ⅩⅨー2 晩餐会
■天月宗主館
――深夜。
今宵は新月。月も出ていない。
天月宗主とウル舎村長の会談の目的は、両国の文化的交流。過去の恩讐を水に流し、協力関係を築くための第一歩という。舎村長は、天月博物館と天月図書館の見学を予定している。
わずかな星明りの闇の中で、カムイはクロとリトを乗せて宗主館のそばの木の上にとまった。金ゴキはクロの首に結わえている。リトの目の前に巨大なクロの姿があった。どうにもこうにもサイズ感が違ってやりにくい。リトもクロも金ゴキもミニサイズになっているが、リトとクロはほぼ同じ大きさなので、リトにはクロが怪物サイズに見える。
だが、ミニサイズにはミニサイズの利点もある。宗主館の屋根まではカムイが運んでくれた。ちょっとした隙間から簡単に屋根裏に忍び込めた。リトの目は暗闇でもものを見通せるし、クロの嗅覚は群を抜いていて、木片の在処もすぐにわかった。宗主専用の宝物庫に置かれているようだ。
換気口からの匂いでクロが気づいた。宝物庫は厳重なセキュリティが敷かれており、入るのは難しい。金ゴキの出番だ。金ゴキを中継として、アイリがセキュリティシステムに入り込み、一時的にフェイクを仕込んでセキュリティを解除した。いささかも痕跡を残さぬよう、通常サイズに戻ったリトがクロを懐に入れて宝物庫に入った。
――単なる宝物庫ではなかった。
まるで博物館の貴重品展示室のようだった。エルが歴代宗主から引き継いだらしき貴重書や財宝を含め、さまざまなものがきちんと整理されて置かれていた。クロがしきりに鼻を鳴らし、ある方向に顔を向けた。
櫃のようなものがあった。鍵がかかっていたが、この程度はお手のもの。リトは苦もなく開けることができる。蓋を開けると、お目当てのおくるみと木片が置かれていた。
リトは絶句した。おくるみの絵柄は、父朱鷺要がくるまれていたものと似ていた。木片の色も形も同じだ。だが、父のものには漢字で氏名が書かれていたが、こちらの木片には「L」という記号のみだった。リトはこれら二つを風呂敷に包み込んだ。すると、櫃の下の方に別のものがあった。古地図と古い巻物のようだ。これもついでに風呂敷に入れた。当然、宝物庫の中を隈なく金ゴキに撮影させた。
――さて、どう脱出する?
忍び込んだときに出口の経路は確認済みだ。明け方までに闇に紛れてカイのところに行かねばならない。九孤忍術の腕の見せ所だ。気配を消し、リトはクロを懐に入れて、風呂敷を肩に担ぎ、宗主館を出た。
とんでもない速さで疾走し、あっという間に銀麗月館に着いた。人払いをした庭から三階のバルコニーに飛び上がり、カイが待つ部屋に消えた。この間、ものの数分。
カイは、リトとクロをねぎらい、用意したパンを食べるよう勧めた。カイは、そのまま風呂敷を抱え、部屋の隅に立った。リトはあっけにとられた。カイの力を借りて一緒に空間移動したことはあるが、見るのは初めてだ。目の前で、カイがスッと消えた。
櫻館では、待ち構えたアイリがすぐに分析にかかった。古地図と古巻物は、壊さぬよう、サキがすべてを写真に収めた。念のため、材質はアイリが分析にかけた。昼過ぎにはすべて終わり、カイは風呂敷包みを下げて、銀麗月館に戻った。
リトはソファでグウグウと寝入っており、その腹の上でクロが丸くなっていた。
カイは微笑んだ。リトは怖い物知らずで、胆力がある。リトのそばに座り、額にかかった髪をそっと上げた。リトが目覚めた。
――あわわ……。
リトもカイもあわてた。
クロがリトの腹からポテンと床に落ち、寝ぼけ顔して足で首を掻いた。
「もう戻ったの?」
「ああ。分析結果はあとで聞くつもりだ。まずは、これを早く元に戻そう」
リトは、クロを残したまま、風呂敷包みを担いで保管庫に戻った。昼日中だが、会談がはじまったらしく、天月全体に緊張が走っている。すべての者の関心が迎賓館に向いており、宗主館の警備人員が減っていた。
リトはスッと宗主館に入り込み、保管庫にブツを戻して、銀麗月館に戻ろうとした。
――やばい!
一人の天月警備士がやってきた。リトは近くの部屋に身を隠した。
「あれ? どうしてドアが開いてるんだ?」
彼はご丁寧にドアを閉めて去っていった。リトはホッとして部屋から出ようとした。
――開かない!
鍵ではない。古い閂タイプのドアだった。しかも、やたらと精度が高く、隙間がない。周りを見回した。ここは倉庫らしい。窓がない。天井と床はどうだ? 直貼りコンクリートだ。
――うわあああ。閉じ込められた!
ポケットに金ゴキもいない。場所特定につながるスマホもなければ、異能を使うのも禁止だ――と言っても、リトにはここから抜け出る異能の力はないけれど……。空間移動はカイの力を借りてできるだけで、自分ではできない。
――マズイ! 連絡をとる術がない。
■戻らない!
カイは焦っていた。
すぐに戻るはずのリトが戻ってこない。何らかのトラブルに巻き込まれたに違いない。カムイが衣装を持って、カイをせかす。今夜の晩餐会には、カイも銀麗月として出席予定だ。
カイは悩んだ。空間移動でリトを助け出すことは可能だ。だが、異能の痕跡が残ってしまう。自分たちのもくろみに宗主が気づくだろう。そうなると、櫻館の面々が危険だ。それでも、カイは行こうとした。
カムイが必死で止めた。
「絶対に行かせやしませんよ! 銀麗月が異能を使って宗主館に忍び込むなんぞ、天月始まって以来のスキャンダルになりやす。銀麗月の地位を剥奪されて、天月から永久追放されますぜ」
地位には固執していない。だが、銀麗月の地位を失えば、いま進めている計画のほとんどがストップする。自分だけの問題ではすまない。自分を見上げるクロと目があった。万に一つの可能性にも賭けねばならない。
クロの額に指を当て、つぶやいた。
「リトが危険だ。助けに行ってくれるか?」
クロはダッシュで窓から木に飛び移り、一目散に駆けていった。まて、場所がわかるのか……と言いかけて、カイは思いとどまった。クロはリトの匂いを正確に嗅ぎ当てるはずだ。だが、どう救出する? もうクロの姿は見えない。
――ともかく待つしかなかろう。
いよいよの場合には、たとえ異能の痕跡が残っても、そしてすべてを失っても、リトを助けに行こう。
クロは宗主館の前に来た。どこから入るべきか? 人間の匂いが一番薄いところ――。一階奥の出入り口のそばの窓がほんの少し開いている。クロの頭が入るか入らないかの隙間だ。クロは痩せた身体を曲げながら、器用に潜り込んだ。ネコは液体とはよく言ったものだ。
リトの匂いは、建物の片隅の部屋から漂ってくる。クロが見上げると、太い木の棒が横に架けられていた。クロは小さく鳴いた。
――ニャゴ。
リトが気づいたようだ。戸口にリトの気配がする。
クロは閂に飛び乗った。だが、びくとも動かない。閂の上を端から端まで歩いても何も動かない。うーん。クロは悩んだ。扉の向こうからリトのささやくような声が聞こえた。
(その棒を横に押すか、引くかしろ!)
周りを見渡した。誰もいない。
クロは飛び上がって、棒の端を前足で押した。
動いた! わずかだが動いた!
飛び上がっては押す――何度も何度も繰り返した。息が切れるまで繰り返した。
――スポン!
棒が抜けた。リトがサッとドアを開け、クロを拾い上げた。リトは閂を閉じて、森の中に姿を消した。腕の中でクロが疲れ果てて目を回している。前足の肉球がボロボロだ。
――クロっ!
リトはクロを抱きしめながら、銀麗月の館に駆け戻った。リトが着くのとカイがリト救出に出ようとするのがほぼ同時だった。
カイは思わずリトを抱きしめた。リトもカイを抱きしめた。クロは二人の間に挟まれ、ニャゴッと鳴いた。さすがのカムイも、このときばかりは後ろからリトを抱きしめた。思わず涙があふれる。
――よかった。これでカイさまは無茶をなさらずに済んだ!
カムイの背中に乗って櫻館に戻るのは夜中だ。それまでリトはカイの部屋で休むことになった。クロを手当てしながら、リトはカイの私室を改めて見回した。そして、カイの姿を思い浮かべた。
銀麗月の正装をしたカイは、あまりに美麗だった。手が届かない貴人だ。それを思い知らされるような部屋の内装だった。歴代銀麗月が使ってきた館だという。どの部屋も博物館級の調度品が置かれているとか。この部屋は一番簡素で、カイの好みにあわせてシンプルにされているが、それでも、最高級の床材や壁材が使われていることは隠しようがない。
――あーあ。カイはやっぱり銀麗月なんだ……。おまけにカトマール皇帝家とシャンラ王家の血を引いているんだぞ。雲龍九孤族では太刀打ちできない。手が届かない人なんだ……。
リトは深いため息をついた。思わず涙が出そうになる。クロが心配そうにリトを見上げた。
――だけど、さっき、抱きしめてくれたよな? たしかに、オレを抱きしめてくれた!
リトは真っ赤になった。カイの腕の感触が蘇る。ハラリとかかった髪の毛はよい香りがした。でも、胸の感触はわからない。ふたりのあいだにはクロがいた。
――おい、クロ。カイの胸の感触はどうだった?
クロは問いがわかったのか、わからなかったのか、ニャオンと鳴いて、尻尾を立てた。
■天月の晩餐会
晩餐会は、迎賓館に隣接する貴賓館で行われた。
銀麗月が姿を現すと、居並ぶ者すべてがほうっと見とれた。まばゆいほど美しく、気品に満ち、侵しがたい威厳も備える。
ウル舎村長エファは驚いた。あのときの修士ではないか。たしか、カイ修士と名乗った。思った通り、銀麗月だった。修士の略礼装もすばらしかったが、銀麗月の正装はそれとは比べものにならない。そばに侍従がおり、すべて侍従がことばを介する。
天月宗主エルは、エファを紹介した。
「ウル舎村長エファどのでございます」
「はじめてご挨拶いたします。銀麗月どのにお目にかかれて光栄です」
エファの挨拶に、銀麗月はかすかな微笑みを見せた。銀麗月は自らことばを発しない。カムイが代弁した。
「こちらこそはじめてご挨拶いたします。ウル舎村長のご活躍はかねがね承っております。これからも天月宗主とご協力くださいますよう宜しくお願いいたします」
銀麗月が直接言葉を交わしたのは舎村長のみだった。あとの者は、紹介をうけるだけで、銀麗月からは言葉をかけない習わしになっている。晩餐会の席で、銀麗月は玉座に座ったままであった。食事にも参加しなければ、飲み物にも手を出さない。会話もしない。ただそこにいるだけで、天月の威信を示すことができる。
天月宗主エルは大満足していた。
ウル舎村長が銀麗月を見たときの表情は驚きに満ちていた。銀麗月ほどの存在は、ウル舎村にはおるまい。天月だけの唯一無比の存在、天月が誇る至宝だ。
――銀麗月カイは、その存在だけで周りを圧倒する。だからこそ、飾りで良い。
――銀麗月カイは、天月の内政には口を出さない。だからこそ、外交上の切り札として使える。
――銀麗月カイの美貌と異能を上回る者はいない。歴代の中でも最高レベルだ。だからこそ、天月の威光のシンボルとなる。
弱冠二十歳で銀麗月となった美青年。人生経験は乏しい。天月以外の世界を知らず、人脈もない。このまま、天月の奥深くで瞑想と学問に明け暮れ、ときどき気まぐれに下界に降りてルナ遺物などを調べ、ホスピタルや資料館などのどうでもよい施設の拡充に熱心であれば良い。
老師は姿を消した。いま、わたしの地位を脅かす者はいない。長年、考えに考え抜いた計画を実行できる環境が整った。
ウル舎村長との会談はその手始めだ。さすがに百戦錬磨の人物だ。政治家としても、経営者としても、眼光鋭く、厳しい。だからこそ、身が震える。わたしも負けてはいない。多くの切り札がある。銀麗月はその一つにすぎない。




