ⅩⅦー3 契りの指輪
■〈青薔薇の館〉の女主人
館には、青い薔薇が咲き誇っていた。
キュロスは、カイに伴われて館に足を踏み入れた。かつてロアン王太子の護衛としてしばしば訪れた館は、当時そのままの姿が留められていた。
案内に出たパドアに導かれ、奥のサロンに行くと、一人の女性が佇んでいた。アユだった。カイが礼をした。キュロスもあわせて正式な礼をとった。
「キュロス。久しぶりですね」
キュロスは、一瞬呆然とした。アメリアとしての挨拶だった。
「ア……アメリアさま……」
「ええ、そうです。わたしはアメリア。この館のかつての主であり、いま再び主となりました。あなたも気づいていたようですね」
「はい」
「あなたとロアン王太子のことを少しお話ししたいと思って、カイに連れてきてもらいました」
カイ? カイ修士を呼び捨てに?
「どうぞお座りください」
「ありがとうございます。その前に、アメリアさまにお渡ししたいものがございます」
「何でしょう?」
キュロスは懐からきれいな布の包みを取り出して、テーブルの上に置いた。そして、ゆっくりと布をはずした。
「まあ……!」
「はい。アメリアさまが王太子さまにお渡しになったハンカチでございます」
「そうね。たしかにそうだわ」
「わたしは、ロアン王太子さまから最期の願いとしてこれをアメリアさまにお渡しするよう命じられました」
キュロスはハンカチの横の小さなケースをアメリアに差し出した。
「どうぞお開けください」
美しい指輪が入っていた。
「まあ!」
「それは、シャンラ王国で王が女王に贈る伝統の指輪です。ロアン王太子は国王になられたら、アメリアさまを女王としてお迎えしたいと考えておられたのです」
「そう……」
「志を果たすことなく、王太子さまは二十歳の若い命を終えられました。最期までアメリアさまのことだけを想っておられました。その思いをアメリアさまにお伝えするのがわたしの役目――二十年を経てようやく王太子さまとの約束を果たすことができました」
「ありがとう。こころから感謝します。わたしからもお話があります」
アメリアはそばにカイを呼んだ。そして、指輪をカイに渡した。
「さあ、カイ。これがあなたのお父上の形見です。大切になさいませ」
キュロスがふたたび呆然とした。
アメリアは微笑みながらキュロスに語った。
「カイは、わたしとロアン王太子の子なのです。つい先日、互いにそのことを知ったばかりです」
あわてて平伏しようとするキュロスをアメリアは止めた。
「どうぞそのままに。カイはあくまで天月修士ですから。ただ、少しわたしのこともお話しておきましょう。わたしのまことの名はリリアンヌ。カトマール皇女リリアンヌ十世です。あのクーデターをヤオによって弟とともに命からがら助け出されました」
あまりのことに、キュロスの顔は蒼白になった。アメリアがカトマール皇女リリアンヌだとは……。かつてロアン王太子から初恋の少女リリアとのひとときの思い出を聞いたことがある。その少女を助けることができなかった己のふがいなさを王太子はとても悔やんでいた。
ヤオのことは合点がいった。相当の武芸者であり、教養人でもあるヤオが浮浪者として橋の下に住みついたのには、かなり深い事情があると考えていたからだ。
キュロスはかろうじて言葉を絞り出した。
「ヤオどのが……そうでしたか」
「そしてもう一つ。わたしの弟はレオンです。レオンは、カトマール皇子レオンハルト十二世なのです」
「えっ?」
これにも驚いた。
「カイは銀麗月、レオンは聖香華。二人とも強力な異能者です」
キュロスは身を固くして聞き入っている。予想外のことに反応できないでいるのだ。
「キュロス。あなたにこのことを明かすのは、あなたの助けが必要だからです」
「助けとは? わたしにいったい何をお求めでしょうか?」
「タン国傭兵の力です」
「タン国傭兵?」
「あなたのことはロアンからも聞いていました。出自、人格、指導力、どれをとっても抜きん出ていると」
「過分なお言葉です」
「これから大きな戦いが始まります。武器を使った大量殺戮の合戦ではありません。情報と人脈と交渉術を使った頭脳戦であり、互いが擁する異能者同士の戦いとなります。避けられない戦いなのですが、死や破壊をできるだけ避けたいのです。そのためにタン国傭兵の力をお借りしたい」
「お言葉ながら、わたしはとうにタン国を離れた身。いまは舎村若君の護衛です。若君を置いて別のことをするわけにはまいりません」
「存じています。ですが、この戦いには、シュウどのも巻き込まれます。シュウどのだけではなく、櫻館に集う子どもたちもみな巻き込まれるのです」
「え?」
「さあ、カイ」と、リリアはカイを促した。
■「月の一族」
カイがキュロスに秀麗な顔を向けた。
「叔父のレオンとも九孤族宗主どのとも相談している途中です。じつは、櫻館の子どもたちはいずれも異能者。リョウくんは、〈森の王〉の可能性があります。時空を歪め、高い変身能力を持ちます。その双子の弟であるシュウくんにも何らかの強い異能が備わっていても不思議ではありません。
どうやら、孤島のウル石棺遺跡では、シュウくんと同じ姿の少年が葬られていたようなのです。考えられるのは、その少年のDNAをつかってクローン再生された子どもがいて、それがシュウくんとリョウくん――。そのDNAに強い異能が備わっていたと思われます。とすれば、シュウくんもリョウくんも舎村長エファどのとは血縁関係にありません」
キュロスは絶句した。
「ですが、エファどのはシュウくんに固執している様子。それはルナ古王国の秘密と関わっているようなのです」
「秘密……?」
「はい。すでにご存知のように、オロ=ルルくんは古代龍族の血を引き、時間を止める力を持ちます。アイリさんは火の一族です。念力と火を操る力をもつはずです。リクさんは、「死と再生の異能」を持ちます。さらに、リトは〈弦月〉の異能を持つようなのです。こうした異能を引き出したり、異能の苦痛を軽減するのが風子さんです。〈異能の媒介者〉と思われます」
「風子さん、ですか……」
「はい。風子さんの周りに異能者が集まるのはそのせいでしょう」
シュウが風子を好きになったのは、無意識にそれを感じているせいなのか?
「これらの異能はいずれも〈月の民〉に由来する異能です」
「〈月の民〉? 〈月の一族〉のことですか?」
「いいえ。関係は深いですが、異なる集団です。天月禁書の一つである『ルナ秘伝』はこう語っています」と、カイは詩を吟ずるように語り始めた。
はるか遠き神々の御代
深き山を穿つ急峻な流れに生まれし月の谷
月の神ルナは
谷に一つの村をつくりたまいき
苦もなく、病もなく、死すらもなき月の村に住まいしは
月の神に選ばれし月の民
異なる力を備えし月の民は神々の守り人
神々が住まうは月の城
城の奥深く月の雫が眠る
緋月が照らす月の村に
日は昇らず
時も生まれぬ
欠けることなき緋月が
ただしずかに月の村に光を落とす
「『ルナ秘伝』によると、〈月の民〉のうち、一部の異能者が〈月の村〉を出たそうです。それが、神話に語られる〈月の一族〉の始まりです」
カイは、一瞬、口元を引き締めた後、説明を続けた。
「〈月の一族〉はやがていくつかの部族に分かれたのですが、二度と〈月の村〉に戻ることはできませんでした。しかし、〈月の村〉はわれわれの世界に対して結界を張り、異世界として存続しているようです。この〈月の村〉に戻ることを目指す集団がいます。天明会です。彼らは、強い選民思想をもち、異能を示す子どもたちを拉致して教育しているようです。また、天志教団を組織し、資金源としながら人脈と政治的な力を拡大しているようなのです」
「天明会……天志教団……」と、キュロスはつぶやいた。
かつて、ロアン王太子はこの二つの勢力を気にしていた。
「これからの戦いは、端的に言えば、天明会及び天志教団と天月及び香華族との戦いとなります。カトマール政府は、いまこの二つの勢力に分断されつつあります。大統領と第一副大統領が天明会の影響を受けており、シャオ・レン第二副大統領とアユ夫人及びラウ財団に対抗しているのです。一方、シャンラでは、シャンラ女王とヨミ神官団との緊張関係が高まっています」
「シャンラでもですか?」
「そうです。ロアン王太子もサユミ女王もルナ文化を尊重し、文化国家をつくろうとご尽力になられました。しかし、それはヨミ教とヨミ神官団の影響力を削ぐ動きにほかなりません。この緊張関係に天明会と天志教団が入り込んでいるようです」
キュロスは頷いた。
シャンラにいた頃、王太子はヨミ神官団の動きには神経を尖らせていた。ただ、天明会とヨミ神官団との関係を語ったことはない。
「天志教団はルナ教やウル教に起源をもつと言われますが、その実、シャンラのヨミ教と縁が深いようです」
「え?」
カイがキュロスを見ながら静かに言った。
「ロアン王太子のご病気は遺伝病ですが、発病は遅かった……。考えてみれば、不可解です。二十歳を迎えて発病した者は、死に至ることはありません」
「まさか……」
「誰かに何らかの薬剤を盛られた恐れがあります」
「そ……そんな!」
「まだ可能性の段階です。証拠はありません」
「……わ、わたしは、まったく気づきませんでした。まさか……愚かなわたしが、王太子さまを死に至らしめてしまったのですか……?」
キュロスは蒼白になり、棒立ちになってしまった。
「そのようにご自分を責める必要はありません。だれかに気づかれるようなことを天志教団がするはずがありません。われわれが気づいたのは、二十年ほど前に天月でも同じような事件が起こっていたことが最近になってわかったからです」
「え……?」
「レオン叔父もまた十歳の時にその被害に遭い、天月を追われました。当時の天月宗主も何人かの天月士も犠牲になり、命を落としました」
「まさか……」
「こうしたことがわかったのは、ファン・マイ事件がきっかけです。櫻館にみなさんが集い、多くのことを明らかにしてきました。その成果なのです」
「……」
「ですが、われわれが事件の核心に近づいてきたことを、相手も察したようです。これから逆襲が始まるでしょう。むろん最大限の防衛網を張り、子どもたちを最優先で守りますが、戦力が足りないかもしれません。天月の中にも、ラウ財団にも、アカデメイアにも、天明会や天志教団の関係者が入り込んでいるようなのです。うかつに動けば、すべてを把握されてしまいます」
キュロスのまなざしが厳しくなってきた。戦闘モードに入ってきたようだ。
「わかりました。少しお時間を下さい。タン国傭兵として何ができるか、作戦を考えてみます」




