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月下の神殿――銀麗月と聖香華  作者: 藍 游
第十五章 小さな墓
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ⅩⅤー2 拾われた子

■月下の墓標

――こんな月の夜は、あの日を思い出す。ロアンと愛を交わした夜、その子を失った夜。


 二十年前、アメリアは、アカデメイアを去った。

 財産を計画的に移し、誰にも見つからぬ場所に行くつもりだった。以前から周到に準備しており、問題はないはずだった。

 だが、なぜか追っ手がかかった。アメリアが入手したカトマールの極秘文書が狙われたのである。


 アメリアがアカデメイアでサロンを開いた究極目標は、この文書を手に入れるためだった。文書を手に入れた以上、アカデメイアに長居する必要はなかった。

 かねてからの手はず通り、アメリアは姿を隠すことにした。しかし、潜伏予定先にも追っ手が来ていると知り、逃げ回っているうちに、アメリアは体調の変化に気づいた。妊娠していたのである。相手はロアン以外いない。


 中絶するしかあるまい。だが、行った先の病院でテレビが伝えていた。

「シャンラ王太子がご逝去になりました。アカデメイアにある王太子の離宮が、市に遺贈されることになりました。市は、王太子のご遺言通り、離宮を市民公園として開放する予定で、今後、整備を進める予定とのことです」


 アメリアの足が震えた。そのまま病院を飛び出し、すぐに別の町に移った。

 ロアンの最後の希望をこの世から消し去ることはできない。逃げる中でいつしか男装ができなくなり、頻繁な移動も難しくなった。

 通信が傍受されているらしく、パドアには連絡できない。隠れ家にも行けない。隠れ家と言えども地域の目はある。隠れ家には独り身の若い男性管理人として入ることになっていたからだ。


 八方塞がりのなかで、アメリアはシャンラ王国の片田舎に向かった。ロアンが最後に過ごした森のそばにある小さな村だ。


 月明かりの中で、村のはずれにある一軒の家の戸をたたいた。しわがれた女性の声がした。

「こんな夜中にだれじゃえ?」

「旅の者です。いま、子がおなかにいるのです」


 ギイイ。

 戸が開いた。みすぼらしい小さな小屋だった。アメリアはその老女の腕に倒れ込んだ。


 老女は、アメリアの額に手をあて、腹をさすって、あわてて動き出した。

「こりゃ、たいへんだ。娘さん、頑張るんじゃぞえ」

 その声を聞きながら、アメリアは意識を失った。夢の中だったのだろう。ロアンの声が蘇る。


――〈王の森〉のそばに、小さな村があるんだ。その村は、大きな街道から少し外れていて、峠の上にあるから、市場はない。

 村は、旅に疲れた異邦人がちょっと休憩するのにうってつけの場所だったんだろう。だから、よそ者を排除しない。

 その村はずれに、代々、産婆が住んでいるという。産婆は、生死に関わるから、古くから村人とは深い関わりをもたないが、村にはなくてはならない存在だ。その村の産婆の腕は確かで、遠くから産婆を訪ねてくる者もいるし、訳ありの身重の旅人を何度も救ったと聞く――。


 電車とバスを乗り継ぎ、最後は徒歩でここまでやってきた。

 〈王の森〉はわかったが、その広大な森のそばのどこに目当ての村があるのか。アメリアは目立たぬよう、夜に歩いた。それが(たた)ったのかもしれない。


 気がついたとき、そばに暗い顔の産婆がいた。

 赤子の声はしなかった。


 小さな布団に寝かされた子はピクリとも動かない。


「気の毒にね。……死産だったんだ。せめて顔を見たいだろうと思ってね。こうして寝かしておいた」

 アメリアは大声で泣いた。そしてまた気を失った。


 ふたたび目覚めたとき、老女が言った。

「赤ん坊は近くの山に埋めたよ。落ち着いたら行ってくるといい。身体がよくなるまでここにいたってかまわないから」


 親切な産婆だった。事情も詮索されなかった。


 だが、早産の子は産声(うぶごえ)をあげることはなかった。打ちのめされたがとどまるわけにはいかない。アメリアは産婆に書き置きを残して小屋を出た。


 向こうの小高い丘に真新しい土が盛られていた。あれが目を開けることのなかった我が子の墓だろう。土が盛られた小さな墓には墓標もない。名もない子だ。

 月明かりの中でひっそりと静まりかえる土塊(つちくれ)を最後に一度振り返ったあと、アメリアは涙をぬぐい、厳しい表情で峠を降りていった。


■拾われた子

 カイは、女性の記憶の中にあった小さな土塊の前に立った。


 ふたたび女性の記憶が脳裏をめぐる。

 同時に、風がもう一つの記憶をカイに運んできた。そばに立つ大きな杉の木から運ばれた記憶のようだ。樹齢数百年を超える木には精霊が宿る。木の精霊は、この丘で起こってきたことをずっと見てきたのだろう。


 多くの記憶が駆け巡る。


 その一つに、カイは思わず背を反らせた。老師だ。


――日が昇る頃、一人の老人が通りかかった。耳をすますとかすかな音がする。盛り上がった真新しい土の中だった。

 老人は木の棒で土をかき分けた。小さな間に合わせの桶のようなものの中でモゾモゾと音がする。開けると、赤子がいた。

 手足を握り、涙を出しているが、声は出ていない。顔は真っ赤だった。

 老人が抱き上げると、その子は涙を止めた。あたりを見まわしたが、だれもいない。墓標もない。生まれてすぐに埋められたのだろう。

 であれば、この子の素性を聞くまでもない。棄てられた子であれば、拾えば良い。老人は土を元通りに戻し、赤子を連れて去っていった。


 呆然としたまま、カイは立ちすくんだ。

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