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月下の神殿――銀麗月と聖香華  作者: 藍 游
第十五章 小さな墓
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ⅩⅤー6 シャンラに眠る

■愛している

 アカデメイアの滞在中、キュロスは常に影のようにロアンに付き添った。ロアンたち三人がアメリアを囲んで談笑するときも、キュロスはしばしば室内の片隅に立ったままでロアンを見守った。気配を消すことに巧みだったので、だれもキュロスの存在を気にしなかった。


 キュロスはサロンでの議論をすべて聞いていた。ロアンは離宮に戻ったあと、いつも、キュロスに意見を求めた。キュロスは、三人の意見の特徴を指摘し、アメリアがどの意見にどのように関心を示したかを彼なりに分析して意見を述べた。ロアンはそれに深く耳を傾けた。


 そのようなやりとりを繰り返す中で、キュロスもまたアメリアに惹かれるようになった。しかし、彼はアメリアのたぐいまれな美貌や容姿に関心をもったのではない。彼は、アメリアの知性と、それに基づく判断や決断の鋭さと潔さに心から感嘆したのである。それは、キュロスたち傭兵の長が戦場で求められる能力とまったく変わらなかった。

 アメリアは、「闘う者」だった。しかし、暴力に訴えることを嫌った。暴力は暴力を呼ぶ。彼女が重んじたのは知恵と知識だ。それを付き合わせる合議だ。彼女は組織を率いるのにふさわしい能力をすべて備えていた。


 二年間の留学など、あっという間に終わった。父王との約束通り、シャンラに帰国したロアンは、半年後にふたたびアカデメイアにやってきた。シャンラ国王の代理として儀式に参加するためだった。

 久しぶりに会ったアメリアは相変わらず、ロアンを子ども扱いした。ただ、ロアンは変わった。キュロスの顔も暗い。


 キュロスは、ひそかにアメリアを訪ねた。ロアンに会ってほしいという。アメリアは拒否した。そのような願いに応じたことなどない。


 キュロスが言った。

「殿下には時間がないのです……」

「どういうこと?」

「シャンラ王室に特有の遺伝病があることはご存知ですか?」

「もちろん、有名だもの」


「殿下はどうやら発病なさったようです」

「発病……?」

「まだ、国王陛下や女王陛下にも隠しておられます。お二人とも、殿下が十五歳までに発病しなかったので、安心しておられるからです」

「……どうなるの?」

「心臓の動きが弱くなっていき、死に至ります。たとえ生きながらえても、精神が損なわれてしまいます」

「それって……?」

「すべての記憶を失ってしまいます」


「殿下は、あなたを心の底から慕っておられます。一度だけでいいのです。殿下の気持ちに応えていただけないでしょうか?」

「でも、殿下には愛らしい婚約者がおられるでしょう?」

「殿下は、婚約解消を申し出るおつもりです。殿下はセリアさまを大切には思っておられますが、あなたを愛するように愛しているわけではありません」

「ばかな子……」

「そうです。殿下はご自身を自嘲しておられます。いまは、あなたへの思いだけで生きておられるようなものです」


 深夜、長いケープをかぶったアメリアは、キュロスの案内にしたがって、ロアンのいる部屋に出向いた。広い離宮の庭園の片隅にある閑静な建物だった。ロアンは庭で月を見上げていた。

 かぎりなく(はかな)げなその姿に、アメリアの心が揺れた。少し痩せたようだ。アメリアの姿を認めると、ロアンが走ってきた。そして、アメリアを強く抱きしめた。


――愛している。


 翌朝、ロアンが目覚めると、アメリアの姿はなかった。アメリアが大事にしている絹のハンカチが置かれていた。そこには、アメリアがペンでこう書き残していた。


――愛している。


■シャンラに眠る

 儀式を終えてすぐ、ロアンはシャンラに戻った。そして、病気を両親に明かし、王太子の位を降り、シャンラ王国の〈王の森〉の城で療養生活に入った。キュロスが付き添った。

 ロアンは病気を克服して、アメリアを妻に迎えようとそれだけを願って生きていた。


 しかし、数ヶ月後、ロアンはその短い生涯を終えた。キュロスは、すべての葬儀を見届け、親衛隊を辞して、放浪の旅に出た。ロアンの遺言を胸に。


 ロアンはこう言い残した。

――アメリアにこれを渡してほしい。


 ロアンはキュロスに小さな箱を託した。アメリアに渡すつもりだった指輪だ。その指輪は、シャンラ国王が女王に贈る伝統のデザインであり、ロアンがアメリアのためにわざわざ作らせたものだった。そして、アメリアからもらった絹のハンカチもキュロスに託した。


 しかし、アメリアは、アカデメイアの社交界から忽然と姿を消していた。ラウもレンもアメリアを必死で探していたという。キュロスは、ロアンの遺命を胸に世界中をめぐり、十年間、ひたすらアメリアの行方を捜したが、ようとして知れなかった。何の手掛かりもなかった。

 そして、シュウに出会ったのである。


 幼いシュウは、どこかロアンに似ていた。

 身体が弱く、繊細で美しい子どもだった。不治の病のため、どこか諦念をもっている様子もロアンに似ていた。自分のために必死で取りなす姿もまたロアンを思い起こさせた。


 キュロスはシュウに仕えることに決めた。それから十年。いまだアメリアは見つからない。アメリアはロアンの命であり、生きた証であり、そして、キュロスが生涯でただ一人愛した女人だった。


――王太子ロアンはシャンラに眠っている。


 キュロスがアメリアを探し求めて、シャンラを出てすでに二十年。ロアンと過ごしたあの城は、あのときのままだろうか。


 ロアンの遺言に従い、ロアンの個人財産であったアカデメイアの離宮は公園として開放され、離宮では市民サロンや展示会、音楽会が開催されている。管理はラウ財団に委ねられた。

 条件はただ一つ。離宮の離れにある小さな建物だけは、だれも入れず、そのまま残してほしい。アメリアとロアンの思い出の部屋がある建物だった。


 いまやこの公園は、モモたちの格好の遊び場になっている。ロアンが願ったカトマールの平和はそれなりに実現し、カトマールからの留学生アイリはのびのびと個性を発揮している。


 ロアンの墓を詣で、遺命を果たしたと報告したかった。だが、いまだ遺命を果たせず、一介の民が王家の墓地に入ることもできない。シャンラ王国は代替わりし、元王太子ロアンのことは忘れられつつある。だが、キュロスは忘れていない。


 ロアンはキュロスの武芸を褒め、遠い目をしていつか自分もキュロスのように強くなりたいと口癖のように言っていた。しかし、ロアンは武芸を教わることもなく、色白の華奢な美青年のまま、その深い漆黒の瞳を永遠に閉じた。


 そして、キュロスはいまさらながら気づいた。カイもリトもロアンと同じ深い漆黒の瞳をもつ。きっとそれが、遠い記憶を呼び起こさせたのだろう。ロアンの死と入れ替わりのように生まれた二十歳の二人の青年は未来を見ている。叶うならその未来を見守り、ロアンに伝えたい。


――あなたが愛したこのアカデメイアでいまも若者たちは自由に生きています。

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