ⅩⅧー2 天月草
■天月草
ヨヌは、かつての友レオンの思い出を懐かしそうに語り始めた。
友レオンの賛美が止まらない。リトはぞぞっとした(やばい。彪吾がこれを聞いたらどんな顔をするか!)。友レオンが死んだと聞いてどれほど落胆したか……しんみりとした。
「天月ホスピタルには、医薬研究センターが併設されており、そこでは天月の山に生える薬草の研究もしています。わたしはその研究員も兼ねています。わたしの命を救ってくれた薬草は天月草といい、天月の山にのみ自生する薬草です。しかも、非常に険しい崖にあるらしく、群生する場所もわかっていません。ただ、乾燥させた薬草がいくつか天月に残されており、その分析は行われました。でも……」
ヨヌはカイを見た。天月の秘密を明かして良いのか、ヨヌには判断できない。
「天月の分析結果をこの人たちに明かしてもかまわない。わたしが責任を持とう」
カイの許可に、ヨヌはほっと胸をなで下ろした。
「薬効と毒の要素が入り交じっていました。初代銀麗月が残した薬草書の手順に従えば、毒を消し、薬効のみを引き出すことができます。ほとんど万能に近い強い薬効です。友レオンがわたしにくれた天月草は、友レオンが手順通りに作った薬でした。わずか十歳です。友レオンはじつに驚くべき才能の持ち主でした」
ヨヌはいちいち「友レオン」と呼んだ。レオンをいかに敬慕していたか、それどころか恋慕していたかがよくわかる。
――きっと「初恋の人」なんだろうな。だが、彪吾が知ったら嫉妬に狂うぞ!
そう思いながら、リトは改めてヨヌを見た。
レオンとほぼ同い年――いかにも真面目そうで、全然おしゃれじゃない眼鏡をかけている。すっきりとした中性的風貌ではあるが、優等生丸出しのおもしろみのない女性だった。ただ、研究熱心、仕事熱心であるらしく、分析結果を語るヨヌの顔は輝いていた。
銀麗月が耳を傾けてくれるのがうれしいのだろう。
(こんにゃろ!)とリトは思ったが、もちろん顔には出さなかった。カイのそばでうれしそうな顔をしないのは、アイリとオロくらいだ。
「では、毒を分離することもできるのか?」
「はい、できます。初代銀麗月の薬草書には記載がありませんでしたが、われわれは実験を繰り返しました。そして、毒薬を抽出することに成功しました。ですが、あまりにその毒が強く、実験に使った動物がすべて変死し、実験仲間にも身体の変調を訴える者が続出しましたので、禁断の薬として封印しました。いまは天月の禁薬庫に厳重に保管されています」
「変死とか、身体の不調とはどのような状態だったのか?」
「死んだ動物を解剖すると、すべて内臓が腫れていました。そして、研究員の多くが潰瘍や腫瘍などの内臓疾患を患ったのです。なぜか、わたしにはまったく影響が出ませんでした。薬草によって抗体ができていたようです」
「抗体?」
カイにとっても初耳だったようだ。
「はい。天月草は、薬効部分が毒部分を打ち消す効果を持つのです。いったん薬を処方された者は、天月草の毒だけでなく、他の毒などにも耐性を持つようです。おかげで、わたしはさまざまな実験をしても体調をくずすことなく、取り組むことができました」
「そなたの友とやらは、どのような経緯で亡くなったのか?」
「原因は三人三様ですが、共通点もあります」
「共通点?」
「はい。三人とも天月草の精製実験に関わっていました」
「どういうことだ?」
「先の天月宗主がご病気になられたとき、ホスピタルは御典医から天月草の献上を命じられたそうです。精製を担当したのは、当時のセンター長だと聞いています。ただ、天月草を新たに採取したわけではなく、どうやら友レオンが残した天月草が使われたようです。友レオンは、天月宗主のお体が不調との噂を聞き、自分で天月草を取りに行き、薬草の大半をホスピタルに献上し、その一部を精製してわたしにくれたのです。友レオンが可愛がっていた銀狼の子をわたしが助けたお礼だと言っていました」
(レオンの部屋にいるあの銀狼か……?)リトは納得した。
「では、天月ホスピタルは少年レオンが採取した天月草を持ち、その一部をセンター長が精製して、宗主に献上したというわけか?」
「そうです。けれども、天月草を差し上げても宗主は良くならず、むしろ体調は悪化しましたので、天月草の献上は途中で止まりました。それから数年後、宗主が亡くなられ、天月草は保管されたままとなりました。ですが、宗主に復位なさったご老師さまの体調が悪くなり、再び天月草の効用が期待されたのです。しかし、慎重に進められました。さきの宗主に効果がなかったことと、ご老師さまのご体調は緊急を要するものではなかったことから、天月草の効用について調べてから献上しようということになったのです。わたしを含め、若手の天月士が数名、実験補助者として指名されました」
「若くして亡くなった天月士はすべてその実験に関わった者なのだな?」
「そうです。しかし、わたしだけでなく、まったく影響が出なかった者も何人かいました」
「違いは何かわかるか?」
「わたしの場合は抗体ができたと思われますが、他の者の理由はわかりません。実験への関わり方やその時間、年齢も健康の度合いもすべてほとんど一緒でした」
「ふうむ」
「あ……そういえば、影響が出なかった者三名はいずれも天月医師ではありませんでした。天月資料館に勤務する者で、資料館で天月山の植物や動物を調べる生物学者でした」
「天月資料館だと?」
「はい。天月資料館には自然資料館と文化資料館があります。自然資料館に在籍した者です。自然資料館には初代銀麗月が採取した天月草が保管されているそうなのですが、彼らはセンターで天月草を珍しそうに見ていました。資料館の天月草は一本のみで、ホルマリン漬けになっており、実際に手に取ってみたことはないとのこと。天月草は、天月山の植生のなかでもひときわ珍しい植物だと言いながら、じかに見て興奮していました」
「初代銀麗月の天月草があるとは知らなかった」
「はい、天月でもほとんど知られていません。わたしもそれまで知りませんでした。自然資料館は奇妙なものを何でも集めてホルマリン漬けや標本にするので、気味悪がってだれも行きたがりません。変人も多いと評判です」
「文化資料館のほうはどうだ?」
「文化資料館のほうは気さくないい人が多いです。茶飲みセンターになっているようです。でも、こんなことを言っていいのかどうかわかりませんが、どれだけ研究熱心かは怪しいですね。自然資料館の人の方がはるかに研究熱心です。文化資料館は、アカデメイア博物館にはるかに見劣りします。本格的な研究をしたい人はアカデメイア博物館に移るので、意欲ある人は残っていません」
「なるほど……」
ヨヌは失言したと思ったようだ。同僚のことを告げ口したに等しい。
「あ……あの、ですが、文化資料館の人の中にも熱心な人はいます。所蔵資料をしょっちゅう点検して、汚れ仕事を厭わない人がいるそうです」
「資料の点検? それは熱心だな。どのような人物だ?」
ヨヌは失点挽回とばかり、勢い込んでしゃべり始めた。
「かなり長く文化資料館にいる古参の天月士です。目立たない人なんですが、人望はあるらしく、イヤな仕事を率先して引き受けるらしいです。資料を読む力は優れているらしく、センター長も一目置いています。このため、彼が何か調べたいと思えば、事実上フリーだといううわさも聞きました」
リトがサキと顔を見合わせた。
カイは何を聞いても超然とした雰囲気をまとっている。
「資料館のことはこれまであまり気に留めていなかったが、一度正式に訪問するとしよう。何か希望があればそれも聞き届けよう。資料館の者がほしいと言っているものがなにか知っているなら、ぜひ教えてくれないか」
ヨヌの顔がパッと輝いた。資料館の者から愚痴はいっぱい聞かされている。ヨヌはいろいろと課題を挙げていった。
カイは表情を変えずに静かに聞いている。
「わかった。資料館は宝の持ち腐れ状態になっているのだな。資料を整理し、それを公表する予算も手段もないのか。そうしたことはあまり知らなかった。至急対策を考えよう。カムイ、そなたのほうでも調べてくれないか?」
「わかりましてござりまする」と、カムイが丁寧に答えた。
なぜ、口調が時代がかっているのか、ヨヌにはよくわからない。
「天月士ヨヌ。今日は足労をかけたな。今夜は別院に泊まるのか?」
「はい」
「一つ頼みがあるのだが、天月本山の者にも別院の者にも、わたしとの会見は伏せてくれないか? この櫻館に天月士が多く来ては、他の者に迷惑がかかる。だが、そなたにはまたここに来てもらって、いろいろとひそかに天月ホスピタルや資料館の事情を教えてもらいたい。正式に会見する前に、わたしにもそれなりに情報が必要だ。救急医療拡充調査の名目で、そなたが天月を自由に降りられるように手配しておこう」
「ありがとうございます!」
ヨヌはまた顔を輝かせた。銀麗月はヨヌを特別に呼び寄せたのだ。これからもひそかに呼び寄せると言ってくれた。ト・ク・ベ・ツだ。言い知れない快感だった。最高に美しく気高い銀麗月と特別の時間がまた持てるのだ!
リトは舌を巻いていた。カイは、ヨヌが銀麗月に強い憧れと畏敬の念を持っていることを十分に承知して、その気持ちを利用している。これで、ヨヌは櫻館での話を誰にも話すことなく、せっせと天月の噂話を集めてくるだろう。
それにしても、カイが見込んだ通り、ヨヌは聡明であるが、単純さゆえに驚くほど多くの情報を持っていた。欲を持たないため、誰からも警戒されないのだろう。しかも、友レオンと銀麗月カイに対する憧れは半端ではない。(憧れだけで忠誠を尽くす純情タイプだな)と、リトは思った。
「もう一つ頼みがある」とカイが言った。
「何でしょうか?」
「そなたの叔父マルゴにも、この櫻館のことは言わないでもらえないだろうか?」
「はい」と言いながらも、ヨヌの目が泳いでいる。カイの意図が分からないらしい。
「カトマールで新たな遺跡調査が始まったことは聞いておろう」
「はい。ニュースで知りました」
「これまでルナ遺跡調査の責任者はそなたの叔父マルゴ修士であった。だが、今回の調査責任者には、別の者が指名された。ラウ伯爵の意向として、すでにマルゴ修士にも伝えられていると聞く。この櫻館でルナ大祭典の準備を行っていることはラウ伯爵も承知だ。マルゴ修士がプロジェクトから外されたにもかかわらず、姪のそなたがここに出入りしていることを知ったら、彼はどのように思うだろうか? せめてルナ大祭典が終わるまでの間、櫻館への出入りは伏せた方が良いと考えるが、いかがか?」
「はい。そう思います」
今度は確信をもってヨヌが頷いた。父の弟である叔父マルゴは、優秀有能だが出世欲が強く、父との関係はあまり良くない。ヨヌが櫻館に出入りしていることを知ったら、どんな邪魔をするかわからない。伏せた方が良い。
「この櫻館には、子どもたちも多い。九鬼教授が指導するルナ・ミュージカルの主役やその同級生たちだ。古楽器の修復を頼んでいる一家もいる。その意味で賑やかだが、わたしには、子どもたちの安全を守る義務もある。櫻館にいる者のことはできるだけ外に知られたくないのだ。そなたにも協力してもらいたい」
「はい。わかりました」
「子どもたちは、ぜひ天月を見学したいと言っている。そのときには、子どもたちに危険が及ばず、天月にとっても差し障りのない範囲での案内を頼みたい」
「承知いたしました!」
「最後に、あるお方を紹介しておこう。これから天月もお世話になるお方だ。そなたにとっても大事なお方になるだろう」
「はい」
「こちらは、カトマールの有名な薬師どのだ」と、カイがセイに顔を向けた。
「セイと申す」
「え……? カトマールのセイどのと言えば、あの有名な『香華薬草全書』をお書きになったセイどのでいらっしゃいますか?」
「そうじゃ」セイが頷いた。カイが言った。
「セイどのは、カトマール副大統領夫人どののたつての願いでこたびのルナ大祭典にご協力くださることになった。その準備を兼ねて、この櫻館にしばらくご逗留になる」
ヨヌはあわてて居住まいを正した。
「天月士ヨヌでございます。知らぬこととは申せ、たいへん失礼いたしました。『香華薬草全書』は薬草学のバイブルとも言える書。わたしも常に参考にさせていただいております」
「必要とあれば、助けになろうぞ」
「はっ。ありがとうございます! セイどのの教えを受けることができますならば、天月薬草学のレベルも飛躍的に向上いたします」
セイが頷きながら尋ねた。
「手始めに、一つ聞いても良いかの?」
「はい、何なりと」
「天月には、月香草はないのか?」
「ございます。自然資料館の薬草園で栽培されております。かつてカトマール皇帝から献上された宝物とのことで、大切に栽培されております。それに、種が飛んだようで、天月の山にいくつも群生地があります」
「ほう……群生地か。できればその群生地の月香草をいくつかここに持ってきてくれんかの?」
「承知いたしました。次に持ってまいります」
ヨヌは感激していた。憧れの銀麗月の手引きで、憧れの碧海恭介と話し、伝説の薬師セイとも会うことができた。櫻館を辞すヨヌの足取りは軽かった。
次に櫻館に来るときまでに、天月のいろいろな情報をかき集め、天月薬草に関してわからないことをまとめてセイに教えてもらおう!




