ⅩⅦー2 魔の池
■肥えたカエル
「で、ネコがどうした?」
突然、学校の図書館に押しかけたイ・ジェシンに、サキは迷惑そうな顔を向けた。
「サキ先生はネコが好きでしょ?」
「ああ」
「かわいいネコたちが危険に晒されてるんだって! いいの? このまま放っておいて」
「だから、なんでネコだ?」
最後の授業が終わり、サキは図書館カウンターで仕事をしていた。さきほど、風子はアイリと連れだってモモの散歩に出かけたばかり。金曜日なのでルルは〈ムーサ〉に飛んでいった。シュウは奥で本を読んでいる。
サキのそばでは、キュロスがキキの相手をしているだけだ。それ以外だれもいない。相変わらず、〈蓮華〉の図書館はさびれている。
キキは思わず聞き耳を立てた。
(ネコの危機じゃと?)
聞き捨てならない。キキはとことこと歩いてサキに近寄った。サキが無意識にキキを抱き上げる。
イ・ジェシンは、サキの気を引こうと必死だ。
「〈蓮華の森〉がヘンなんだって。サキ先生、なにか知らない?」
「〈蓮華の森〉? ヘンとは?」
「ネコたちがもう何匹も死んでるらしい」
「は?」
「ヘンでしょ? 水のせいじゃないかな?」
「話のスジが見えんのだが」
キュロスが近寄ってきた。
「すみません。ちょっといいですか?」
「どうぞ」
「〈蓮華の森〉のカエルが肥えているという話と関係がありますか?」
「え? 知ってるの?」と、ジェシンがちょっと肩を落とした。
「はい。一年ほどまえからそんな噂があります。森を挟んで、天月川の支流である蓮川と東川が合流します。その合流箇所に住むカエルが大きくなるという噂です。魚も大きくなるので、釣り人の間では有名だったようですよ」
「そ……そうなの? 知らなかった……」
「でも、あのあたりはもと神域ですからね。いまはこの蓮華学院の管理地で、釣りは禁止されています。禁止されると逆にやりたくなるもの――ひそかに釣りをした人が釣れた魚を食べてひどい腹痛を起こしたそうです。祟りだとか言われて、秘かな釣りもなくなったそうです」
「ホント?」
「ええ。ケマルさんからそう聞きました。ケマルさんの知り合いだとか」
「その人に会える?」
「さあ……このまえ、留置場で出会ったって言っていましたけど」
至急、橋の下からケマルが呼び出された。ケイもついてきた。
「へえ。カエルがよう肥えてます。魚も大きいです。でも、ネコのことは知らんかったです」
「よし、明日は土曜日だ。われわれだけで調べてみよう。いいな。子どもたちには内緒だぞ。危険だからな」
サキはジェシンたちに念押しした。
翌朝、サキが森に出向くと、すでにケイとケマルが来ていた。リトもサキに呼び出されていた。カイもカムイも同行している。
思わず、サキは額を抑えた。なんとキキとオロまでいる。キキがむりやり出かけようとするので、やむなくオロがついてきたという。だが、本音は違うはず。リトとカイが一緒に出かけるのに嫉妬して、後をつけたに違いない。キキを心配したのか、クロもいた。
(まあ、しかたない。いまさらオロに帰れとは言えんな)
後ろから声がした。
「サキセンセー!」
ギョッとして振り向くと、風子とアイリがモモを挟んで手を振っていた。
「お……おまえら、なんで?」
「キキとオロが出かけるのを見かけたんだ。あたしらに内緒でなんかするなんてズルイぞ」
う……言葉も出ない。
「何を調べるんだ? あたしがいたほうがいいだろ? センセーたちに分析できるはずがなかろう」
そりゃ、そうだ……。
「わ、わかった。だが、ここは危険区域のようだ。特にイヌとネコには危険だ。すぐにここから離せ。死ぬかもしれんぞ」
あわてて、アイリがモモを抱き上げ、オロがキキを抱き抱え、リトがクロをかついだ。
「サキ先生、ここには何があるんですか?」と風子がたずねた。
「わからん。だが、何匹もアカデメイアのネコが死んでいるようだ」
「ふうん。水か、土か、草か……採取して調べるというわけか」とアイリが思案顔になった。
ケイとケマルは、防水スーツと防水手袋に身を包み、サンプルケースに水や土や草を取り分けている。
サキに命令され、ジェシンも淀んだ川の水に浸かっていた。防水スーツに身を包んでいるが、眼に涙を浮かべて、震えている。サキから、カエルを採れと命じられたらしい。
(怖いよう……)
どうやら、このあたりは水が滞留するようだ。少し離れたところで水がサラサラ流れている場所では、きれいな水の中に見える魚もカエルも普通の大きさだった。リトはサキの命令で写真を撮りまくった。
一通りの作業が終わった頃、大男が足早に近づいてきた。キュロスだった。
「サキ先生! 寮でランチをご用意しました。みなさん、どうぞ!」
■魔の池
全員が寮に集合した。防水組はシャワーで汚れを落とし、イヌ・ネコはしっかりと足裏と毛並みを拭いあげられた。
豪勢なランチにアイリとオロが歓声を上げた。シュウが風子に走り寄った。
「風子、なんともない?」
「うん!」
風子の元気な声を聞いて、シュウは心底ホッとしたようだった。「ネコが死ぬ」という森に風子が出向いたと聞いて真っ青になっていたのだ。
食事を終えて、サキが言った。
「どうやら、あの滞留した小さな池に手掛かりがあるようだな」
「そうですね」とカイが返した。
「四百年前にはあんな池はありやせんでしたぜ」とカムイが言った。
「川の流れが今とは違っていたということか?」とサキが尋ねた。
「そうでやす。東川も天月川もほぼ同じ流れでやしたが、蓮川はなかったすね。ですんで、あんな池もござんせんでした」
「ふーむ」とサキが思案顔になった。
「じゃ、蓮川は人工用水路ってこと?」とリトが言うと、
「そうかもしれませんね」とカイが受けた。
「いったい、何のための用水路だよ?」とアイリが眉を寄せた。
「あのあたりには田んぼも畑もないぞ。わざわざ水を引く必要がどこにある?」とブツブツ言っている。
ふと風子が言った。
「〈蓮華〉は、その頃もうあったのかな?」
「〈蓮華〉の創設は五百年前だよ。だから、〈蓮華〉はあったけど、〈シャンラ王立女学院〉という名前だった」とイ・ジェシンが口を挟んだ。
「〈シャンラ王立女学院〉の本館は、今のアカデメイア附属博物館だ。蓮華池のそばに別館が建てられたのは二百年前。それが今の〈蓮華〉の本館だよ」
ジェシンの説明にサキが皮肉そうに言った。
「やけに詳しいな」
「もちろん! だって、言ったでしょ。ボクは〈蓮華〉の卒業生だって。ボクのバアサンや母親は〈シャンラ王立女学院〉の出身だもん。中高時代にボクは〈蓮華〉探究会というサークルに入ってたんだ。〈蓮華〉のことなら、先生方よりはるかによく知ってるよ」
イ・ジェシンは、サキにキラキラした眼を向けた。頼りにしてほしそうだ。サキは面倒くさいとばかり、「そーか。そりゃ、よかった」と受け流した。
カイがジェシンに尋ねた。
「では、用水路の件についても何かご存知ですか?」
「うーん。この用水路かどうかはわかんないんだけど、今の〈蓮華〉に水路が引かれたっていう記録はあるよ」
「いつ頃ですか?」
「一千年ほど前かな」
「まだ別館もなかったのに?」
「うん。今の図書館あたりに古い社があったんだって。見捨てられて、朽ち果てていたけど、図書館を作るときに祀って移転したんだってさ」
「社だと? そんなことは校史には記録されていないぞ」と、サキが驚いたように言った。
イ・ジェシンはやっとサキが関心を示してくれてうれしそうだ。
「そうだろうね。だって、たいした社じゃなかったもん。大昔に、このあたりで地元の人が何人も神隠しにあったらしくてね。それを封印するために小さな社を建てたらしい。社で祈祷を行ってもらうためにどっかから宮司を呼んできたらしいんだけど、そのとき、宮司が生活に困らないように川から水路を引いたっていう話だよ。でも、宮司はここには長居しなくてさ、結局、社だけが残ったけど、忘れられて森に埋もれたみたい」
「つまり、ウル遺跡でもルナ遺跡でもなく、土俗の神社だったってことだな」
リトが言った。
「神隠しってのは気になるよね」
「古い社に関する資料は残っているのですか?」とカイがジェシンに聞いた。
「うーん。校史には載ってないんだけど、この図書館の古書コーナーに記録があったはずだよ。ボク、高校生の時に見たことがあるもん」
「おい、探してこい!」とサキがジェシンに命じた。
「は、はいっ!」とジェシンがすっ飛んでいった。ジェシンはサキの命令には絶対的に従う。
なのになかなか戻ってこない。しびれを切らしたサキが今度はリトに命じた。
「ジェシンを連れ戻せ」
しばらくして、うちしおれたジェシンをリトが引っ張ってきた。
「どうだ? あったか?」
ジェシンは首を横に振った。
「なかった……関連史料がごっそりなくなってた。必死であちこち探したけど、見つからなくて……」
サキはカイと顔を見合わせた。二人とも同じことを考えたようだ。
(教頭だ!)
「イ・ジェシン。覚えているか?」
「え?」
「古い社の正確な場所だ」
「正確とは言えないけど、たしかあの開かずの階段の下あたりのはず」
(やっぱり!)
サキ、カイ、リトは顔を見合わせて眼で合図しあった。
これ以上、ジェシンや子どもたちに知られてはマズイ。
「わかった。だが、あの階段の下には何もなかったぞ。わたしも以前に入って確認したことがある。だが、階段には電気もなく、急な階段で危ない。だから、立入禁止にした」
「ねえ、サキ姉。もう一度、水路を見に行こうよ」とリトが言った。
「そうだな。だが、どんな危険があるかもしれない。わたしとリトとカイ修士の三人で行くことにする。キュロスさん、子どもたちを櫻館に連れ戻してくれないか。アイリはすぐに試料を分析してくれ」
「わかったよ」
「承知しました」
三人は寮を出て、森に向かった。ジェシンはホッとしていた。あの怖い〈魔の池〉にもう一度行かなくてすんだ。でも、古い社の資料がごっそりなくなったのは不思議だ。
――この図書館には、なんだかいわくがありそうだ。
ジェシンは、一人で図書館の周囲をグルグルとめぐった。でも、何もない。手入れがゆきとどかない木が生え、下草に覆われていただけだった。図書館の西側には池が広がっていた。〈蓮華池〉――この学院の名の由来になった古い池だ。
蓮華池はかなり大きい。この池から水路を引いたほうがはるかに手間はかからぬはず。なのに、なぜ、上流の川から用水路を掘ったのだろう?
ジェシンはブルブルッと身を震わせた。
――きっと何かある!




