関して、さきほどの古巻物の情報とあわせてじっくり考えてみましょう」
「おくるみの模様はどうなの?」とリトがオロに聞いた。リトの目に尊敬の色がにじんでいる。
――やったあああ!
「おくるみの模様それ自体には意味がなさそう。でも、二つのおくるみを重ね合わせてみて」とオロが得意そうに言った。
アイリが二つのデータを呼び出して重ねていく。回転をかけたり、倍率を変えたり。
「おい、何もないぞ!」とアイリが怒鳴った。
「ヘンだなああ。リトのおとうさんの木片と天月宗主の木片の字はオレにはほとんど同じ図形に見えるんだけど」
「どんな?」
「二つの菱形が結ばれてるような図。だから、二つをくっつけろっていう意味かと思ったんだけど……」
「それを早く言え!」
アイリが図形をずらしはじめた。半透明にして、木片の位置を重ね合わせる。すると、二つのおくるみの絵の一部が重なった。同じ色が重なり合い、別の色に変わって、まったく新しい図が登場した。
みながまた絶句した。
ルナ大神殿の天井レリーフの中心画像だった。
■水神殿
ツネさんの声がした。
「さあさあ、みなさん、お疲れでしょ? とっておきのデザートをあちらにご用意しましたよ。どうぞ召し上がれ!」
子どもたちと二匹は、わああっとダイニング目指して走り去った。ルナの秘密よりも、デザート優先だ。キュロスがついていく。
残された大人たちは、何だか妙な疲れを感じた。
セイがつぶやいた。
「最近の子は怖ろしいのう……。ここまでできるとは」
ばあちゃんがセイに語りかけた。
「そうですな。ふだんは単なる悪ガキじゃが、たいしたものじゃ。さてと、わしらも菓子をいただきましょうぞ」
老女二人が去り、レオン・カイ・彪吾・リト・サキ、そしてマロが残された。スラは仕事で不在だ。
サキが言った。
「やはり、例のウル遺跡はルナ遺跡だったようだな。しかも〈蓮華〉や珊瑚礁がある浜辺とつながっているとは……」
「わたしとリトが見た〈蓮華〉図書館の空間の歪みは、この線に関わるような気がします」とカイが言い、リトが頷いた。
「いま発掘中の月神殿もこの外周上にあります。しかも、円の中心との関係でいうと、月神殿と島の遺跡はちょうど直角上に位置しますね」とレオンが言った。
「円の中心は、蓬莱本島と大陸の間の海の中だね?」と彪吾が言うと、
「リトが見た龍宮がそこにあるのかもしれません」とカイが言った。
「月神殿の対極にあるのは、蓬莱群島の最南端の島だなあ。でも、ここは無人島で、アホウドリの楽園として知られてるんだけど」とリトが首をひねった。
レオンが静かに言った。
「神殿は地上にあるとは限らないかもしれません。ウル遺跡の島のように、地底湖があって、そこに神殿が奉納されている可能性もあります。じつは……わたしが幽閉されていた島にも廃墟となった小さな神殿がありました。島には結界が張られているらしく、地図上でも隠されているようです」
「小さな神殿の廃墟ですか?」
「ええ。しかも、その廃墟には、小さな琵琶がまるで奉納されたように祭壇にポツンと置かれていました。香華族の秘宝の一つだそうです。ウル舎村長がもつ琵琶とよく似た琵琶でしたが、やや小ぶりでした」とレオンが言うと、彪吾も言葉を添えた。
「ボクはよくその琵琶でレオンの曲を弾いていたんだ。森中の獣たちが集まってきて聞いてくれた」
マロは驚いたような表情を隠さず、しばし考えをめぐらせた。
「三つ目の小さな琵琶は、神意を聴く琵琶ではなく、人や動物を慰める琵琶です。ミグルの〈選ばれし者〉がいつも携えていた楽器と伝わります。その琵琶が献上されていた神殿こそ、〈選ばれし者〉が住まう神殿――すなわち、水神殿と思われます」
「ええっ?」
みなが思わず息を呑んだ。
「ミグルの神琵琶は、その小さな琵琶をモデルに作られたと言われます。小琵琶の謂われはわからないようです。どのような経緯で、香華族の秘宝になったのかもわかりません。ただ、作られたのは、ルナ古王国の時代でしょう。とてつもなく古いものです」
マロの淡々とした説明に、まわりのだれもが絶句している。
マロが続けた。
「その島の場所は隠されているのですね?」
「そうです。ウル舎村の長期療養施設が置かれており、島への出入りは厳重にチェックされています。療養施設には高度なバイオ研究センターが併設されているのです。クローンやキメラの実験をしています。研究員が住む区域は監視のために限定されており、森にはだれも入りません。ですから、神殿廃墟もだれも知らぬままでしょう」と、レオンが答えた。
「なんとかそこに行けないでしょうか?」と、マロが尋ねた。
「九孤族宗主によると、〈海霧〉という手法で結界が張られているそうです。ですが、いま明らかになったように、外周円上にあると推定すれば、探し出すのも不可能ではないでしょう。ウル舎村の反発を招きかねませんので、表だって探すのは難しいですが、カイ修士とともに方法を検討してみましょう」
マロは頷きながら、こう提案した。
「ミグル神琴の弦は、月の光の中で水神殿の気配を感じると淡く光ります。この蓬莱本島でも淡く光るため、この島に水神殿があると考えてきましたが、空間が歪むのであれば、レオンさんがおられた島に水神殿があり、それをこの本島でも感じたのかもしれません。わたしも協力させていただけませんか?」




